システムメンテナンスのお知らせ

我思う故に我ありと言う「我」と言うのも精神のことではと思います 多分。

我という存在ですね。

その存在が我々であり 我々は精神ではないかと思うのですが

問題は その我々である精神は何者か?なんで出来ているのか?と言うことです?

こうではないかという方 いらっしゃったら是非教えて下さい。

クオリアでしょうか?微弱な電気でしょうか?それとも・・・

gooドクター

A 回答 (19件中1~10件)

精神とは何ぞや?ハルさんがたまに問うすごい問題ですね。



「我」という言葉はいい線言っていると思います。

科学的には脳細胞から発する微弱な電気だとか、クオリアだとかいう
考え方があって、「科学ではそのように解明している」という人がい
ますが、これらは仮説の中の仮説ですよね?
これは、哲学的には唯物論の範疇を出ない考え方であって、この難問
を解決できないでしょう。

また西洋哲学も、私の知る範囲では「クオリア」という概念を立てて
いることと大差ないと思っています。

仏教哲学に至り、天親らの「唯識論」、天台(智顗)の「一念三千」等
の哲学理論で初めて物質と精神の関係性を論じています。
これにより私は納得しかかっています(正直に言おう)。しかし、難し
いです。

この難問について、物質面のみからのアプローチでゆこうという態度自
体に無理があると思います。

仏教哲学を信じる信じないの問題ではなく、その考え方を包摂する立場
に立って、西洋哲学あるいは科学と対比して思索してゆくことが重要で
あり、科学にのみ執着していると、頭が固くなって思考力が衰退します。

科学的思考って楽だからです。cyototu先生がそういう意味のことをチラ
ッと言っていたことがあります。

脳はいくつになっても総合的な思考力は発達を続けるという説があるそう
ですよ。
記憶力とか計算力が落ちてもね。

物質と精神の二重性が存在というもので、その本体は「いのち」、つまり
精神とは「いのち」の片面。

今は、これが私の答えです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Thank you

つまりお気づきだと思いますが 精神と物質 哲学、宗教と科学の間には

埋め切れてない溝があって統一調和してないのです

その辺の問題は霊とか微弱な電波とか言葉が不足していて

私は「性質」という言葉で埋めていますが 言葉の問題も大きいのです

霊を科学で論じる事が難しく 科学的事実を宗教や哲学は把握しきれていません。

「いのち」「命」と言う言葉も必要だと思います。しかし命とは普通は生命の事を言います。生命と精神は違うのです。

また教えて下さい。

お礼日時:2020/12/06 20:53

#20


諡 は私のPCでも変換されません。常識問題です。諡とは、その人の死後、贈られる人徳の高さを主に表します。常識問題です。
    • good
    • 0

徳は何処でもない、他ならぬ自らのこころに積むものなのです。

なので、俺は徳を積んでるぞ!なんてひけらかす必要は無いし、僕は徳が足りないんですぅ、、などと他者と比べて落ち込むものでも無い。
意識的でも無意識的でもどちらでも構わない。何となくでも一生懸命でも構わない。
しかし、ふと、徳を積む場合が多いとは思う。意識してやるとぎこちなくなる。素直に、、という事です。

もしイエスやソクラテスが自身の言葉を曲げて生き残っていたなら、彼らの言葉は生き残らなかったかも知れない。どちらが良かったのか、それは私ちは分からない。

もし、徳を天に積めば天の役人に没収されるのではないですか?
知らんけどw
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Thank you

仰るとおりです。徳は天に積むは 天国に積むという事です

天国は人の心の中にあります 自分の心の中にある理想の天国に徳を積めば

人も助かり自分も納得がいくという仕掛けです。

お礼日時:2020/12/03 19:29

#14



難しくもなんともないですよ。

字は、あざなと呼びます。
諡は、おくりなと呼びます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おくりなですか 変換しても出てきません。

僕のPCがぼろいのでしょう 多分。

お礼日時:2020/12/03 15:10

精神は、食欲で出来てるかも?


( ̄~ ̄;)
だって、食べなきゃ死ぬもんね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

精神には欲望も影響するでしょうねえ

食べると体が維持されて 脳が働いて精神が働きます

食べなきゃ脳に糖分が行かずに 人間らしくなくなるでしょう。

お礼日時:2020/12/01 23:12

哲学に答えなどありません。

確証は経験からしかうまれません。
「『死』を知りたきゃ死んでみろ」というカントの哲学をご存知でしょうか
これはそういうことを言っています。
哲学はある意味では詭弁であり、そこでは”証明”する能力というよりは”説得”する能力が要求されます。そして哲学はおそらく主観です。真理は
神or創造者(もしそういう存在がいたとして)のみぞ知るのでしょうか。
まぁいずれにせよ我々には真理を知る術はありません。
そういうことを踏まえた上で私はあなたを”説得”します。

科学を自明視する立場をとるならば、おそらく私(というか私の精神、意識)は、私の脳内のニューロンが発火してその相互の結びつきの作用で見せた幻覚でありましょう。そこに有機的な結びつきはありません。ただ存在するのは神経細胞だけであります。なのでこの見解からすると「精神」というものは一種の無機作用でしょう。

しかし、科学が正しくない場合、もしくは超自然的なスタンスを取るならば
科学というものは超越者によって予め設定されていて、人類はそれを”創造”ではなく”発見”しているだけにすぎない。
更に言えば、自由意志などなくて私たちは予め決定されたプログラムに沿って動いているのかもしれません。なので精神というものは科学的に発見されていたとしてもそういう超越的な次元の存在が否定できない限りこれといって確定できないのです。
要はこの立場を取ると全てに懐疑的になってしまうのです。なので人類は科学を用いて、一応の知的な地盤を築いたというところでしょうか。

私は精神というものは因果律に則って作用している様に思えます。
例えば、私が今こうしてタイピングをしているのも、過去の蓄積が私をそのような方向性に導いたからだと考えます。

そしてクオリアはこの議論には関係ないと思われます。

最後に、気が合いそうですね。あなたと直接連絡をしたいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

気が合いそうですか それはどうも。

なんかソフィストのような書き始めでしたねえ

因果律は何にでもあると思います

科学も哲学も宗教も心理学も詩も参考にして考えられるといいですね。

お礼日時:2020/12/01 23:08

述べて作らず



って、haru さん、ご存知ですかね。

論語ですよ。

孔子は、人徳のお話ばかりですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

人間は仕事さえ出来てれば 後は徳を積んで置けばいい人生でしょうね

述べて作らずはいけませんかね 作る所まではなかなかですねえ。

お礼日時:2020/12/01 23:02

徳は老いることがありません。



従って、赤子は難しいかもしれないが、子供でも積むことが出来る。老人でも積むことが出来る。男でも女でも積むことが出来、しかも、頭脳の良し悪し、身体の頑健か脆弱かを問わない。人ならば誰でも積むことが出来る。そして一度積めばそれは瓦解しない。そして、徳は徳を生じる元となる。
故に小さくても良い。たった一つでも良い。人生において徳を積む人は豊かであると言われる。

徳は大団円をもたらすものであり、その一連の事象において悲しむ人間が居ない。自分を含めて如何なる人も悲しまない結果を生じる。しかもそれを伝え聞いた未来の人々も納得できるものである。

徳とは何かを考究することは求道の一であり、それは修行になる。

10に満たずに出家する者も居れば、80になって出家する者もいる。寺院に入ることが出家ではない。もちろん、家出は出家とは違う。
家とは好みの事である。自分はああしたい、こうしたい、ああしたかった、こうしたかった、その様なことを万種万回想っても、出家者の一片の思いにも行き着くことは出来ない。
ただ、自分は本当はどうしたいのか?と、本心に近づこうとすることによって、出家(出家者の思い)に近づく。

出家者の思いは、ためになる。他人のためになり、自分のためにもなる。自分のためになり、他人のためにもなる。その欠如無き思いは無想と言われるが、それは想いが無いのとは異なる。余計な想いが無く、肝心な想いはある。

余計な想いは何か?肝心な想いは何か?

余計な想いがある状態で、肝心な想いを見ようとすると、余計な想いが邪魔をする。余計な想いを除こうとすれば、肝心な想いをも見失う。

事象に触れて種種の欲望を起し、欲望を避けようとして目を逸らし瞑れば本心までもを見失う。しかし、ありのままに見れば欲望に憑かれるだろう。
事象に触れて種種の欲望が起こった時に、それは本当に自分が叶えたいことなのか?と思う事によって、本心に近づき欲望は静まる。その時に光の一端を見るであろう。それが出口である。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Thank you

トンネルを抜けると そこは雪国だった。

文学的ですねえ。哲学らしくていいです

ただ本当に悟ってるのかどうか私にも分かりません

成る程そう考えるのか と思います。

徳は積んでも 落ちぶれたらどうなるものか分かりません

天に宝を積めと聖書にありますが そういう事なのかと思います?

ただ幾ら徳を積んでも イエスやソクラテスの様に殺されたら

頷けませんねえ。

お礼日時:2020/12/01 23:00

#13



あなたは執着心が酷く、又、支配力が強すぎるのです。その割には、現世では失策続きの人生でしたがね。

あなたは、自分の論の非は認めない以上は、一生涯、飛躍することはないと覚悟してくださいな。
    • good
    • 0

字と諡って、haru さんはご存知ですかね。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

あざ?諡って? 難しい感じですねえ。

お礼日時:2020/12/01 22:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

gooドクター

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング