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「愛と死をみつめて」という古い映画作品をBSで観ました。

彼氏が中央大学、彼女が同志社大学の学生でしたが、
昭和38年当時の日本では、
大学生というだけで、
それなりのエリート扱いだったのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (9件)

大学への進学率が20%以下の時代でしょう。



それなりのエリート扱いだったと
思われます。

大学紛争などは、昭和35年頃から
発生したもので、当時の大学生にエリート
意識があったのも一因でした。

我々エリートが、大衆を引っぱるのだ。

そういう具合ですね。
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中央と同志社。

当時は頭と金を備えてましたから超エリートです。貧しい方は国立です。

今でもGMARCH、関関同立と言われているのですからこの世でもエリートです。

エリートでないと言う人は負け犬の遠吠え。
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まあ、それなりの大学進学率があったので、エリートというほどではない。


そもそも、当時でもバカ大学と言われるような大学もあった。
「ポ○キ○カ○」というのもその頃からあった言い方。
前の方の回答にもあるように、京都なら、京大は別格で、同志社はちょっと賢い子が行く大学で、立命館は普通の子が行く大学で、それ以下の大学は、それ以下の子が行くところという程度の認識があったらしい。
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国立大学はエリートです。


私立大学は授業料が高く(月2万円位)、金持ちの子弟しか進学
出来ませんでした。
よいとまけの唄のつるはしとスコップの土方仕事はニコヨンと呼ばれ、
日当が地方では254円でした。
オリンピック特需の東京では、もう少し日当は貰えたようですが。
発売されたばかりのトヨタのカローラが32万円で、ドカチンの年収
でも買えませんでした。
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でもしか先生というのが流行った時代ですね。


大学は出たけれど、先生にでもなろうか、
というか先生にしかなれない。
世はベビーブームで先生不足の時代でした。
それなりのエリートでは?
今はなりたくてもなれないし、
なりたい人もいない時代です。
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エリートだし


実家も裕福
交友関係もそれなりであったと思いますよ。

まこ、
甘えてばかりでごめんね♪

みたいな歌詞でしたね笑
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エリートではない。


私学に行けるのはお金持ち。
旧帝大生は地元では尊敬されていました。
京都での呼称は、
京大は京大はん。同志社は同やん。立命は立ちゃん。
旧三高の寮歌には憧れていました。
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昭和38年と言えば私が中学生の頃ですね。

それ以前は大学生は少なく最高学府の人として一目置かれていました。しかし30年代後半から40年代にかけては大学生が量産されてきて特にエリートでもないです。まあベビーブームに生まれたころの人が高校生や大学生になる時期ですので国民の3割くらいが大学に行っていたころですのでそれほど一目置かれていたほどではありません。
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そう思いますよ、しかも私立だし。


その時代大学まで行く人なんてほんと一握りだったでしょうしね。
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