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戦国(安土桃山)で上杉謙信と武田信玄が病死していなかったら織田信長の天下統一計画はずっと前に破綻していたでしょうか?

A 回答 (3件)

上杉家は、関ケ原の時に少し緊張状態でしたが、それ以外では動きなし。

伊達政宗たち東北の勢力が、秀吉の小田原城攻めの時、ほぼ無条件で従ったことからも、大きな影響なしと推察。
信玄のケースでは、後継者が勝頼というのがキーワード、信玄の体調しだいで、かなり劣勢に追い込まれていたでしょう。ただ、信長は外交もけっこう上手いですから、外交的な駆け引きで切り抜けたと思います。
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どうでしょう。


足利将軍家の世は乱れに乱れまくっていたわけで、世の人の多くは平和で安定した時代を望んでいたでしょう。それは、足利将軍家の時代を描いた戦乱と混乱の物語が「太平記」という皮肉なタイトルであったことからも、良く分かります。

信長のスローガンは「天下布武」でした。つまり「俺は武力で足利将軍家に代わって天下を太平にしてみせる!」という革新的な意味ですね。
対して、謙信や信玄がやったことは、あくまでも足利将軍の時代を長引かせることだった。保守的です。そのようにしか見えません。

確かに信長には、改革先駆者によく観られるような過酷さや過激さがありました。そこが保守派の逆鱗に触れた点は否めません。本能寺で横死したのもそれが原因でしょう。
しかし、人心そのものは、いつまで経っても平和を実現できない保守に愛想が尽き、革新に平和を期待していたのではないでしょうか。

世の流れは、謙信や信玄のような保守ではなく、信長の革新に向かっていたと思います。
ゆえに、謙信・信玄がもう少し長生きしたとしても、時代の流れを覆すことは難しかったのではないかと思います。
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多少時間が掛っただけで、破綻は


しなかったと思います。

織田信長の戦いで、特徴的なのは
常に相手の数倍の軍勢を整えてから
戦争を始めることです。

桶狭間だけでした。
相手より劣勢で戦ったのは。

相手より数倍の軍勢を整えるには
経済力が必要です。
だからこそ、楽市楽座でした。

これに比し、武田とか上杉なんてのは
所詮は戦上手、というだけです。

信長のような、合理的戦略に乏しく
これでは天下はとれません。
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