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鎌倉時代、貨幣経済の浸透により、御家人(武士)の生活の困窮がはげしくなった とありますが、これはなぜなのかできれば簡潔に教えて欲しいです( ´т т` )

貨幣経済が浸透することで 農具や肥料が発達し、
お米の生産量が増え、御家人のお米の価値が下がった・・・
これが一応私の考えですが、、、

A 回答 (3件)

この下の説明が一般的です。



https://chitonitose.com/jh/jh_lessons47.html
御家人の窮乏
次の①~③の理由で、多くの御家人は窮乏しました。
① 借金までして奮闘した蒙古襲来で新たな土地獲得なし
② 分割 相続による田地の細分化
③ 貨幣経済の発展に巻き込まれたこと
~~~~~
③はどういうことか!?
荘園領主が年貢などの負担を銅銭で納める 代銭納 を要求しました。
❶ しかし、御家人の収入は田地からの現物収入でした。
❷ 御家人は、代銭納(銅銭)調達のために、田地を売買・質入れしました。
❸ 当座しのぎの姑息な対応で、御家人は収入源(所有田地)を失い、窮乏しました。

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御家人の生活基盤は,それぞれの所領(土地)からの収益です。
たとえば新補地頭の収益は新補率法で規定された,
・田畑11町につき1町の土地
・田畑1反につき5升の米(加徴米)などですが,
これらはいずれも現物(田畑から収穫する米など,加徴米は文字どおり米)が収益となるものです。
御家人の場合,自分の所領をはなれて,鎌倉や,京都大番役で京都に滞在するなど,都市で生活することも多くなりました。こういった場合は都市の消費者として,必要なものを貨幣で購入して生活することになりますが,それに加えてぜいたく品などに接する機会も増えるでしょう。質素な生活を続けていけばあまり問題はないかもしれませんが,消費生活がぜいたくになって生活を困窮させることもありえますね。

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https://core.ac.uk/download/pdf/290207564.pdf
貨幣経済の進展

貨幣経済が進展するきっかけとなったのが,平清盛の日宋貿易である.貿易を通じて中国王朝の貨幣が日本に流入した.阿部(1972)は1176年における土地・家屋の売渡証書(枯却状)において宋銭による価値表示がなされていたことを紹介している.つまり12世紀後半に宋銭が交換に際しての価値尺度と認識されていたことになる.平家一門滅亡後に朝廷は宋銭の使用を禁止しようとする.しかし宋銭の広まりはストップすることなかったため,荘園年貢を貨幣で納めること(代銭納)も認めざるを得なくなる.朝廷のみならず鎌倉政権もまた取引の混乱を懸念し,しばしば使用を禁じていた(脇田1976).皮肉なことに,幕府がしばしば禁じなければならないほど,中国銭の利用は普及していく一方であった.一遍上人絵伝などでは,市庭で布を売る女性が代金を勘定している様子や,銭を手にした男性が物品を品定めしている様子が描かれている.さらに元や明との交易を通じて,元銭・明銭が大量にもたらされることになり,これら数々の中国銭が取引に用いられることになった.貨幣経済が進展した1つの傍証として,為替屋あるいは割符屋とよばれる決済業務を行う商人の登場がある.各地の商人は,遠隔地取引の手段として,替銭あるいは割符と呼ばれる為替手形を利用する.為替の初見は1311年,備後国いづみ荘の年貢銭の送金に関する史料である.ここでは,網野(1994)の紹介する,京都の東寺に遺されている史料(東寺百合文書)に綴られたエピソードに沿って具体的な流れを説明しておく.東寺に属していた備中新見荘(現在の岡山県新見市付近)では,三日市とよばれる市庭が開催されていた.在地領主は鉄や米・雑穀の売却で得た貨幣収入を割符によって東寺に送る.割符には東寺近隣の割符屋が指定され,そこで現金化される.この割符は武装した商人・金融業者・廻船人など,交通網を掌握する非農業民たちのネットワークを通じて,送られていた.このときの手数料はほぼ一貫していたという.網野(1994)が評価するように,14世紀前半の日本経済においてそれなりに成熟した決済システムが機能していたという点で,物々交換経済から貨幣経済へ,つまり非貨幣均衡から貨幣均衡へのシフトが完了したといえる.
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/09/27 21:01

武士の給料が物価スライドで現金支給でなかったことが原因です。

収入が米などの現物支給でこれを現金化するのは安定して換金できるわけではない上に、支出対象は付加価値の加わった贅沢な都市生活という具合では、生活は不安定になりがちです。
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元寇によるものが大きいです



それだけの「軍事費」を捻出せざるを得なかった武士階級に対して
「恩賞」として 領地を提供することもできなかったので
「収入は増えないのに 軍事費の負担が大き過ぎる」
状態が続いたので
収入<支出
の状態によって 武士は経済的に困窮したわけです
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