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「数学科が理学部にあるのはおかしい」と文系の人が言ってたのですが、これについてどう思われますか?
数学は今の時代自然科学の研究だけではなく、経済学、心理学、言語学、データサイエンスなどの文系学問の領域にも頻繁に使われるから、論理学と同様の形式科学である数学を理系の理学部に分類するのはおかしいと言っておりました。
よく分かりませんが、数学は文系理系関係なく学ぶべき学問だと主張したいらしいです。

A 回答 (10件)

数学は今の時代自然科学の研究だけではなく、経済学、心理学、


言語学、データサイエンスなどの文系学問の領域にも
頻繁に使われるから、論理学と同様の形式科学である
数学を理系の理学部に分類するのは
おかしいと言っておりました。
 ↑
それなら、日本語で説明してある物理学、
化学、生物学も文系に分類しないと
おかしい、てことになりませんか。
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存在は存在する。

存在と言う概念/事実はある。数は存在する。集合は存在する。
これらを公理として定理を導き証明を行うのが数学で、これらの公理を全て疑って否定するのが哲学かも知れません。
公理/定理/証明を行う数学と原理/仮定/理論/観測や実験での検証を行う物理とは、証明が出来て検証が出来る場合があり、証明と検証は重要で重視されます。こうした理系の手法とは、文系の哲学などは異なり「証明/検証」が出来ない、証明する事や検証する事は求めない/必要としない/重視しないのではないでしょうか?
こうした事から数学科は理学部に置かれ、文学部や経済学部などの文系には置かないのだと考えます。
回答は、ここまでです。以下は私が考察した諸々のメモです。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。
空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。
真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とあります。「はじめに」とは、時間を指す言葉です。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在しており、これらが存在できる「空間」がある事を意味しています。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べているのです。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいないのです。これらは既に存在していたのです。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていません。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?
神が創ったのなら、
_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?
こう記述すると、宇宙と神が同じである事が解ります。

宇宙の「宇」は、空間を、「宙」は、時間を指しています。宇宙は、まさに、空間と時間、すなわち、「時空」なのです。
時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しません。この一方だけでは「存在」は成立しないのです。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立する事が出来ます。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在していて、「空間」が存在しているからなのです。
時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか? との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙の時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙のビッグバンを138億年前に引き起こし、我々が存在しているこの宇宙は、母宇宙の「子宇宙」として、母宇宙の時空の中で誕生し、今も母宇宙の時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、我々が存在しているこの宇宙が誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、我々が存在しているこの宇宙が誕生する「前」は、母宇宙の時間が流れ、母宇宙の空間が広がっていたと答える事が出来るのです。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも知れません。
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

物理学は一大飛躍を成し遂げる可能性があります。ケプラーは1609年と1619年の著書でケプラーの第1,2,3法則を発表し、ニュートンが1687年の著書で万有引力の法則を発表する切っ掛けになり、1887年のマイケルソン・モーリーの実験は、1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を1915-1916年に一般相対性理論を発表する切っ掛けになりました。
宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギーやダークマターが提唱され、超弦理論や11次元のM理論などが議論されています。これらは、次の物理学の一大飛躍の切っ掛けとなる予感がします。
1900年にプランクが量子論を1905年にアインシユタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれたのと同様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始するかも知れません。それは、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2020年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出すかも知れません。全く新しい時空のイメージと次元理論を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる技術を生み出すかも知れません。そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある太陽に良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転している岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも知れません。

宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体である」とすると地球に住む人類も該当します。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理があります。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があると考えられています。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実があります。我々が存在している天の川銀河を含む局部銀河群の中で最大なのがアンドロメダ銀河で、アンドロメダ銀河は、天の川銀河の約2倍の恒星があると考えられています。約1000億個の恒星を持つ天の川銀河でも最低1個の知的生命体を産んだ星(地球)があるのだから、その約2倍の恒星を持つアンドロメダ銀河には最低でも2個の知的生命を産んだ星がある可能性があります。

知的生命体が人型では無いかも知れません。wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に我々の様な炭素系の生命体では無く、ケイ素を主体とする生命体の可能性もあります。例えば、核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込んで核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも知れない。または、太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも知れない。そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕えて殺して食べて消化して吸収して生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て宇宙狭しと飛び回り壮大な宇宙文明を築いているのかも知れません。

2045年にコンピューターの知能は、全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達するらしい。人間は脳にチップを埋め込んで、スマホやPC、マウスやキーボードなどを使わなくても、脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと、その脳の電気信号をチップが検出して、文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップができ、ネットとワイヤレスで接続して、超高度に発達した人工知能AIと通信する様になるでしょう。
高度に発達した人型ロボットが一般家庭で料理/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなど全ての仕事を行い、医療/法曹など全業種の全職場で仕事を行う様になるでしょう。人間には、研究開発や芸術などの限られた分野の仕事しか残らないでしょう。
下記のブログの後の約1/3は時間/空間/時空/宇宙/存在/起源/創成/神/宇宙生命/進化など諸々の考察で、前の約2/3は宇宙塔マスドライバーの話です。是非、御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
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学生募集の経過の問題かな。


現行、大学の入試は学部単位で行われ、
学科単位ではありません。
数学科にふさわしい学生が
文系受験で選抜された学生なのか
理系受験で選抜された学生なのかは
誰にでも判る話だと思います。
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「数学科が理学部(≒理系)にある」と言う事は「数学は文系の学問には必要ない」と言う事ではありません。

例えば歴史学や考古学の年代測定では化学や物理学の知見を用いるわけですから、その理屈で言えば「化学科や物理学科が理学部にあるのはおかしい」と言う話になってしまいます。それにそもそも「文系、理系」と言う区別は便宜上のものに過ぎず絶対的なものではありません。例えばニュートンの時代くらいまでの物理学は自然哲学と言って哲学(≒文系)の一分野とされていたそうですから「物理学科は文系学部に」と言うのもあり得ない話ではないでしょうが、今は概ね「経済学以外で数理的な考察が多いものは理系」としているようですから、取りあえず理学部が一番収まりがいいと思います。数学は物理学とくっつけられて「数物系」などとされる場合もあるくらいですし。
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コミュニケーションツールとしての「英語」と、英文学や言語学としての英語を研究するのとは別問題ですよ。



学問の対象としての「数学」と、それをツールとして使う応用学問とは、それと同じように「別問題」です。
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数学はFaculty of Philosophyの中のとつとしても良いでしょうね。



でも、日本の大学にはFaculty of Philosophy自体がない。
これは日本の大学の歴史が明治維新当時の富国強兵を目的とした国公立大学と、大隈重信や福沢諭吉が始めた実学の教育機関が出自にある為、philosophyを学問の中心据えたところがなかったから。この点が300年以上の歴史を誇る西洋の諸大学とは異なりますね。

実験や観測をするのが理工学部で、哲学と数学は実験も観測もしないから別にしとくのが良いのです。特に数学基礎論は哲学の一部と考えないと収まりが悪いですね。
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No.3です。

具体例をその文系の方に述べて反応を聞いてください。「四色問題」はどこで解くべき学問に分類されるでしょうか?とか。地理学でしょうか,比較文化論の学問分野でしょうか,それとも芸術の分野でしょうか。
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他の方も書いておられますが,数学という学問を勉強・研究するのと,数学を道具として使って数学ではない学問を勉強・研究するのとの,この違いをその文系の人は理解できていないだけです。

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それは数学の応用の話です。


数学は、数そのものや論理を追求する分野だから理学部です。
そういう主張をする人は数学を知らない文系なんでしょう?
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大学で学ぶ数学のことですよね?



高校までの教科として学ぶ数学の内容とは、大学で学ぶ内容とは全然違うと思いますよ

大学で学ぶ内容は、高校まで習った内容を、もっと奥深く追究、探究していくのだと思いますよ

私の息子も数学科で学びましたが、高校までの内容以上に難しいと感じました

文系で学ぶには、四年間では足りない量だと思いますよ
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