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征夷大将軍を「公方様」と呼ぶのは、何故でしょうか?

A 回答 (2件)

江戸幕府五代将軍綱吉のことを犬公方なんて言いますね。



公方(くぼう)は、前近代の日本において、国家に関する公(おおやけ)のことを体現する方面および国家的統治権、すなわち古い時代の天皇やその朝廷、鎌倉時代、室町時代の将軍に起源する言葉である。特に室町時代の後半には、将軍の公権力の代行者として君臨した足利将軍家の一族の者の肩書きとして用いられた。公方の称号を公方号という。また、将軍、公方の敬称として御所号が用いられた。

以上ウィキペディアのコピペ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%96%B9
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます。

仰るように、江戸幕府の将軍を「公方様」と良く聞きますが、
歴史上では、征夷大将軍の事を指して「公方様」と呼びます。
不思議でした。

勉強になりました。
ありがとうございました。

又、江戸幕府では「上様」とも言いますが、本来「お上(おかみ)」
とは、帝(天皇陛下)の事ですよね。

日本は、色々と呼び名があり、ややこしいですね。

お礼日時:2020/11/15 20:19

公(おおやけ)の立場で国家権力を執行する人を 公方 といい、鎌倉幕府以前は、天皇や公家の人も公方と言っていました。



鎌倉幕府が成立した後、征夷大将軍を指す言葉になりましたが、鎌倉幕府自体は源氏3代で終わり後の将軍職は名目だけの公家将軍が続き、北条氏の執権が政務を執行しています。

室町幕府になると、尊氏は公方という呼称が公家的であると嫌い、公方を名乗るのは3代目の義満以降です。
それまでの公方は源頼朝から続く3代だけが武家の公方ですから、武家の棟梁として北条氏や後醍醐天皇や新田義貞と戦い勝ち抜いた足利尊氏にとって、公家的な呼称は嫌だったのでしょうね。

室町幕府は東国の統治能力を補完するために、鎌倉に将軍の代理人として関東管領を置き、これを鎌倉公方と言いました。鎌倉公方は相続争いなどで分裂をして、古河公方と堀越公方と二つの公方に分裂し、末期には古河公方は更に小弓公方が分かれて、関東に3人の公方、京都にも征夷大将軍の公方というようなことになります。
東国では、公方の呼称が関東管領にまでインフレを起こしていますし、関東管領という役職も執事家の役職名になり、後に上杉謙信が関東管領職に就くまでになります。

江戸幕府になると、初代の家康が強い幕藩体制をしいて家光の頃に支配体制が確立します。
江戸幕府では、征夷大将軍=公方であり、国家権力を執行する人という本来の意味に戻っています。
とは言っても、末期の将軍はあまり求心力がないですが…。
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この回答へのお礼

助かりました

詳細な回答、ありがとうございます。
学校では、何故、公方と呼ぶのか?など細かい事は
学習しないので。

昔は、天皇(帝)や公家まで呼んでいたのは驚きでした。
確かに、天皇が露骨に政治介入していたのは「平安時代」。

その後の「鎌倉時代」以降は、征夷大将軍を指すようになったのですね。

お礼日時:2020/11/15 20:50

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