1. 神は 絶対性ゆえ 相対性としての有る無しのいづれとしても 人間が自由にまた対等に忖度しうる。
1-1. かくして 同じひとつと普遍神について 《有る神》派と《無い神》派とが 平和裏に共存する。はずだ。
2. ただし 相対性としての愛憎や真偽や善悪についてそれぞれの両者が互いに自由に対等なかたちで えらばれることは出来ない。
2-1. 憎悪の神や悪の神が あり得るかに見えるけれども それらは 善の神や愛情の神と――相対的に有限なかたちで――対立するものであるに過ぎず 絶対性なる普遍神とは別である。
2-2. 普遍神は 善悪の彼岸 真偽を超えた真理 愛憎をおおきくつつむ愛であると忖度される。
2-3. 言いかえると 《善の神と悪の神と》というふうに つねにペアとして持ち出して決して切り離さないならば まぁ 大目に見られるかも知れない。
3. 忖度の内容としての可能性の話であるが 《神は人間がこしらえたものだ》なる命題や《神を人間がナイフで刺してころした》なる推理は 成り立たない。
3-1. こしらえたものなら 壊せる。また たしかに殺せる。――だが 絶対性をどうして相対存在である人間が どうにかすることが出来るというのか? ニーチェ葬送を早く済まそう。
☆ どう考えますか? 添削をどうぞ。
A 回答 (133件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
信仰の自由があるのでなんとも。
信仰の自由は宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由でもあるので、蒸気をどう思われますかと言われても・・・何をどう思うことですか?抽象し過ぎていて答えられません。貴殿はどう思うのか書いて下さい。
ご回答をありがとうございます。
★ 信仰の自由があるのでなんとも。
☆ ん? いえ 信教・良心の自由なる命題を具体的に言い表わすと こうなるという一つの仮説ですよ? 信仰の自由そのものですよ?
★ 信仰の自由は宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由でもあるので、
☆ これは 話が別です。
《信じる》は 人知を超えたもの(超自然・超経験)をわが心に受け容れることです。
《宗教ないしそのオシへ》は――人知として言語表現された内容なのですから―― 信じるのではなくあくまで《考える》ものです。経験合理性で整合性があるか・つまり矛盾していないかなどなどを吟味し検証するものです。つまりは オシへは 思想です。
★ 蒸気(☆ 上記)をどう思われますかと言われても・・・何をどう思うことですか?抽象し過ぎていて答えられません。
☆ すでにこたえてもらいました。私見で勝手にですがコメントしました。
このように思います。
☆ 宗教のオシへには 人知では是非が判断しかねる神秘がふくまれています。したがって かんたんには経験合理性で判断しかねます。
ですが その神秘の部分については とりあえず外して 話し合いのできる部分で互いによりよき思想へ向けて 自由に批判しあってゆくとよいはずです。
意外とかんたんに オシへの内容にほころびが出てきます。
No.2
- 回答日時:
哲学的な言語は理解しにくいのですけど、ようは造物主は善でも悪でもなくガラスの水槽で魚を飼うように人間を飼っているという発想でしょうか。
もしそうであるなら、それは間違いだと証明することは人間にはできません。
そして神をあがめる理由もなく、神を軽蔑してもいいということになるでしょう。
神が自分を軽蔑した人間を選択的に攻撃するような事象が観測されるなら、神のご機嫌をとる必要はあります。けど、現代社会を見るかぎり、無神論者がとくべつ不幸な目にあうことはどうもないようです。
造物主的な神がもしいるとしても、人間が神をどう思ってるかすら気にしていないと考えるのが自然ではないですか。
人間がもしそのようなどうでもいい神の存在を信じたいとしたら、それは絶対的な存在に憧れる気持ちがあるからにすぎず、そのような気持ちがないなら、神の存在など忘れていてもいいということなんですよ。
客観的には快楽以外に意味のない精神の活動です。
ご回答をありがとうございます。
★ 哲学的な言語は理解しにくいのですけど、ようは造物主は善でも悪でもなくガラスの水槽で魚を飼うように人間を飼っているという発想でしょうか。
☆ 二点 異なる見方を出します。
《善でも悪でもなく》というふうにも推測しうるかも知れないのですが 一般には《善悪の彼岸 すなわち 善悪といった二項対立のすがたを超えたところの至高善ないし大善なり》と推測されるものと思います。
造物主であったからには:
★ 水槽で魚を飼うように人間を飼っている
☆ といったイメージが引き出されるかも知れませんが もしそうだとしても その神は とどのつまりでは――ひとには 自由意志をあたえたからには―― 社会と歴史なる世界のすべてを おまえたち人間にまかせたというイメージになるかと思われます。
★ もしそうであるなら、それは間違いだと証明することは人間にはできません。
そして神をあがめる理由もなく、神を軽蔑してもいいということになるでしょう。
☆ 好きだと言っても バカ野郎とののしっても 神は痛くも痒くもありません。両方を受け留めおおい包むでしょう。
★ 神が自分を軽蔑した人間を選択的に攻撃するような事象が観測されるなら、神のご機嫌をとる必要はあります。
☆ それは やはり忖度の問題になります。主観によります。
★ けど、現代社会を見るかぎり、無神論者がとくべつ不幸な目にあうことはどうもないようです。
☆ まったく相対的な見方でよいということですね。
★ 造物主的な神がもしいるとしても、人間が神をどう思ってるかすら気にしていないと考えるのが自然ではないですか。
☆ あぁ 痛痒を感じない として触れました。
★ 人間がもしそのようなどうでもいい神の存在を信じたいとしたら、それは絶対的な存在に憧れる気持ちがあるからにすぎず、そのような気持ちがないなら、神の存在など忘れていてもいいということなんですよ。
☆ そうなんですが 一点見過ごした考えがあります。《神のことを忘れてもいいし 忘れている》というとき その時にも 神は つねに――無い神としてでも――存在するということです
★ 客観的には快楽以外に意味のない精神の活動です。
☆ 快楽うんぬんを超えているということです。《神とわれとのカカハリ》は。
No.3
- 回答日時:
蒸気→上記へ。
訂正してお詫び申し上げます。信教・良心の自由←ん?思想・良心の自由は知ってますが・・・
仮説なら貴殿の考え。自由です。神が絶対なんてあり得ないので最悪。この世に絶対なるものはない。
これは 話が別です←何が別なの?信仰の自由を述べてるんですけど。信仰の自由を知っていますか?勉強しましたか?調べてください。
つまりは オシへは 思想です。←だからなに?
オシへの内容にほころびが出てきます←そうですね。
★ 信教・良心の自由←ん?思想・良心の自由は知ってますが・・・
▲ 憲法第19条 :思想及び良心の自由
☆ でしょうか。
人知を超えた《信じる(霊性)》について 信教・良心の自由をうたいたいと思います。
《考える(知性)および感じる(感性)》について 自己表現の自由として 信条・思想・学問・言論等々の自由を一括したいと思います。
★ 仮説なら貴殿の考え。自由です。
☆ はい。
★ 神が絶対なんてあり得ないので最悪。この世に絶対なるものはない。
☆ 《この世 つまり 経験世界》を超えたところ(そのチカラ)を 神とよぶのだと思います。
★ これは 話が別です←何が別なの?信仰の自由を述べてるんですけど。
☆ というのは:
★★ 宗教を信じる・信じない
☆ という表現があったもので それについて信仰の自由とは話が別だと言いました。
★ つまりは オシへは 思想です。←だからなに?
☆ すなわち 宗教は《考える》ものであり 《信じる》対象ではないという意味です。
★ オシへの内容にほころびが出てきます←そうですね。
☆ そのとおりだと思います。《信じる》問題では ほころびが出る出ないとは話が別なんだと思います。
No.4
- 回答日時:
質問者さんが勝手に神は絶対性であると断言しているだけ「神は絶対性である」と客観的かつ論理的に証明されていない以上質問それ自体に論理
性がありませんご回答をありがとうございます。
《経験事象を超えている――つまりたとえば有る無しを超えている また 因果関係から自由である――場またはチカラ》――これが 絶対性ですから――を 神の定義とします。
絶対性は 人知を超えているからには この定義も 想定上のものです。つまりは 仮説演繹法による神の規定であり その理論立てになります。
したがって:
★ 客観的かつ論理的に証明されていない以上
☆ という見方は 問題やこの仮説のことを誤解しまたそれを繰り返すということは曲解した言い分です。成り立ちません。
★ 客観
☆ というのは 経験事象についてその事象のまま(あるいは 事実そのもの)を人間の言葉で言い表わすことが出来ると前提したうえで成るその認識内容を言います。――じっさいには そのとおりには行かないはずです。近似値で 客観性としています。
経験事象を超えているものについて 事実認識にかかわる客観なる概念を持ち出してくるのは ただの科学音痴です。
No.5
- 回答日時:
神の絶対性にしろ普遍神の存在ににしろどちらにしても質問者さんの都合によるものでどちらも客観的かつ論理的に証明されていないことに変わりがありません
質問者さんがしていることは「布教活動」ですね
質問者さんの主張は哲学ではなく「普遍神」を神とする経典です
質問者さんの主張が経典であるからこそ質問者さんの主張に客観性も論理性も無いのです
《経験事象を超えている――つまりたとえば有る無しを超えている また 因果関係から自由であるその――場またはチカラ》・・・これが 絶対性ですからこれを 神の定義とします。
絶対性は 人知を超えているからには この定義も 想定上のものです。つまりは 仮説演繹法による神の規定であり その理論立てになります。
したがって:
★ 客観的かつ論理的に証明されていない以上
☆ という見方は 問題やこの仮説のことについて無知な言い分です。成り立ちません。
★ 客観
☆ というのは 経験事象についてその事象のまま(あるいは 事実そのもの)を人間の言葉で言い表わすことが出来ると前提したうえで成るその認識内容を言います。――じっさいには そのとおりには行かないはずです。近似値で 客観性としています。
経験事象を超えているものについて 事実認識にかかわる客観なる概念を持ち出してくるのは ただの科学音痴です。
経験科学である哲学について しっかりと知って心得るようにしなさい。
No.10
- 回答日時:
今度は発狂発言ですか?
ホントに質問者さんの知的レベルの低さが現れてますよ
普遍神の存在が科学的に実証されていない
普遍神が絶対性を有すると科学的によって実証されていない
上記の事実を無視し科学を愚弄しているのは質問者さん貴方ですよ
貴方の主張に科学的な根拠が無いのは確かでありかつ貴方の主張が客観的かつ論理的に正しいと貴方自身証明していないのですよ
上記から言えることは
普遍神はあくまで質問者さんの創造の産物に過ぎず
質問者さんの独断で普遍神のキャラクター付けしているだけですよ
質問者さんは真実の追求を放棄しひたすらに己の独断を正しいといい付けているのですよ
これはちまた宗教法人がしている事と何ら変わりあらません
ですから質問者さんのその主張は「経典」だと言えるのですし、質問者さんがしているとこは「普遍神をひろめる為」の布教活動だと言えるのです
そうでないと言いたいなら
普遍神の存在を客観的かつ論理的かつ科学的に実証すること
普遍神の絶対性を客観的かつ論理的かつ科学的に観測し確認することです
それを放棄している限り
普遍神は質問者さんの創造の産物であり
普遍神の絶対性は質問者さん独断によるキャラクター付けであり
普遍神を広める為の布教活動であり
質問者さんの主張は哲学をカモフラージュした経典に
変わりはありません
★ 今度は発狂発言ですか?
☆ 今回も つづいています。
★ ホントに質問者さんの知的レベルの低さが現れてますよ
☆ その理由説明が このあとあるんですよね?
★ 普遍神の存在が科学的に実証されていない
☆ 感性および知性たる人知を超えているものについて仮説演繹法によって 科学しているということを知らねばなりません。
★ 普遍神が絶対性を有すると科学的によって実証されていない
☆ 神は絶対性でありそれは 普遍神であるという仮説です。
★ 上記の事実を無視し科学を愚弄しているのは質問者さん貴方ですよ
☆ 事実は人知の固有にかかわる経験事象であり 神はその世界を超えていると知らねばなりません。
★ 貴方の主張に科学的な根拠が無いのは確かでありかつ貴方の主張が客観的かつ論理的に正しいと貴方自身証明していないのですよ
☆ 人間の認識に成る根拠があるか無いかを超えているものが 問題なのです。
★ 上記から言えることは
普遍神はあくまで質問者さんの創造の産物に過ぎず
☆ 常軌を逸している解釈です。
★ 質問者さんの独断で普遍神のキャラクター付けしているだけですよ
☆ 科学の仮説する理論は つねに独断から始まります。
★ 質問者さんは真実の追求を放棄しひたすらに己の独断を正しいといい付けているのですよ
☆ 具体的な例証を挙げて論じてみなさい。
あとは ミミズのたわごとです。
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