
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
足利尊氏・直義兄弟と、執事の高師直の三人は、室町幕府創成の最重要人物だが、この三人の関係ほど紆余曲折に満ちた物語はないだろう。
三人とも個性が滅茶苦茶強く、しかも方向性がバラバラだった。
尊氏は、文武に優れた人物であり、普段は欲がなく清廉で陰謀めいたことは大嫌い。後には隠遁志向を強く見せるほどで、北朝を立てて室町幕府を造った後も南朝の後醍醐天皇を強く敬慕する妙な人だった。
ところが、急場になると火事場の馬鹿力を発揮して勇猛果敢に振舞い、戦場の空気を一変させるカリスマ性を持っていた。
直義は、兄と同じく文才は豊かだったが、基本は糞真面目の理想家で、理想実現のためには汚い手を使うことも厭わない剛毅な人物。陰謀も闇討ちも厭わなかったが、理想に拘るあまり、柔軟性がないという弱点があった。そのために、兄尊氏との最後の戦いで敗北した。
師直も文武に優れた人物だった。北朝を代表する武将と評価されているが、直義との論戦もいい勝負をしている。個人的には論理性では師直が上と思う。
極めて論理的思考の持ち主で、それが合戦時に活きている。また幕府成立後は、尊氏が隠遁を決め込んだため、直義と師直が政務をみていたが、理想一直線の直義と、論理的に現実をみて政策を決めていく師直の仲が決裂したのは当然の成り行きだっただろう。
将としての軍才は、明らかに尊氏と師直が上だ。そして尊氏は、最終的に理想家の弟・直義ではなく、現実家の執事・師直と組むことを選んだ。
この両者の戦いに、直義は一度だけ勝った。
師直の襲撃に引退を余儀なくされた直義が、尊氏・師直の九州出陣中に、南朝と手を組むで畿内制圧に成功し、急ぎ戻った尊氏・師直軍を破ったときだ。やむなく恭順した師直を、直義は尊氏との約束を守らず、暗殺することになる。
ところが、ここで尊氏はやる気モード全開となり、直義が手を組んだはずの南朝に恭順して直義追討の宣旨を貰うことで一気に形勢を逆転。直義軍を殲滅して直義は幽閉されてそのまま死を迎えることになった。
直義が南朝と手を組んだ際にも、直義の理想を追求するあまりの柔軟性の無さが出ていた。立場を考えれば上辺だけでも南朝側に条件を譲っても良かったはずだが、直義にはそれが出来ずに南朝側には不信感があったのだ。
そして尊氏にそこを突かれて南朝の兵力を奪われ、最終的な敗北を招いてしまった。
理想を追求するのは悪いことではないと思うが、そのために汚い手を使ったり、現実を見失うと、どうなるか…。直義の生き様は、その歴史的教訓のひとつになるのだろうか。
No.5
- 回答日時:
理由はいろいろ考えられます
初めに戦っている軍勢どうしは、互いに備えた陣形で戦っているわけなので
新手が現れると陣形的にその対応には苦慮するはずです
さらには、陣形が既に乱れてしまっていたとしたならなおのこと苦戦することでしょう
(相手に新手が現れたら、味方の援護に対応して欲しいところ)
まして、新手が正面からではなく
横からくればそれは横やりで
背後からくれば、それは挟み撃ち
いずれも陣形的に非常に対処しずらくて不利になることが容易に想像されます
また、意図しない援軍が相手方に来れば
よもやここに敵兵は現れまいと思っていたところに敵兵が現れるわけですから、味方が大混乱に陥り、総崩れになったなんていう例は多数ありますよね
(意図しない軍勢が現れる一例としては伏兵です
別の例としては 厳島の戦い・賤ケ岳の戦いや小牧長久手などにおける
毛利軍・羽柴軍・徳川軍の奇襲攻撃 などなど
いずれも敗れた側は、相手の素早い兵の移動を見抜けず
こんなところに敵軍はいないだろうと油断していたところを急襲されて
総崩れになったという事例です)
また、疲れもあります
初めから戦っていた軍勢はすでに疲労しています
そこへ、フレッシュな新手が援護に現れれば
つかれていないほうがパワフルに戦えるのは道理ですよね
むろん兵力差もあります
新手が加わればそれだけで、相手方は兵力差がついたことに動揺することでしょう
相手方は指揮が下がり、敵前逃亡するものも出てくるかもしれません
ちなみに、兵力集中の法則というものがありますから
基本的に兵力が多いほうが有利なのです
さらに、軍勢を率いる大将によって、配下の将兵の指揮は変わります
頼りない大将よりも、頼もしい大将のもとにいる将兵の指揮は高く
勇猛果敢に戦ってくれるということはよくあったようです
No.2
- 回答日時:
足利尊氏や高師直は武将でしたからね。
足利直義の場合は、むしろ文官のようなイメージを関jます。もしろん軍勢の差もあったでしょう。
それに尊氏の人間的魅力もあり士気が高かったということもあるようですね。
楠木正成も尊氏と和睦するように後醍醐天皇に進言しているぐらいです。
ウィキにはこうあります。
---以下引用
尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石が次の3点から説明している(『梅松論』)。
1つ、心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。
2つ、生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。
3つ、心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。
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