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鎌倉幕府二代将軍の頼家は政子の子であり、時政の孫です。比企氏が姑と言っても北条の血を引いています。頼家の息子の一幡を殺したり頼家を失脚させても政子は反対しなかったのでしようか?

gooドクター

A 回答 (4件)

お礼について



①和田氏ではなく梶原氏でした。失礼しました。

②事の本質は、北条vs梶原・比企ではなく、将軍頼家vs北条(特に時政)の戦いであり、梶原・比企、特に比企氏は頼家が頼りにしたために巻き添えを食ったということではないでしょうか。もちろん、梶原・比企にしても野心はあったでしょうから単純に巻き添えを食ったというだけではないと思いますが。

おそらく頼家と時政は相当仲が悪かったのではないでしょうか。母政子にしても、息子が自分の実家の北条に頼らずに、他の北条以上の有力氏族に頼り、北条に敵対する姿を見ては如何ともしがたいと思われます。
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将軍の最大の職務は、御家人たちの揉め事を判断して裁決することだ。


父・頼朝は非常にさじ加減が巧みだったと云われるが、頼家は独善的で方々から非難が殺到したと云われる。

しかも、政子の実家の北条よりも、和田氏や比企氏といった北条氏のライバルに近づき、北条討伐の兵を挙げてまでいる。

母としても息子とはいえ、庇いきれず、見放さざるを得なかった。ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ただ、和田合戦は実朝の時代です。比企能員の打たれ方、比企一族の滅亡を見ると北条側の一方的攻撃であり、比企一族が反乱を企てていたとは考えずらいと思います。頼家が比企一族に近づいていたのは間違いありませんが、そこまで北条氏は追いつめられてはいなかったと思います。主導権握るためにそこまでやるか?というのが本音で、時政こそ恐るべき謀略家だと思います。政子も追認したのでしょうけれども、そこまでするか、という疑念は残ります。

お礼日時:2020/11/25 21:23

本当の理由は本人に聞くしかないでしょうが、勝手な想像をすれば、頼家は比企氏、実朝は京都の公家勢力に傾いてしまったからだと思います。

政子にとって最も大事なのは実家である北条一門であり、その視点から考えれば、二人の成人した子供は「役に立たない」と思ったのでしょう。「承久の乱」の時の有名な演説?でも「頼朝」をたてているように見えますが、結局は「北条一門」の政治的優位を確立するという狙いが感じられます。ある意味男性的な「戦国大名」のようなイメージの女性で、そこは「日野富子」と大きく違っているところだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。時政は頼家失脚の当事者ですが、政子がどの程度知っていたのかわかりません。ただ、政子のその後を考えるとそれなりの発言力があったと思うのです。政子の追認がなければ成り立たないと思います。やはり北条氏を優先したというのは怖いけれども真実かも知れませんね。

お礼日時:2020/11/25 21:08

政子は下の病気で子どもが授からない体だったという説もあります。


そう考えれば、頼家や実朝を殺した訳がわかるような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ただ、それはあまり認めらた話しではありません。

お礼日時:2020/11/25 05:00

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