「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

毎日日本語を勉強すると、遊び時間がない
毎日日本語を勉強すれば、遊び時間がない
毎日日本語を勉強したら、遊び時間がない
毎日日本語を勉強するなら、遊び時間がない
どちらが自然ですか

A 回答 (11件中1~10件)

毎日10分だけ勉強してあとは遊ぶのでも良いのだから、どれも意味的に不自然です。

この意味的な問題を度外視すると:

 それでも、どれも変だな。まず、
> 遊び時間がない
が変です。「時間」を使いたいのなら
  遊ぶ時間がない
あるいは
  遊ぶ時間がなくなる
が適切です。(なんらかの分野における専門用語としてなら「遊び時間」という名詞がありうる。けれども、この用例に合わないのは明らかでしょう。なお、「休み時間」ならば一般的に使える名詞ですが、学校や職場における時間管理を連想させます。)
 また、(細かい時間管理の話ではないのでしょうから)「時間」よりももう少し抽象的な「暇」を使う方が自然で、
  遊ぶ暇がない
が良いでしょう。
 さらに「遊ぶ」が、さしたる内容を担っていない抽象的な言葉なら
  遊んでいる暇がない/遊んでいる暇はない
が適切です。この場合の「遊んでいる」は「暇」と同義に過ぎないので、ただ語調を整えるだけの修飾語ですね。さらに
  遊んでいる暇なんかない
とすれば、暇がいかに無意味なものか、それに対して、勉強がいかに重要か、という価値観を強調できます。

 次に、語用論的に考えて、なぜこれを発言するのか、がわかりにくい。内容の曖昧さがその原因です。すなわち、事実の話をしているのか、それとも仮定の話をしているのか、がはっきりしない。そして、それによって、適切な言い方が違う。
 事実を言っているのであれば、
(1) 毎日日本語を勉強していると、遊ぶ暇がない
(2) 毎日日本語を勉強していると、遊んでいる暇はない
と表現するのが自然でしょう。後者は、遊ぶことを望ましくないことだと判断する価値観が含意されています。勉強が継続していて忙しいせいで遊ぶ暇がなくなる、という意味を示すには、例えば
(3) 毎日日本語を勉強しているので、遊ぶ暇がない
(4) 毎日日本語を勉強しているので、遊んでいる暇はない
と言えば、因果関係まで明確に表せます。
 一方、仮定の話であれば、
(a) 毎日日本語を勉強したら、遊ぶ暇がなくなる
(b) 毎日日本語を勉強していたら、遊ぶ暇がなくなる
(c) 毎日日本語を勉強していたら、遊んでいる暇がない
などが適切でしょう。(a)(b)は「暇」を良いことだと捉える価値観を暗示しています。他にも組み合わせが可能で、それぞれに極めて微妙な(伝わらないかも知れないような)ニュアンスの違いが生じます。
 さて、仮定の場合には、聞き手は文脈から「毎日日本語を勉強することに決めたら」という自発的な選択の話なのか、あるいは「毎日日本語を勉強しなくてはならないことになったら」という受動的な話なのかの区別を付けねばなりません。ならば、その区別も含めて明言する方が、さらに通じやすいでしょう。
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#9です。



結論を書き忘れていました。
先に申し上げたように「遊び時間がなくなる」という表現を使えばすべて自然な日本語ですが、原文のまま「遊び時間がない」という表現を使う場合、自然な程度は下記のような評価になります。

△1.毎日日本語を勉強すると、遊び時間がない。
×2.毎日日本語を勉強すれば、遊び時間がない。
〇3.毎日日本語を勉強したら、遊び時間がない。
△4.毎日日本語を勉強するなら、遊び時間がない。
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どれも文法的には正しい日本語表現です。


ただ、他の方もおっしゃっていますが、変化を表わす動詞「なる」を使って、後件を「遊び時間がなくなる」のようにすると自然になる。

1.毎日日本語を勉強すると、遊び時間がなくなる。
2.毎日日本語を勉強すれば、遊び時間がなくなる。
3.毎日日本語を勉強したら、遊び時間がなくなる。
4.毎日日本語を勉強するなら、遊び時間がなくなる。

その上で申し上げると、
「と」と「ば」は、基本的に、一般的なこと・恒常的なこと、いつも成立するようなことを述べるのに、適しています。
〇冬になると雪が降る。
〇冬になれば雪が降る。

「たら」と「なら」は、基本的に、個別的なこと・具体的なことを述べるのに適している。
△冬になったら雪が降る。
×冬になるなら雪が降る。


1.毎日日本語を勉強すると、遊び時間がなくなる。
2.毎日日本語を勉強すれば、遊び時間がなくなる。

前件と後件の関係性を、一般的なこと・恒常的なことと認識している。
「毎日日本語を勉強する」という行為に対して、「遊び時間がなくなる」という因果関係が導かれるのは「当然だよね」と受け止めている感覚。

3.毎日日本語を勉強したら、遊び時間がなくなる。
4.毎日日本語を勉強するなら、遊び時間がなくなる。

前件と後件の関係性を、個別的なこと・具体的なことと認識している。
もし私が「毎日日本語を勉強する」という行為を行った場合、「遊び時間がなくなる」という因果関係が導かれるだろう、と言いたい感覚。
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下3つは、ば・たら・なら、仮定条件を伴っているので、だろう(推量)を付加すると自然です、


最初の「と」は条件と結論がスムーズに繋がるので、曖昧な「だろう」を付加する必要がありません。例:1と1を足す<と>2になる。

以上から自然なのは最初の文だけです。
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>毎日日本語を勉強したら、遊び時間がない


いずれも「ない」の品詞の認識が適当ではない、これはど動詞ではありません。
遊び時間がない、この部分に動詞がありません、表現としては決定的な誤りです、最低でも「なる」が必要です。
仮定条件を受けての表現だから、どうなる、という表現ななります。
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「毎日日本語を勉強すると、遊び時間がない」

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わたしなら「してると」かな

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遊ぶ時間が無くなる



つまり暇じゃあないと言えますね。
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全部、不自然です。



毎日日本語を勉強すると、遊ぶ時間がない
毎日日本語を勉強したら、遊ぶ時間がない

このどちらかです。
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どの文章もあまり問題がないように思います。


前後関係でどの言い方が適当かが変わることはあると思います。

ところで「どちらが」は2つの内から選ぶときに使う言葉で、この場合は「どれが」が正しいと思います。
(ただ日本語はどんどん変化してますし、日本人でもこの場合に「どちらが」を使う人もいるだろうとは思いますけど)
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