古代日本史を勉強していたのですが、国(武蔵国とか筑紫国など)はいつぐらいから記録されているのでしょうか?
氏姓制度(4世紀頃)で国造というのがあります。
それと527年に筑紫国造磐井の反乱というのがあったので、氏姓制度ぐらいからかなとは思いますが、畿内・七道がおかれた頃かもしれません。
本に載ってなく、疑問に思っています。

A 回答 (2件)

 現在の旧国名にあるような「国」が正式に置かれたのは701年の大宝律令以降です。



「国造」というのは「国」という名前こそ入っていますが実質的支配領域は後の「郡司」レベルで、現代の土地感覚と照らし合わせるならば、市や町よりも少し狭い程度だったと思われます。

古代大和朝廷においての「国」とは地方豪族たちを朝廷がまとめ上げるための統治機構であり、律令制成立以降の「国」とは公地公民制や軍備を調えるための地方行政機関だったと理解すればよろしいのではないでしょうか。

 最後に蛇足ですが、磐井の乱のバックには新羅の支援があったとかなかったとか
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 もともとは、後漢書などの「対馬国」「末盧国」のように、原始村落が地域的にまとまった政治集団を意味しました。

大和朝廷が他の地域政権に対する統一支配を強める過程で、行政区画としての国を新設し、首長層を国造に任命しました。この時期について、従来は5世期末~6世紀始と思われていましたが、最近の勝山古墳の発見などにより、200年ほど遡る可能性があります。日本書紀の記録では景行天皇の頃、熊襲を平定した後、日向と名づけたり(87年)、火国と名づけています(88年)。また、彦狭島王を東山道15国都督に任じたり(126年)、諸国に田部、屯倉を置く(127年)などの記事が見られます。成務天皇になりまして、諸国に命じて国郡に造長を県邑に稲置をおき山河を境にして国県に分け、道路に随って邑里を定めさせる(135年)の記載があります。五畿七道の制度が発足したのは国の並べ方などから天武朝と思われています(畿内は646年設置)。武蔵とか筑紫の名前は景行天皇の頃の日本書紀に表れています。
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この回答へのお礼

貴重なアドバイスありがとうございます。

> もともとは、後漢書などの「対馬国」「末盧国」のように、原始村落が地域的にまとまった政治集団を意味しました。
→『魏志』倭人伝の「邪馬台国」みたいなものですか。

国は五畿・七道の時代よりだいぶ昔の説もあるのですね。
とても勉強になりました!

お礼日時:2001/08/17 12:45

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