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信じるを超越すると理解するに至る。
さらに理解するを超越すると感じるに至る。
つまり、人間精神は「信じる→理解する→感じる」の順にアウフヘーベンするのではありませんか?

A 回答 (11件中1~10件)

信じる(間違っていても、正しいと信じる)これを超えると、見極められるようになり、理解する。



人間精神は「感じる→信じる→理解する」の順だと思います。

何かを体感して、信じ、確信し、理解する。
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いいえ違います


「信ずる→感じる→理解する」です

僅かにでも信じなければ行動に移りません
信は理を求めての行動です
行動して、その結果を見て、はじめて理解するのです

更に、理解すると信が強まるのです

人生は、信じて行動し理解する、信じて行動し理解するの
反復堆積なのです
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信じるって何だろう? 理解するって何だろう? まあ、「感じる」は分かるとしてもだ。



信じるとはそれが正しいと言うことを信じると言う事だろう?じゃ正しいとは何だい。正しいが分からずにどう信じるんだい。

理解するとは理を解すると言うことだ。じゃ理とは何だい。理(ことわり)が分からずに何を解するのだい。

まず正しいとは何か? 理とは何か?を教えてくれないかい。
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ブラックホール関係のノーベル賞受賞者の


ろじゃーぺんろーずが久遠田夢魔印度
両氏脳

今日はメモだけですね。
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信じること、理解すること、感じること


それぞれに直接的な因果関係は認められません
間接的な影響があるだけでしょう
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何かを感じるから、理解しようとし、信じるに至るのではないでしょうか。



信じると云う心理は“闇雲に”と云う場合がありますよ。

※ 再考を期待しています。
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○ ひとの自然本性(身と心)および霊我のハタラキについて


 
霊我:信じる:《非思考の庭》:クレド:   ヒラメキ;良心
                      ↓    ↓
------------------------------
精神:考える:《思考の緑野》:コギト:   直観;恥ぢの意識
身体:感じる:《感性の原野》:センススコムニス:直感;ヤマシサ
                           反応



☆ このように捉えるなら 《信じている》ゆえに

《良心→ 直感・ヤマシサ反応・恥ぢの 感覚》が生じますし

《ヒラメキ→ 直観・恥ぢの意識認識》として《考える》が起き得ます。
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私はそうは思いません


信じるとは自分の意識の決めつけ
信じ切る物です
神様の存在を信じたら 疑うことも理解することも感じる必用もありません
自分が勝手に思い込んで居ることで
信じている自分を信じ切るのみ
理解も 感じる必用なんてありません
と私は思っています
既成概念である「信じる」なんて言葉に何の実態も無いのですから
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人間の精神はそんな単純なものでははないです。



信じなくても理解できます。
理解できなくても感じることはできます。

理解しなくても愛せるし、信じることができます。

信じる、理解する、感じる、
それぞれ独立して存在し得、それらが絡み合い、反発しあいます。
だからこそ悩みや苦しみや辛さがあるんです。
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DON'T THINK, FEEL !


と、ブルース·リーも申しております。

そう
しよう。

正·反-GO !
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