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日本史(世界史)です。

ワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮条約にある、比率ってなんの比率ですか?

アメリカが戦艦を10隻持ってるとしたら日本は7隻しか持ってはいけないということですか?

A 回答 (3件)

ワシントン海軍軍縮条約で使われたのは基準排水量です。


満載状態から燃料と予備水を差し引いた状態の排水量になります。
(水は飲料水よりも機関の運用などに必要なものです)

これは、時代や国、その時の情勢でやや異なりますので、
現在の自衛隊の艦船は同じ「基準排水量」を使っていますが、
装備(弾薬・食糧・人)を全て除いたものになっています。
ちなみに、排水量には重さではなく文字通り船を浮かべた時に
排水される水量のことなので、重さを表すトン=tではなく
Tを使います。その他の主な排水量に以下のものがあります。

 常備排水量(積載排水量・公試排水量)
  燃料や食料などを2/3搭載した時の排水量

 満載排水量
  すべての装備を搭載した時の排水量

 建造排水量
  すべての装備を除いた排水量
  前述の、現在の海上自衛隊で使っている基準排水量と同じ

ワシントン海軍軍縮条約では主力艦が対米6割になりましたが、
日本が「陸奥」の完成を主張して廃棄を渋ったので
英米で2隻が認められました。この時保有の主力艦(戦艦)は

日本 10隻
 金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥
  注 比叡がロンドン海軍軍縮条約で練習戦艦になりました。

イギリス 20隻
 アイアンデューク、マールバラ、ベンボウ、
 エンペラーオブインディア(ここまでアイアンデューク級)
 クイーンエリザベス、ウォースパイト、バーラム、バリアント
 マレーヤ、リベンジ、レゾリューション、ラミリーズ
 ロイヤルサブリン、ロイヤルオーク、タイガー、フッド
 レナウン、レパルス
 追加でネルソン。ロドニー
  注 アイアンデューク級4隻とタイガーはロンドン会議の結果
    1930年までに退役か練習戦艦に。

アメリカ 18隻
 フロリダ、ユタ、ワイオミング(ここまでフロリダ級)
 アーカンソー、ニューヨーク、テキサス、ネバダ、オクラホマ、
 ペンシルベニア、アリゾナ、ニューメキシコ、ミシシッピ、
 アイダホ、テネシー、カリフォルニア
 メリーランド
 追加で、コロラド、ウェストバージニア
  注 フロリダ級3隻は退役と標的艦と練習戦艦に。
 
このように、ワシントン会議での主力艦の数では比率は異なりますが、
ロンドン会議後は数でも15:15:9=5:5:3になりました。
(練習戦艦は武装を軽減したものです)
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1922年、ワシントン会議の結果成立した海軍軍縮条約。

主力艦の総トン数比率を、米・英・日・仏・伊の間で、5:5:3:1.67:1.67と定めた。 1922年2月、ワシントン会議の結果成立した条約。

上記条約の期限が切れて

1930年にロンドン海軍軍縮条約が締結された。

補助艦制限について英と仏・伊が対立、仏・伊は途中で脱落したため、米・英・日の三国で協定が成立し、米・英10に対して日本は約7(6.97)の比率とすることが定められた。
有効期限は1936年までとされた。
主力艦については5ヵ国が建造停止を5年間(1936年まで)延長することで合意し、さらに米・英・日は主力艦を15隻・15隻・9隻に削減することで合意した。
 当時すでに前年に世界恐慌が始まり、三国とも軍事費削減が迫られていたので話し合いがまとまったのであるが、イギリスと日本では対アメリカの比率で不満が大きかった。

ロンドン海軍軍縮条約が難航の末、合意されたことは、日本政府の良識ある妥協として国際社会では高く評価された。

1922年に成立したワシントン海軍軍備制限条約によって、第一次世界大戦前の建艦競争が終わり、軍縮の時代に向かったことは、「海軍休日(または建艦休日)」といわれ、国際協調の理念の証ともされた。1930年のロンドン海軍軍備制限条約は、世界恐慌で苦しむ各国の経済安定を回復するものとして評価された。
 しかし、1930年代にドイツにファシズム、日本にも国家主義・軍国主義が急速に台頭した。日本は1935年にロンドン軍縮会議からの離脱を決定、1936年12月にはワシントン・ロンドン両条約とも満期となり、軍縮時代は終わりを告げた。
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隻数ではなく


建造トン数だけとね
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