【無料配信♪】Renta !全タテコミ作品第1話

歴史の質問です。
明治時代の朝鮮開国のあとの日本の外交や防衛の課題や制作の展開を教えてください。主権線利益線演説や壬午軍乱、日清戦争、日露戦争、日韓協約などをベースに教えてください。

A 回答 (1件)

それは学校の課題なのかも知れませんが、かなり項目が多くて長文になるでしょうね。

ご自分で各項目をお調べになって書くしかありません。私は知識がなくて概略さえ分かりませんが、それでもアドバイスするなら、加藤陽子(東大教授)の本をお勧めしたいです。加藤の専門は日本近現代史で、最近ニュースになってる日本学術会議の、政府に任命拒否された六人のうちの一人です。

加藤の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)によれば、山縣有朋(当時の最高実力者の一人)は1904年1月まで、つまり日露開戦(2月8日)の一カ月前まで戦争に反対していたそうです。「日本は朝鮮問題では譲れないが、満州問題ではロシア側に譲ってもいいじゃないか」と外交交渉に期待をかけていました(いわゆる満韓交換論)。ロシア側は朝鮮よりも満州に執着しており、満韓交換論はうまく行きそうと、日本側は見込んでいました。
ところが、アレクセーエフという極東総督がロシア皇帝に進言して、「満州に鉄道を通すよりも、朝鮮半島を押さえるほうが安上がりです。それは日本と対決することになりますが、日本なんて弱いです」と言ったそうです。これにより、ロシアは満韓交換論を拒否して、対する日本は開戦を決意しました。
つまり、日露戦争も日清戦争と同様、朝鮮半島の奪い合いが原因だったということです。

日露戦争が起きた原因として、左翼の歴史学者は唯物史観で考えて、帝国主義段階に達した日本が満州に進出するため、ロシアに戦いを仕掛けたという説を唱えました。しかし、加藤陽子は左翼学者ではなく、日露戦争の直接の原因は朝鮮半島の奪い合いだったという説です。しかも、戦争を避けたがっていたのはロシアより日本の方と説明します。
それでも、加藤はネトウヨとは異なり、「日本は悪くない。ロシアの方こそ戦争したがっていたんだ」などとは主張しません。ロシアが日本に譲歩しなかったのは、日本が「朝鮮問題では譲れない」と国際的にアピールするのを怠ったからだと、加藤は指摘します。むしろ、日本は満州に対する野心を表明しがちでした。そのため、満韓交換論を提案してもロシアに鼻で笑われたということです。
以上、要するに私が言いたいのは、加藤陽子は左翼ともネトウヨとも違うということです。ご質問者もこういう具合に、朝鮮開国のあとの日本の外交は、日清戦争でも日露戦争でも朝鮮問題が深く影を落としていたと、論旨を展開してみてはいかがでしょうか。

最近は図書館や書店まで行かなくても、ネットのキンドル版などで買えるので便利です。クレジットカードが無くても、アマゾンギフト券でも買えるし。アマゾンギフト券はコンビニなどにもあるようです。
加藤陽子は伊藤隆の弟子で、伊藤は右翼的です。加藤は右翼までは行きませんが保守的です。伊藤は「新しい歴史教科書をつくる会」にかかわっていました。一方、加藤は山川出版社の『詳説日本史』の近現代史部分を執筆しています。『詳説日本史』は昔から「東大受験生必携」と言われるほど評価が高いです。
つまり、加藤が安倍政権の政策に反対したといっても、たとえるなら自民党内でハト派がタカ派に反対するようなものでした。ところが、ネットでは「加藤陽子は左翼」などと言いふらすのだから、どんだけゆがんでるのって話です。ネットに張り付いてる連中は、しばしば判断基準がゆがんでいます。
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