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我思う故に我在り と言う命題で 我(自分?)は100%存在すると言えるでしょうか?

我思う故に我在り と思う のではないでしょうか?

皆さんはどう解釈してますか?

A 回答 (17件中1~10件)

其れはね、



人族撲滅に 繋がりかねない、
大量殺人鬼製造ワードなの、
謂わば「バル!!」なの、

だから 世に、
投げないで。


其れとも、

自ら 生み出した、
大量殺人鬼の 手に、
かかりたいの?


よくあるよね?

開発者が 開発物の、
犠牲に なる、
話、

自身で 其れを、
実現したく なかったら、

自身 のみで、
自身 のみの、
答を 出して、
しまっておいて。
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haru さんが現実世界にいるのは確かですね。

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ただの言葉

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「我思う故に我在り」の後に続くデカルトの論理展開を読んでみれば、いかにズサンな話なのかがわかる。

すると「我思う故に我在り」だけを深掘りしたってしょうがないよな、ということになると思いますよ。

> 我思う故に我在り と思う のではないでしょうか?

 なんでそこで止める?

我思う故に我在り と思う故に我在り と思う故に我在り と思う故に我在り と思う …
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この世に完璧なことはないと


つね日頃から思ってるから

100%かと?

問われたなら

(ヾ(´・ω・`)違うと答えたくなりますね

我思う故に我あり

自己を見つめ直して
精神的な何かを探ろうとする働きは
あるはずで

【働き】
この働きだけ【我・自己】だとは認識してますよ

見つめ直してる対象や見つめようとしてる意識などは

【意識がつくりあげてる虚像であって】

単純に【働き】だけは、虚像が関与出来ないですもんね

その働きを、具現化したら
手で触るような、手に例えたり
目で見るみたい、目で例えたりすると

意識が具現化した虚像に成り下がってしまうので

【働き】だけとしか表現できないんですけどね

動詞なのか?形容詞なのか?
伝えにくいけど

こんな感じです

でも、その働きも100%ではなくて
もしかしたら( ̄~ ̄;)虚像や戯れ言かも知れないですけどね
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デカルトはすべてを疑った。

どこの国の人とか、職業とか、男とか女とかも、つまり属性をすべてそぎ落として考えたんだね。それでは、みんな生まれたての赤ちゃんを考えればいいのさ。生まれたての赤ちゃんはみんな同じだ。そして赤ちゃんは考えない、言葉を知らないからね。ゆえにわれ思うこともないし、我もない。

我思う、ゆえにわれあり、ではなく我も彼も分別することであるから我も消して「思う在り」だ。そして赤ちゃんは思い考えない。ただ感じるだけだ。ゆえに「思う在り」ではなく「感じるあり」だ。赤ちゃんも手で感じ、鼻で匂いで感じる。ただ感じるものがある。そして何かを感じ入力があれば、それを出力するプログラムがある。不快を感じたら泣けと言うプログラム、快を感じたら笑え!と言うプログラムを持っている。みんな赤ちゃんには同じプログラム、本能を持っている。
つまり「我思う我あり」ではなく、ただ「本能あり」だ。私たちは生きていくための「本能を持っているのだよ」

デカルトは疑わしいものを全て疑って、どんなに疑っても疑えないものが残るなら、それは真理と言えるのではないかと考えた。
つまり真理とは種族保存だ。種族保存の為に本能もあるのだよ。私たちが必要とする全て、本能も感情も免疫も言葉も文化も発明も何からなにまですべては種族保存の為にあるのだ。種族保存こそ真理であり、それこそが大自然の意志、法則なのだよ。
勿論、種族保存の為に善も愛も自由もある。論理や道理もそうだ。生命に関するありとあらゆるものは種族保存の為に存在する。種族保存の為でないものなど何もない。ゆえに何のために生まれ、何の為に生きるのか?の答えもまた種族保存の為、みんなの安心・幸せの為にある、と考えればいいのだよ。私たち生命あるものに関するすべては種族保存の為に存在するのだ。これこそが生命に関する一つの真理である。
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因みに「見えている世界が実在するのかどうか?」これが「クオリア」です

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「我思う故に我あり」の「我」は「物理的な存在としての私」ではなくて「物理的な存在ではない主体としての私」です


「見えている目の前の世界」の実際を否定し得る様に「見えているの自分自身の身体」もまた否定し得るのです
と言うのも「見えている世界」は脳によって視覚化された情報が脳内で再現された世界であることから「見えている世界」が想像の世界である可能性があるためです 当時の哲学者はそれに気付いていたのです
ですから見えてる世界を否定するように自分自身の身体=物理的な存在も否定したのです 
それでもなお残ったのが「我思う我」なのです
「物理的な存在ではない主体としての私」を否定し得ないことから
「物理的な存在ではない主体として私」がいるとしたのです
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「我思う故に我在り」


  ↑
「私が、あれこれ考えている。」という事は、
「私が、生きている。」という事だ。
  ↑
「死んだら(存在しないなら)、考える事も出来ない。」

こう考えれば、「我」を「%表示」しても、仕方がない。

有るのは「生きている」か「死んでいる」かの選択でしかない。

「うだうだ下らないことを考え、疑っている自分の存在は、
自分が生きて存在していることを、担保している。」

デカルトも、実は、くどい、唯の馬鹿だったのでは?
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>私は誰でしょうか??



妄想癖に支配された変質者のようですね。
非常に危険なので早めに精神科に行った方が
いいですよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

もう精神科は長いです。卒業したい。

哲学の話は大概普通の人には可笑しな話ですよ。

お礼日時:2020/10/14 19:11

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