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筆硯煙草を子等は棺に入る名乗りがたかりわれを愛できと・・・この歌は以前にも質問されていましたが、私は音読みを教えていただきたく書き込ませてもらいました。”棺”はひつぎと読むのでしょうか。”入る”は、「いれる」と音読していいのでしょうか。”愛でき”は「めでき」と音読していいのでしょうか。

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読み方 目」に関するQ&A: 編み目の読み方

A 回答 (2件)

こんばんは



五七五七七で読むと

「ふですずり、たばこをこらは、かんにいる
なのりがたかり、われをめできと」

と、なるのではないかと思われますが………
「棺」はお棺(おかん)の「かん」ですね。
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この回答へのお礼

早々教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2005/02/07 11:34

 #1さんのおっしゃるとおりでいいと思います。



 ご主人の鉄幹が亡くなった時の歌ですね。晶子の歌は文語(古語)ですし、この歌も「がたかり」「愛で『き』」と文語が用いられているので、「入る」も文語(ラ行下二段活用)で「いる」と読むべきです。「いれる」は口語(現代語)の読み方です(ラ行下一段活用)。

 したがって、三句目は五七五七七の「五」ですから、「かんにいる」です。「ひつぎ」と読むと六音で字余りでリズムがくずれます。(「ひつぎにいれる」と読んでしまうと、五音のところが、七音になってしまいます。)

 「愛でき」は文語のダ行下二段活用の動詞「めづ」の連用形「めで」に同じく文語の過去の助動詞「き」の終止形がついたもので、おっしゃるとおり「めでき」でいいです。

 なお、「私は音読みを教えていただきたく」とお書きになっていますが、「音読み」は普通、「山」という字を「やま」と読む(=訓読み)のに対し、(昔の中国の発音に基づいて)「さん」と読むような場合の読み方のことをいいますので、後でお書きになっているように、「音読」という語を用いて、「音読の仕方を教えていただきたく」という方がいいと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。いちいち納得してわかりました。またわからないことが出てくると思います。今後ともよろしくお願いいたします。

お礼日時:2005/02/07 11:32

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Q与謝野晶子の詩について

 与謝野晶子の詩で、ねずみを題材にした詩があったと思うのですが、ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

「晶子詩篇全集」雲片片(小曲五十六章)の章にある2つ目の詩です(初出 「詩十章」明星 昭二・一)。
「青空文庫」で公開されています。





わが家(いへ)の天井に鼠(ねずみ)栖(す)めり、
きしきしと音するは
鑿(のみ)とりて像を彫(きざ)む人
夜(よ)も寝ぬが如(ごと)し。
またその妻と踊りては
廻るひびき
競馬の勢(きほひ)あり。
わが物書く上に
屋根裏の砂ぼこり
はらはらと散るも
彼等いかで知らん。
されど我は思ふ、
我は鼠(ねずみ)と共に栖(す)めるなり、
彼等に食ひ物あれ、
よき温かき巣あれ、
天井に孔(あな)をも開(あ)けて
折折(をりをり)に我を覗(のぞ)けよ。

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/card2557.html

Q与謝野晶子の歌ですか?

 知り合いの外国人からこの歌の意味を知りたいと聞かれたのですが、どなたかご存知でしょうか?与謝野晶子さんの歌らしいのですが・・。
 
 ゆく春の 祇園はかなし 舞姫が
    稽古帰りの 後ろ姿も

 「はかなし」なのか「祇園は、悲し」なのかあいまいです。「舞姫」は「まいこ」と読むようです。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

吉井勇は有名な歌人で「祇園双紙」には「舞姫と僧と」という歌を連ねて、お話もののようになっている章があります。
吉井勇は「祇園歌集」でも祇園の女性を表記するのに舞姫を使っています。音からしてそのまま「まいひめ」と読ませるのが自然です。「まいこ」では変です。
与謝野晶子も同じような趣旨で祇園の女性を舞姫(まいひめ)と歌で詠んでおり、これは吉井と与謝野の共通点「明星」同人に見られる独特の言い回しではないかと思います。
「はなかし」か「は、かなし」かですが、これは「は、かなし」と読ませるのが自然だと思います。逝く春の祇園への愛惜の念(かなし)、まあ情緒とでも置き換えるとわかりやすいと思います。そういうのを舞姫と洒落てますが、舞姫は、まあ祇園の舞妓か芸妓か、わざわざ「舞姫」と言ってるのだから芸妓ではなくて舞妓をイメージしてると思いますが、その踊りかなにかの稽古の後ろ姿に情趣を感じてる訳です。
歌は見たとおりで、そんなに深い意味のある歌ではないかと思います。
 
蛇足ですが吉井勇は黒沢明「生きる」の中で主人公がブランコで歌う「いのち短し恋せよ乙女」の歌を作詞した人です。その外人さんが映画通?ならこうした話も喜ぶのではないでしょうか。
 
吉井勇は華族出身の歌人ですが、歌をみてもわかるごとく祇園に入り浸り、晩年は住まいも京都に移した人です。古書店などで短冊は与謝野晶子と並ぶほどよく見かけますが、いまでは戦前ほど知名度は高くありません。

吉井勇は有名な歌人で「祇園双紙」には「舞姫と僧と」という歌を連ねて、お話もののようになっている章があります。
吉井勇は「祇園歌集」でも祇園の女性を表記するのに舞姫を使っています。音からしてそのまま「まいひめ」と読ませるのが自然です。「まいこ」では変です。
与謝野晶子も同じような趣旨で祇園の女性を舞姫(まいひめ)と歌で詠んでおり、これは吉井と与謝野の共通点「明星」同人に見られる独特の言い回しではないかと思います。
「はなかし」か「は、かなし」かですが、これは「は、かなし」と...続きを読む

Q訳してみたのですが...

こんにちは。

与謝野晶子の短歌、

「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟」

を次のように、訳してみました。おかしいでしょうか。


ああ、五月のフランス!
野には、一面、真紅のひなげし...
まるで燃えるようです。
そして(恋をしている)あなたと私は、
まるで、ひなげしみたいですね。

Aベストアンサー

与謝野晶子は鉄幹に呼び寄せられ1912年5月5日に新橋を旅立ちウラジヲストック経由
シベリア鉄道で一人パリに向かった。結婚11年にして、夫の対してそれほどの情熱が
あったそうです。1912年5月19日パリについた。
車窓の窓掛けの間から野生の日なげしの燃えるような緋の色が見えるとのべ
4時ジャストについた駅には、夫が地人動向で迎えに来てくれていた。
「三千里我が恋人のかたはらに柳のわたの散る日に来る」夫寛三十九歳、晶子三十三歳
彼女は夫寛を「恋人」と断言するかのように言っています。

二人は人目もはばからずひしと抱き合ったでしょうか、私はそうしなかった分
内に燃える情熱は激しいものだったと思います。
質問者さんの訳はおかしくないと思います。

ひなげしはコクリコと呼ばせているようですルビが振ってありました。

燃える火の色の様なコクリコそして貴方もコクリコ私もコクリコでよいのではと思います。
好みですね・

Q与謝野晶子と大東亜戦争

与謝野晶子は日露戦争時に「君死に給うことなかれ」を発表し、
論議を呼んでいます。
感情的反戦論者だったと思います。
それが昭和に入り、日中戦争、大東亜戦争のときの戦争に対する態度は
どうだったのでしょうか?
夫の与謝野寛が、「爆弾三勇士」の歌詞を作るなど皇軍賛美の風潮がつよかったので、
反戦思想の歌は発表しにくなったと思います。
或いは、多くの歌人、詩人がそうだったように時局におもねり、皇軍賛美のような歌を発表していたのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

与謝野晶子の一貫性の無さは広く知られているところです。

与謝野鉄幹はますらお振りとか称する恰好だけの男、いいコンビです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E6%99%B6%E5%AD%90


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