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ここに、真実在に瓜二つの虚構があったとする。

この時、真実在は叶えられたと言えるだろうか。

質問者からの補足コメント

  • もちろん、量子と言うのが全ての情報を漏れなく持っていて、テレポーテーションにはラグが存在しないと言ったような前提がある上でですが。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/12/05 10:42
gooドクター

A 回答 (15件中1~10件)

異なる2つの量子は同じ状態を取れない。

これは「パウリの排他原理」に基づきます。
これは量子テレポーテーションだけでは無くてあらゆる事柄においても適用されます
それを踏まえて
大量にコピー機を使ってコピーしたり印刷機を使って印刷出来るのは「パウリの排他原理」が適用される状態ではないからです。要するにコピーにしろ印刷物理的なにしろどちらであってもオリジナルと100%同一の物が無いからです
これを量子テレポーテーションで当てはめた場合、オリジナルと100%同一では無いコピーなら理屈の上ではいくらでもコピー出来るのです。それが人であっても変わりません。
100%同一であるなら質問者さんのご指摘通りですが、それであっても工業製品だと言ったのは科学技術力を駆使して1から組み立てるからです。それは他の工業製品も同じです
量子テレポーテーションに対する誤解
量子テレポーテーションで送受信するのはあくまで情報です
オリジナルである人物をスキャニングして得た情報を量子テレポーテーションで送ります
その情報を受け取った者はその情報をもとにして手元にある物質を組み立ててオリジナルと100%同一のコピーである人間を構築します
オリジナルである人物とその人物と100%同一のコピーである人物との関係についてそれぞれ主観に基づいた場合
オリジナルであると私は100%同一のコピーであるもう一人の私が誕生した時点で死にます。
よってオリジナルである私と100%同一のコピーであるもう一人の私は物理的には繋がっていない事から別人となりますオリジナルが存在しているときは100%同一のコピーは存在せず、100%同一のコピーが出現したときにはオリジナルは崩壊=しんでいる=存在していないとなります
質問者さんが前提としている事についてはコメントし難いのです。
ここで考えるべきは実体と情報との関係で実体と情報は相関関係にあります
実体とは具現化されたもの
情報とは具現化されていないもの
です
スキャニングで得られる情報とはオリジナルである人物の構造上の情報のことでありそれによって得られる画像はその情報を具現化したものです
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この回答へのお礼

ふむ。ちと勉強が足りない様で、分かってないことがいろいろあることが分かり、その意味で理解は進んだのですが、結論を出すほどにはまだ情報が足りないし、整理もできてないので、現状、これ以上この思考実験を有意義に進める事は出来ません。
また、折々に情報ください。その都度少しずつ調べて考えられる様にしたいと思います。
なかなか興味深い話をありがとうございます。

お礼日時:2020/12/10 03:23

★ (№13お礼欄) ウィトゲンシュタインが何を明らかにしたのか?したかったのか?ちと分からなくなります。


☆ よくぞ言ってくれました!!


★ ウィトゲンシュタインの言う言語空間とは大変に限定的で、ある種シビアなものであり、ともすれば空疎にもなりかねないようなものであると言う事になる。
☆ 何だか解釈の可能性が 自由自在に伸びたり縮んだりして 表現のあとからでも事実に合わせてしかるべきものが成り立つ――というような再反論が・・・。


★ そしてその様な言語空間と、その言語空間に立ち現れる前の予備群(記号になる前の途中の形態?)が無限に近く存在していることになるのでは無いか?
☆ こういう問題が出て来たら そのつど処理できちゃうよ――とさえ言っているみたいな。


★ 強いて言うならその予備群は、語り得るものであり語られていないものという事になるでしょう。それも含めての言語空間なのであれば、そこは決して論理だけが支配するところのものではなくなってしまう。
難しく考え過ぎでしょうか?
☆ 論理を捉え クオリアをも受け取っていろんな事態として析出するのだ――とまだまだ答え返してくるような自由自在理論なんでしょうか? それにしても どこかおかしい・・・と思います。


ささやかな批判を やはりまた覚え書きとして記しておきたいとなります。

よかったら さらに展開してください。
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この回答へのお礼

どうやらウィトゲンシュタインは、言語空間と外界で、表現形式は同じだが中身は違うと言っている様です。その形式が同じだという所に注目したのが独自性があったのかな?
例えば柿を食うと言った時、それぞれの人がイメージする内容は異なるが、柿を食うと言う意味(事態)が成立するのはその言語配列、形式が外界の事象と同じだからだと。何故同じと言えるのかは、ただ同じでなければならないとだけ言っているよう。
うーん。でもその形式って、観方によって変わるものでは?

でも、彼は、彼の前期の思想を自己批判して後期の思想を確立したようなので、「哲学探究」の方も読まないと分からないのでしょう。

なんか惜しいとこまで来てる気はするのですが。
そのものに着目するのでなく形式(ものの関係性)に着目したと言う点で、他とは一味違うのかなあ。

言語を観察してみた、みたいな。

お礼日時:2020/12/09 12:50

★ (№8お礼欄) ~~~~~~~~~


・・・しかし次のようにも言うべきとも思えます。

語り得ないものをそれでも語る時に、その人の言葉が"創出"されることになり、それが美しく編まれた言葉であるならそれは真実的と言えるのでは無いか?と。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ここは 保留です。上にあがる足場が見つからなくなりました。

《語り得ないもの》という規定が わたしにはなおまだしっくり来ていないこともあります。

その点を併せてヰトゲンシュタインに沿ってということになれば なおさらお手上げですから。

かれをブラックボックスに入れておいて考えるとすれば どうか? この場合は ぎゃくに飛躍をともなった思索がすすみ しかも進み過ぎるかと思い やはり保留です。






ただ ひとつ疑問が生じました。

ヰトゲンシュタインのばあい 《事態》は 解釈を伴うからには言うに及ばず主観真実だと思いますが では 《事実》は どうか?

考えてみると 《言葉で表わした事実》なんですよね? その《認識し表現された事実》が 客観事実と一対一に対応するとか言ったりしますから。



《言語ゲーム》とか言っていますが もうこの内容もわたしには あやふやです。(もう というより読んだときからでしょうが)。

言語空間といったものも 明らかに虚構であると思われるのですが――虚構が 主観真実であり 一般的な真実に成り得ると確認した上では―― どうもそこ(言語空間ないし言語表現)に必ずしも信頼を置けない部分があるというように思えて来ました。

というのは 事実の認識と表現が――つまり《事実》が―― すでにじゅうぶんに語り得たものかという疑問です。

《語り得るけれども 語り切っていない部分》が 総合的に捉えた事実には むしろつねにあるのではないか?


疑問は ここまでです。ヰトゲンシュタインにきちんと――理解があやふやゆえ――添え切れないからにはです。





ちょうど直前(№12)で わしやけど。。。。。さんが:
◆ 三つあると
どうなるのか?
☆ とも問うていますよね。事態だけではなく 《事実》も多様性をもって語られることをまぬかれないとしたら?・・・と思われます。

わしやけど。。。。。さんと同じくわたくしも:
少なくともMCであるキサラギさんにゆだねます。
m(._.)mお願いします
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この回答へのお礼

>というのは 事実の認識と表現が――つまり《事実》が―― すでにじゅうぶんに語り得たものかという疑問です。
>《語り得るけれども 語り切っていない部分》が 総合的に捉えた事実には むしろつねにあるのではないか?

私も同じように思います。しかもそこには言葉から得る感覚というものが存在し、同じ言葉を聞いても聴いた人によってその内実に多かれ少なかれ差異が出て来る。例えば、

鳩が枝に泊まっている。

という事態があり、それに対応する事実があったとしても、その事態から各々の人が連想する意味の内実については捨像する。色も匂いも無く、それぞれに形も違う鳩とはいったい何であるのか?という疑問が出て来る。ここで家族的類似の話になって来るのだろうか?でもそんな話は古代ギリシャの昔に終わっていたことでは無いのか?という疑問もある。突き詰めれば鳩サブレでさえ鳩なのである。鳩と言う文字さえ鳩になる。しかしそれは対応する事実とはかけ離れた記号の世界だろう。ウィトゲンシュタインが何を明らかにしたのか?したかったのか?ちと分からなくなります。

ウィトゲンシュタインの言う言語空間とは大変に限定的で、ある種シビアなものであり、ともすれば空疎にもなりかねないようなものであると言う事になる。
そしてその様な言語空間と、その言語空間に立ち現れる前の予備群(記号になる前の途中の形態?)が無限に近く存在していることになるのでは無いか?
強いて言うならその予備群は、語り得るものであり語られていないものという事になるでしょう。それも含めての言語空間なのであれば、そこは決して論理だけが支配するところのものではなくなってしまう。
難しく考え過ぎでしょうか?

わしさんの言う三つについて。
これについては私ははっきり分かってないので、わしさんを待とうと思います。

お礼日時:2020/12/06 13:26

三つあると


どうなるのか?

( ̄~ ̄;)

そこに辿り着いてから
回答が出来なくなった

キサラギさんの見解が欲しいです
m(._.)mお願いします
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この回答へのお礼

三つですか?(笑
僕は三つあると言うところまで辿り着いていないので、三つあると言うところの見解を先ずは教えて欲しいです
^ ^
四つ(四種)なら言わんとしてることはなんとなく想像は出来るんですが。
いずれにしても難しいですね^ ^

お礼日時:2020/12/06 13:01

何度でも複製出来るという意味で工業製品と言えます


私個人としては分娩にはよる出現では無いという意味で自然人では無いと考えてます
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この回答へのお礼

何度でもできても、同時に何個もは無理でしょう?常に一体しか存在できないのでは?
あるいはその情報を長年にわたって保持し続けて、任意の時に出現させたりもできるのでしょうか?
ちと知識が無いのでお話の意味が分からなくなりましたね。

想像していたのは、
・量子には対になる量子がある
・対になる量子は、片方が観測された時にもう一つの状態が決定する
・左右の対として見れば、右に私が存在していれば、左に私は存在しない
・右から左に私を転送したいときに、右の私の情報を左の量子に転送する

前提として、常に影なる対の自分が量子レベルで隠れているのかなと想像していました。

お礼日時:2020/12/05 23:21

量子もつれに対する誤解


量子とは端的に言えば素粒子のことです
量子もつれとは異なる特定の2個の量子の間で起きる物理現象です
例えば量子がA.B.C.D.E.F計6個あるとします
AとB・CとD・EとFがもつれ関係にあるとします
量子Aを観測しその状態を決めるとその瞬間に量子Bの状態が決まります。(ペアでは無いC.D.E.Fの状態は決まりません)
他の量子も同様です
上記のパターンの場合
情報を送信(受信)する側と受信(送信)する側とをそれぞれ量子A.C.Eと量子B.D.Fとなります
量子は右スピンと左スピンと呼ばれる状態があり、観測毎にどちらかの状態が観測されます。またペアである量子を観測して上記のいずれかの状態が決めるとその瞬間にもう一方の量子は逆の状態に決まります。
例えば量子Aを観測してその状態が右スピンに決まったとするとペアであるもう一方の量子Bは左スピンとなります
これをモールス信号のようにします
例えば
「おはよう」と言う言葉を量子テレポーテーションで送受信するとします
4つの文字の情報を4個の量子で送受信しようとします
送信側A.B.C.D
   ↕ ↕ ↕ ↕   
受信側E.F.G.H
↕はもつれ関係を表します
送信側を観測した結果
送信側(スピン)A(右).B(左).C(左).D(右)
        ↕ ↕ ↕ ↕
受信側(スピン)E(左).F(右).G(右).H(左)
となったします
受信側のスピン状態(左.右.右.左)が「おはよう」と読める為の暗号解読鍵を送受信します。
受信したそ暗号解読鍵をもとにスピン状態を解読して「おはよう」と解読出来るとなります
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この回答へのお礼

なるほど?
私が想像していたのとだいぶん違うようです。
その原理で、人間をコピーすることが出来るのでしょうか?
暗号鍵が必要と言うのもあまり理解できません。
転送コピーすると裏返るのかな?

そもそも論、量子には必ずペアが存在するのかや、なぜもつれているのか?など分からなさ過ぎて、お話を聞いてあまり想像できなくなりましたね。

お礼日時:2020/12/05 23:13

任意ではありません。

ペアで有るもう一方のでは量子がある施設です
それと同一人物であるか否か?ついて
コピーは工業製品ですがそれでも同一人物と言えますか?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

量子のペアでと言うところがよく分からないのですが。
工業製品とは随分次元が違うと思いますよね。何か設計図があって量産出来る性質のものでは無いのだから。
全く想像ですが、私は人物としては変わらない気がします。ムカリンさんは変わると思うのですか?

お礼日時:2020/12/05 10:01

★ (№7お礼欄)


主観真実の方はと言えば、これの実際は言語空間の外側にあっても問題ないものです。言語化する必要がないものだからです。

☆ このご指摘に関心が湧きました。

というのは:
▲ 語り得ないものについては沈黙せねばならない。
★ つまりそれは、それを指し示す言葉が無いもののことです。

☆ この命題とかかわってくるのかどうか と思って。


《言語空間の外側にあるもの》というのは 《語り得ないもの》のことではなく つまり その今は外側にあっても 必要があるならそれを指し示す言葉を持とうと思えば持てる――ということなのですかねぇ。


いえ。いまのわたしでは たとえ自己流の解釈すらまったく曖昧のままなんですから それ以上展開は出来ません。

覚え書きとしてでも こうして残すかたちにさせておいてください。
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この回答へのお礼

了解です^_^
僕もウィトゲンシュタインを殆ど忘れていたのに引用したのは適切ではなかったかも知れないと思いました。もくぞーさんがせっかく仰ってくれたので、どうかなと思いまして。

因みに言語空間の外側にあるものは語りえないものです。それが今後語り得るものになるかどうかは、言語空間自体が何かしら根本的に変化しなければ無理のままだと思います。しかし次のようにも言うべきとも思えます。語り得ないものをそれでも語る時に、その人の言葉が"創出"されることになり、それが美しく編まれた言葉であるならそれは真実的と言えるのでは無いか?と。

お礼日時:2020/12/05 10:11

ヰトゲンシュタインについて知ろうとして。

・・・


◆ 言語の写像理論
☆ は――人間の判断を容れた命題にかんして――言葉が 世界の事実を模写しているって言うんでしょ?

言葉≒概念と世界のものごととが 一対一に対応していると。


その上で 言葉で表わされた《事実 fact; Tatsache》について 一つひとつのまとまった意味を持つ《事態 state of affairs; Sachverhalt》が――あたかもその世界事実を個々の要素ごとに認識し解釈するものとして――取り出される。


重ねて言いかえるならば 言葉は 世界事実を事実認識として切り取る。事実認識は 主観として作成される。この《事実》は――事実認識としての言語表現は―― 個別に《意味のまとまり》である《事態》に分割して捉えられる。


《事態》は 世界事実を構成する要素として特に論理的な意味内容を表わすものとなる。つまり この事態のいくつかによって 世界を把握する。


つまりは 事態〔として表現したもの〕が 主観真実である。

――のですかねぇ?



▲ 越沢 浩:ヴィトゲンシュタインと言語の写像理論
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/9 …
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この回答へのお礼

論考は20年ほど前に読んだんですが、内容はほとんど忘れてしまいました。ただ、語られうるものはおよそ明晰に語られ、語り得ないものについては沈黙せねばならない。という前置きには一定の納得を生じたものです。こう言うセリフは、"語りえないものを知っていなければ"出て来ないと思うからです。
その語りえないものとは、言葉にならないモヤモヤのことではありません。本質的に語りえないもののことです。つまりそれは、それを指し示す言葉が無いもののことです。察しが良い方なら分かるでしょう。

ありがちと思うのは、ウィトゲンシュタインの考えを、自分の理解の範疇に寄せようとして、極めて陳腐な主張を彼がしているかのような解釈を述べる事です。
もしくは、私がしているかも知れないように、その考えを自分に寄せて、好意的に解釈してしまうことです。

これらのありがちを回避したいのですが、ウィトゲンシュタイン(和訳)をもっかい読むのはめんどくさいw論考は薄い本なんですけど、あまり興味が湧かない。

言語空間と言うのはむしろ自由度が高いと私は思います。そこにおいて全ての共同主観も形づくられるし、神は死んだとか、徳は知であるとか、真偽の定かでないことも言語空間内であれば、事実ではなくとも事態として存在できるからです。ここら辺の解釈は、私が大きくウィトゲンシュタインの主張から逸脱しているかも知れません。
 主観真実の方はと言えば、これの実際は言語空間の外側にあっても問題ないものです。言語化する必要がないものだからです。

こんな風に考えてます。

お礼日時:2020/12/05 02:48

量子テレポーテーションとは「量子もつれ」と呼ばれる物理現象を利用した疑似テレポーテーションです


量子もつれとはペアである一方の量子(素粒子)を観測しその状態が確定したその瞬間にもう一方の量子(素粒子)の状態が確定すると言う物理性質です
擬似的にテレポーテーションさせる物体を原子サイズでスキャニングして得た情報をペアである一方の量子(素粒子)を観測する事でその状態を確定させたその瞬間にもう一方の状態を確定させる事でテレポーテーションさせます。
テレポーテーションされた情報をもとにして擬似的にテレポーテーションさせる物体を構成している原子と同じ原子を組み立てオリジナルと100%同一の物体を作ります。「2つの異なる量子は同じ状態を取れない」と言う物理法則によってオリジナルと100%同一の物体が作られたその瞬間にオリジナルは崩壊していまいます
擬似的にテレポーテーションさせようとした物体とそれと100%同一の物体は物理的に異なるので物理的な繋がりはありません
これを人に当てはめると
擬似的にテレポーテーションさせた人物とその人物と100%同一の人工的に作られた人物は別でありかつ100%同一の人物が作られた瞬間にオリジナルである人物は崩壊し人工的に作られた100%同一の人物が残ると言うことです。
残った人工的に作られた100%同一の人物と崩壊した人物とを同一人物とをみなすのか?と言う倫理上記がの問題です
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この回答へのお礼

それは離れた任意の場所にテレポーテーション出来るのですか?

オリジナルが崩壊すること了解しました。
倫理的には問題ないのでは?普段から代謝によって物質的には別物になってるし。

お礼日時:2020/12/05 02:54

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