ネットが遅くてイライラしてない!?

「普遍神を含め如何なる神も絶対に存在しない世界=宇宙」
「何らかの神が存在している世界=宇宙」
の2つの選択肢「世界=宇宙」のうち私は「普遍神を含め如何なる神も存在していない世界=宇宙」を選択しました
何故なら私にとって神は不要で必然性がないからです
よって「私が見ている世界=宇宙」・「私にとって私が存在している世界=宇宙には普遍神を含め如何なる神も存在していません」
それはそれとして「何らかの神が存在している世界=宇宙」を選択している方々ヘ質問です
その選択理由をお教え下さい

質問者からの補足コメント

  • 何らかの神が存在している世界を選択したその理由をお尋ねしたその理由
    私の選択理由の対極だからです
    対極の見方捉え方考え方どちらも正しいとして受け止める事で「多極思考力向上」を図る為です

      補足日時:2020/11/16 19:39
  • 皆様方々ヘご回答有難うございます
    質問の趣旨を十二分にご理解されてるとても素晴らしいご回答を頂けてます
    潮時のようでもありますので明日中にご回答が無ければ閉めさせて頂きます

      補足日時:2020/11/17 10:53
  • トラディショナルさん・ナャンポコリンさんヘ
    ナャンポコリンさん宛の返答をトラディショナルさん宛に返答してしまいました
    申しわけございません

      補足日時:2020/11/17 16:16
  • そろそろ潮時のようですからこれにて質問を閉めさせて頂きます。
    ご回答有難うございます
    なお今回のベストアンサーは感情丸出し幼稚性全開の方の回答にさせて頂きました

      補足日時:2020/11/18 17:39

A 回答 (29件中1~10件)

エネルギーがゆらぎによって・・・ハ~


誰がゆらしたの
・・・それも自然って言うか、答えじゃねーな

ヌカリンさんの
狭い知識と浅い知恵、偏見と邪見と少ない体験で結論するとは
生意気な小僧だと思われないようにしましょう

名だたる科学者は宗教を否定しない
知れば知るほど謙虚になるんだよ
生意気にならずに
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
そうですかそりゃどうも

お礼日時:2020/11/17 09:30

精神機能の発達に伴う必然としての


神という概念の萌芽。
そのレベルを超える神の存在可能性。
数字のマジックがそのカギを握るような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます

お礼日時:2020/11/17 22:22

キサラギXよ。


思索する。<(賢人に)聞く。<見る(観る)。
だよ。
哲学では思索する、瞬時に見る、ということがある。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
そうですか。それは知りませんでした。
ご教授有難うございます
それはそれとして
全ての事象・現象はエネルギーの能力によるものであり全ての事象・現象の「本来の姿」はエネルギーです。
エネルギー自らその状態を変える事で何らかの事象・現象として観測されるのです。それは生命現象にも言える事なのです。
エネルギー自らその状態を変えさせる要因それはエネルギーが持つ不確定性と言う性質による「ゆらぎ」です
エネルギーが自ら有する不確定性にゆらぎによってエネルギーは常にその状態を変え続けているのです。
それによって全て事象・現象が発生しているのです。生命現象も同様です
上記を踏まえて言えば回答者さんが仰っている「宇宙生命の中の働き」とは「エネルギーのゆらぎ」となるでしょう
そうであるなら「エネルギーのゆらぎ」を神に置き換えなければならない必然性は無いと思います

お礼日時:2020/11/17 16:11

真面な 応答を、


貰えて いないけどね。
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この回答へのお礼

あら〜間違ってますよ。チミのお相手ブラさんの質問じゃないですよ

お礼日時:2020/11/17 15:34

ふむ。



>神に関するあらゆる概念も包括しています

と仰いますが、東洋哲学の中の大乗仏教の哲学(法華経です)では、神とは
宇宙生命の中の「働き」であるとしています。とするならば、私もムカリンさんも、自然の働き、生命の働きによって成り立っているということになり、その神は不要どころか絶対的必然性があるということになります。

神に関するあらゆる概念が包括されていない、ということを申し上げたい。
おそらく、ご存じなかったと思います。
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>2つの選択肢「世界=宇宙」のうち私は「普遍神を含め如何なる神も存在していない世界=宇宙」を選択しました



なるほど。
このカテでの「神論」についてはほとんど読んでいないことをお知らせしておきますが、この質問での「普遍神」とは西洋哲学的概念であると思いますが違いますでしょうか?

そうだとするならば、東洋哲学的「神」の概念が無視されていると思います。東洋哲学が哲学にあらずということ、あるいは西洋哲学を基準に考えるべきであるということならば、私は議論により高度な普遍性がないと思います。

私は、東洋哲学的「神」が存在するという立場です。
それは、例えば自然のシステム(まだすべて解明されていない)あるいは、人体の複雑なシステムは、「宇宙の摂理」と呼んでいいものによって成り立っていて、その摂理のことを「神」と呼んでいるのが東洋哲学の内の一部であると考えているからです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
普遍神は普遍神の提唱者さんが仰っている普遍神のことです
尚「如何なる神」とはあらゆる神の意味を含めています
西洋哲学的概念・東洋哲学的概念日曜とどまらず神に関するあらゆる概念も包括しています

お礼日時:2020/11/17 11:28

詳しくないのですが、自分的な考えだと相対的な神は存在すると思ってます(絶対神は否定します)。



理由:
すべてが自然で発生するには、あまりにも理解不能な現象が多すぎます。
そもそもその自然(法則?)だって、誰かしらが定義づけしたと思うのです。

例えば生物1つの構造だって、偶然の産物で似たような構造ってちょっと考えられないのです。

 同じように人間はまだまだシンプルですが機械(AI)を産み出しました。
その機械は与えられたプログラミングの範疇で動きます。でもそのプログラミング(法則)を定義したのは人間であり、AIからみたら相対的神だと思うのです。

意図せずにそもそも生物が産まれるのか?
この世界はすべて偶然の産物によって形成されているのか?

そう考えると、相対的な神が居ないと否定できる根拠も乏しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます

お礼日時:2020/11/17 07:36

ムカリンさん、



この哲学のスレッドで回答する人は哲学やった事がない人が大半なんです。
ご質問の内容は哲学的思索を重ねた人には良い質問かもしれないがここでは空振りではござらぬか?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます
難しい話し話し何一つしてません。実にシンプルな質問です
ただここのカテで「普遍神を含め如何なる神も絶対に存在していない世界=宇宙」が存在しているという事実が受け入れられない人達がこの質問に過敏に反応しているだけですね

お礼日時:2020/11/17 05:32

神の存在を認めず、神の無い世界観を想起することもある。

それはどう言う時かと言うと、生物とは何かを考えた時。有象無象が無数に湧いては埋もれて行くこの現象を想像して見て、なぜ自分は自分なのかとか、この現象の先には何があるのか?とか、この現象の生じた理由や意味について、物的に考える。

一方で、神の存在を認め神の在る世界観でいる時には、個と全の関係や、魂について、霊的なものの働きについて、生命について、この世について、生き方、人について、などを考える。

中学生の頃、死ねば無になると思っていた。青年期に上がる頃、ある種の見神体験、禅的悟りを経て、神は全一者であると知り、またそれは無と分かれてはいない(一切本来無一物である)ことを知った(見た)。

この経験に従って私の神観が形作られ、神の在る世界観が見出された。

内側は外側であり、在るは無く、言語を超えた世界を見た私はそれを言語で表現することに無理があることを承知で、幾らか言葉を紡ぐ事にした。

見神体験や悟りの記録は古今東西に残っていて別に珍しいものではない。脳科学が進めばその時人体に何が起こったのかも調べがつくかもしれない。
しかし、人生に起こる諸々、人生で見る諸々についてを、物的現象として解釈しただけでは意味は生じない。人が自ら、目にしたそれを、起きたそれを意味あるものにしてこそ、その現象が生きるようになる。

例えば、XY座標に極めて正確に色を置いていけば、想定した通りの名画が出来上がると考える人と、絵画は始めから終わりまで絵心によって描かれるものであると考える人がいる様なものである。
前者は印刷機のようなものであり、後者は画家の様なものである。

印刷機の様な思考が必要な時もあれば、画家のような思考も必要な時がある。

これらを合わせれば必ず名画が完成するとは言えないが、写す(イメージを写すと言うことも含めて)、と言う行為が全く抜け落ちた絵画が存在しないように、本来この二つは融合していて切り離せない。それが現実の実情だろう。

神の存在しない世界も、神が存在する世界も、同じことのように思う。物的世界観と人的世界観、現実にはこの二つは切り離せない。深く融合していて、どちらかを選ぶことは出来ない。ただ、思考の領域において、どちらかの世界観を一時的に取る事は可能だろう。

選択について
人は出会いを選択することはできない。交通事故に遭遇する未来を選択する人がいなくても、毎年、万を超える人が交通事故に遭う。
また、こんな素敵な人との出会いがあったのかと嬉しくなることもあれば、最悪な奴との出会いだったと後悔することもある。

見神体験や悟りに限らず、人生における巡り合わせは予見出来ない性質のものがほとんどである。人間も含めこの世には恒常性が働いているが、人生やこの世に意味を持たせられるのは、予見出来ない出会いに満ちているからとも言える。
予測できるだけの世界は、読者の居ない小説のようなもので存在する意味がない。

全一なる者が無ければ、この世はおそらく混沌である。混沌においては存在は形作られない。認識も成立しない。

このように私は考えている。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます

お礼日時:2020/11/17 05:20

目の前に りんごがある。



あるものを、

あるや ないや、
どうこう いうものは、
唯の 馬鹿だよな?


さて、

此処に 私がある。


あるものを、

あるや ないや、
どうこう いうものは、
唯の 馬鹿だよな?
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この回答へのお礼

ノベルチャンのお相手はブラさんだからね。じゃね

お礼日時:2020/11/16 23:25

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