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江戸幕府が大政奉還によって終わったそうですが、その後の政府の名前はなんですか?

できれば近世の歴代の政府を教えて欲しいです。(近世以前からならよりうれしい)

また、今の政府は、日本国、前の戦争の時の大日本帝国(日本国) と同じ政府ですよね?

A 回答 (5件)

明治政府です。


大日本帝国となったのは、明治政府が大日本帝国憲法を作ったからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
では現在の政府と当時の明治政府は同じ政府ということで、江戸幕府が終わってから一度も日本は中央政府が変わっていないということですね?

近世の日本では革命が起きて、既存の政府が倒され、新政府が樹立されるということがあったはずですが、(明治維新?)これも教えてくれませんか?
質問が多くて申し訳ないです。返信してくれるとありがたいです。

お礼日時:2020/11/09 21:55

旧幕府軍と新政府の間で、戊辰戦争、がありこれに新政府が勝ち、明治維新、と言う政治改革が始まります。


新しい政治方針を天皇が神に誓う、五箇条の御誓文、が発布されます。
これを受けて、元号を、明治、に改元します。
江戸は、東京、と改名されます。
ここから、明治新政府の統治が始まります。
明治、大正、昭和と時代は進み、太平洋戦争が始まりやがて日本が敗戦して、アメリカに占領されます。
占領下の日本は、GHQの元で復興を始めましたが、GHQの命令下それまでの日本は全否定され、GHQの20代の女性通訳が1週間で書き上げた、日本国憲法、を受け入れ、サンフランシスコ講和条約を受け入れ、アメリカの占領から晴れて独立し、日本国となりました。
概略です。
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今の政府は、日本国、前の戦争の時の大日本帝国(日本国) と同じ政府ですよね?



違います。今の政府は自民党政府。
戦争敗戦GHQ占領独立と経て、その前の体制崩壊。
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大政奉還時時には徳川慶喜が新政府案をいくつか作らせていますが、実現していません。



その次は明治維新政府ですが、これは「天皇親政」で天皇の下には「太政官」が設けられました。通称は「明治政府」とか「維新政府」ですが、正式な政府の名称としては、やはり「太政官」でしょうか。

その後は憲法と国会が開設され、太政官は廃止。天皇が首相を指名(実際には元老・重臣たちの指名)した内閣が政府を率いることになる。ゆえに政府名は初代の第一次伊藤内閣など「首相名+内閣」と呼ばれる。

※大日本帝国憲法には首相の任命は天皇だが、どのように首相を決めて天皇に推薦するのかの規定が明記されていない。保守派の重鎮・岩倉具視を納得させるために、敢えて伊藤博文が明文化を見送ったと云われている。この辺の曖昧さが、軍部独裁・軍国主義化に繋がってしまった。
※そのため、首相を誰にするかは、元老・重臣達の合議で決まることが多かったが、大正デモクラシー時代は民権意識も高まっており、国会議員選挙で第一党となった党首(原敬)が首相になったこともある。

今の政府の首相は、憲法で選出方法が明文化されている。
・国会議員であること
・衆参両院で首相指名選挙を行い、首相が決定すること
・衆産両院で異なる首相が指名された場合、衆院指名者が優先されること

以上のように、太平洋戦争前と後の政府は異なる。
第一に憲法が大幅に変わり、第二に首相決定方法が恣意的なものから国政選挙と国会内の指名選挙へと民主的方法になっている。また、憲法には国政に軍人が参画できないことになっている。

政府組織自体も、中央官庁からは陸軍省・海軍省が廃止された。今は防衛省が造られているが、防衛省トップの防衛大臣には自衛隊員はなれない。戦前の最高指揮官は天皇だったが、今は内閣総理大臣だ。
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ちょっと誤解があるようです。



日本の「中央政府」と呼ばれるものは、すべて「天皇が直接指揮するか、または誰かに政治を託すように指示したもの」です。

だから平安時代までは「天皇が直接指揮を執る政府=朝廷」で鎌倉・室町幕府は「天皇が征夷大将軍を任命して、政治を任せる」ので幕府=日本政府、戦国時代は室町幕府が機能しなくなり「天皇は誰に任せるのか?」で争ったから戦国時代という無政府(一応室町幕府はあった)状態になり、秀吉が関白で政府を作るまで日本には有効な政府がなかった、とされるわけです。

そして秀吉が死去し徳川家康が天皇から征夷大将軍の任命をもらって徳川幕府を開いたわけです。

幕末になると15代将軍徳川慶喜は「そうだ!天皇に政治をお返ししよう」と思い立ち、大政奉還をします。

大政奉還を受けた時の天皇が明治天皇で、返されちゃったので大政奉還のその日から「明治朝廷復活」になります。

だから厳密に言うと、最初の明治政府は「大政奉還の日からの天皇直轄政府=朝廷」ということになるわけです。これを「王政復古」と呼びます。そして大政奉還の翌日からの明治政府は平安時代と同じ律令制に戻ったのです。

ただし、明治天皇は西洋文明に習って「立憲君主制」にするつもりでした。なので、
明治14年(1881年)「国会開設の詔」
明治18年(1885年) 国会開設を前提に内閣制度発足
明治22年(1889年) 大日本帝国憲法公布
明治23年(1890年) 帝国議会が発足
と言う形で立憲君主制に移行していきます。

なので、明治政府は実は
1868年~1890年までの天皇親政明治政府と1890年からの立憲君主制明治政府に分ける必要がある、といえばあります。

これを通常分けないのは、日本の中央政府は「天皇が直接行うか、誰かに任せるか」のどちらかで、明治天皇は憲法発布以降総理大臣を任命するとはいえ、一人の人物が居たからです。

現在の日本政府は、そういう点では立憲君主制のままですから、1890年から現在まで「天皇が総理大臣を任命する中央政府」ということでは、戦前の日本政府と全く同じ、ただ憲法は改正された、というだけです。(アメリカ憲法なんて戦後だけで6回改正(修正)されています)

だから衆議院の選挙は1890年の第一回から2017年の第48回選挙までずっと連番で数え続けています。これも「同じ中央政府」だからです。
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この回答へのお礼

他の方もありがとうございます。ベストアンサーに選んだ方が1番優れている回答かどうかは分かりませんが、システムの仕様上選びました。皆さんの回答はスクリーンショットで保存し、私の今後の勉強の参考とさせていただく貴重なものです。ほんとにありがとうございます。

お礼日時:2020/11/11 21:58

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