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部下に自決を強要するような軍隊はまともな軍隊ではない。要するに責任逃れの隠蔽体質だ。この隠蔽体質は現在の自衛隊にも受け継がれている。恐らく現在の自衛隊にも上官によって殺されて隠蔽された自衛官が居るだろう。

なぜ上官は部下に自決を強要したのか?部下に問題が有ったのなら、軍法会議(裁判)にかけるのが筋だろう。外国の軍隊は皆そうしている。

しかし日本軍ではそうではない。軍隊に限らず、日本人は裁判を嫌う。日本の民事裁判件数は人口比で米国の1/8、英仏の1/4、ドイツ、韓国の1/3、先進国で圧倒的に少ない。

なぜ裁判に成ったら困るのか?部下に自分の失敗をペラペラしゃべられたら困るからだ。要するに口封じのための自殺の強要だ。

結果、ノモンハンの責任はうやむやに成り、この戦争を主導した責任者は、後に太平洋戦争を引き起こし、日本を敗戦に引きづり込んでいる。

もしノモンハン事件を裁判に掛けていれば、太平洋戦争の敗戦も無かった。この事からも日本の裁判件数を増やすべきですよね?

日本の民事裁判件数は人口比で米国の1/8、英仏の1/4、ドイツ、韓国の1/3、先進国で圧倒的に少ないですから。
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https://www.asahi.com/articles/ASNB35TZ8NB2PTIL0 …

隠された中佐の自決 ノモンハン事件「精神主義」の象徴
2020年10月4日

モンゴル東部で1939年、日本と旧ソ連が衝突したノモンハン事件は後の太平洋戦争でも見られた、現場の将兵の責任を厳しく問うような「精神主義」がはびこる転機になったとされる。

事件後に自決した将校の孫が昨秋、当時の記録を調べたところ、死因は「脚気(かっけ)」や「脳溢血(いっけつ)」となっていた。なぜ死因は改ざんされたのか――。

自決したのは当時45歳だった井置栄一中佐。ソ連軍の総攻撃が始まった39年8月20日、隊長を務めていた第23師団捜索隊は激戦地の一つだった「フイ高地」で包囲された。

「頑強な抵抗」と評された戦いぶりを見せたが、水や食糧、弾薬の補給、通信すら絶たれる中、4日後に撤退を決断。フイ高地にいた23師団捜索隊759人中、269人が脱出した。

ノモンハン事件
1939年5月、日本の傀儡(かいらい)国家だった旧満州国と、旧ソ連の影響下にあったモンゴルの国境をめぐって両陣営が衝突。戦闘は4カ月近くに及んだ。
ソ連側は日本側の2万人を上回る2万6千人の死傷者を出したとされるが、物量差を生かし、日本軍に壊滅的打撃を与えた。

しかし23師団の師団長は会議で無断撤退と批判し、「自決を勧告するのが至当であると思う」と発言したと、23師団参謀の扇廣氏が著書「私評ノモンハン」で記した。

米国の研究者、故アルビン・クックス氏が同様に参謀だった鈴木善康氏をインタビューした内容もそれを裏付ける。

米・南カリフォルニア大学の東アジア図書館所蔵の音源には、「将校として一番まずかった人がいる。井置さん」「(師団長は)処置しにゃいかんというお考えを言っておられた」。

鈴木氏は井置中佐に「戦場を離脱、任地を離れるとどういうことになりましょう」と説き、自決後には部下に「実情を話さんようにね」と話したと明かしていた。

A 回答 (1件)

日本は、和の国ですから、白黒ハッキリ


させる裁判は好まない。

それでも、切羽詰まった時は、一人に
責任を押しつけ、自害させる。

そうすると、死んだから仕方が無い、
責任はとった
ということで、ことの真相や責任の所在が
うやむやになる。

だから、反省、ということはあまり
しない。
それで、同じ過ちを繰り返す。

こんな図式だとおもいます。

戦後、大物政治家に汚職疑惑が出ると、
秘書が自殺して、一件落着、という
事件が相次ぎました。

有名な例としては、竹下登元総理の秘書・
青木伊平氏の自殺がありました。

田中角栄元総理がロッキード事件で捜査を受けている時に、
施設秘書兼運転手の笠原政則氏が埼玉県の山中で
マフラーからの排ガスを車中に引き込んで自殺したのも
有名です。

なにやら旧軍と似たような感じが
します。
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