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1. 本覚は 仏性と同じことなのに・・・。

▲ (ヰキぺ:本覚) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%A6%9A

§ 1 概要
本覚とは、「本来の覚性」の意で、

一切の衆生に本来的に具有されている悟りの智慧を意味する。

如来蔵や仏性をさとりの面から説明したものとも考えられる。
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1-1. タターガタ・ガルバ(如来蔵)が――ブッダター(仏性)と同じことなので――あまり聞かない言葉でよいとしても 《本覚》は のちに触れるように理由があってのことのようですが やはり忘れられているように思われる。



2. 本覚がなぜ影がうすいのか?

▼ (コトバンク:本覚) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E8%A6%9A-134981

▽ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説[末木文美士]

仏教用語。
衆生に内在するさとりの本性。

『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』によると、
不覚(ふかく)(迷い)に対する覚(さとり)に始覚(しかく)と本覚があり、

迷いを滅してさとりに向かう始覚に対し、
その根拠となる衆生本来のさとりの要因を本覚とよび、

[ a ] さらにそれを性浄(しょうじょう)本覚(本覚を清浄なる本性からみたもの)と随染(ずいせん)本覚(迷妄のなかで活動している本覚)に分けている。

[ b ] のちに日本天台の本覚法門などでは、この本覚がただちに究極の真理である真如(しんにょ)と等しく、そのことを知れば修行の必要はないと説き、極端な現実肯定に陥った。

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2-1. [ b ]が――親鸞のばあいの《本願誇り》のようであり―― 本覚思想の不人気の理由らしい。

2-2. けれども その欠陥とされる《極端な現実肯定》は それがさとりでないことは自明だと思われる。つまりそれは 本覚思想ではないと言えば済むことではないのか?

2-3. [ a ]の《随染(ずいせん)本覚》(迷妄のなかで活動している本覚)に立つならば――つまりは 《無住処涅槃》でありあるいは《自未得度先度他》と同じゆえこれらの思想によるならば―― 地に足の着いた現実のさとりであるのではないか?



3. 日本人は つつしみ深く へりくだることを忘れるわけには行かず おいしいところは最後まで取っておくのであろうか? 取っておくのではなくすでにたどり着いているのだが ズバリ言うことだけは 避けるのか?

3-1. ひょっとして 《極端な謙虚志向に陥っている》? 

3-2. わたしたちは 《われわれがすでに一人ひとりそれぞれがブッダである》となぜ言わないのか? 

3-3. ――もし言うならば  自由でありつつ責任をむやみに回避できない《修行の道》に立つことができるのではないか? そこでこそ前史を終えて後史に立った修行ではないのか?

3-4. 自由かつ多様性なる主体性は そこから出発するはずだ。!?

A 回答 (2件)

nihongo wasuresou

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この回答へのお礼

ふむ。

お礼日時:2020/11/13 02:32

nihonngo nyuurokumo dekinaisi


mausumo ninsiki sarenaisi

bougaibakarisarete
gennronndannatu

honngakusisou nannte
wasuretemasita

tadatadataetemasu
ha chouhatubakari
asahishinnbunn
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この回答へのお礼

何もしてやれなくて・・・ですが。

お礼日時:2020/11/12 22:31

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