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江戸時代(安土桃山時代)以前は、何故、天皇や上皇は「島流し」に出来たのでしょうか?
天皇(上皇、法皇)は、二千年以上、日本で一番の権力者だったのに・・・。

有名なのは、平安時代の「崇徳上皇」の話し。
崇徳上皇は、島流しにされ、そこで息絶えた。

その後、平安京で「天変地異」が生じ、崇徳上皇の「祟り」とされた・・・。
今でも、皇族は直近三代の「天皇陵」や「神武天皇陵(奈良)」に続いて、
「崇徳上皇陵」の陵墓にも参拝する。

A 回答 (6件)

天皇は日本国の守護神として、最高神天照大御神など先祖の神々に日々祭礼を行う現人神というか、存在そのものが御神体なので、島流しにされたことはない。

そんな罰当たりのことをしては早速祟られてしまう。
そもそも天皇の体は神が宿る御神体なので、体に傷がつく鍼灸の治療さえ許されなかった。鍼灸治療を受けたいので譲位をしたがっていた天皇も少なからずいたくらいだ。

ゆえに、天皇家も豪族と変わらない大昔は別にして、天皇に神格性が備わった以降は、暗殺されたかもしれない天皇や、廃位させられた天皇は何人もいるが、天皇として島流しにされた例はない。

上皇や法皇は、元天皇というだけで、すでに体は御神体ではない。最重要な神々の祭礼には聖なる天皇の、俗世間の穢れとは無縁な清浄な身体が必要だが、上皇・法皇は、もうそういうものとは無縁な普通の人間でしかない。だからいくらでも他者と同じように罰することが出来る。
※おそらく天皇は政治など俗世には無縁な清浄な精神性を持つことで、祭礼を通じて、この世で発生し続ける穢れを取り込んで清浄化することが、最大の役割だったのだろう。ゆえに、政治的には天皇は常に中立というか、少なくとも政争や戦争に無関係であり続けなければならなかった。

承久の乱当時の天皇は、首謀者後鳥羽上皇の息子の順徳天皇だったが、彼は父に従って合戦に参加することを決意し、わずか4歳の息子に譲位している。
これも、天皇が戦争に参加してはいけないという絶対的な不文律があったからだろう。
※ちなみに譲位された幼い天皇は、乱後に北条義時に廃位を強制されているが、島流しにはなっていない。
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この回答へのお礼

解決しました

回答ありがとうございます。
詳細な解説に感謝致します。
勉強になりました。

\(^o^)/

お礼日時:2020/12/08 21:36

事実誤認がある。

島流しにされた天皇は存在しません。それは上皇なら万一島流しにされても天皇の権威が傷つくことはないと考えられていた証拠なのです。順徳天皇はわざわざ譲位して上皇になってから倒幕運動にのめり込んでいるのです。かように天皇と上皇は異なる概念です。混同しないでください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
勉強になりました。

( ..)φメモメモ

お礼日時:2020/12/08 21:35

政治的なことで言えば「天皇」な島流しにはできませんし、なってもいません。

「島流し」になった時は「天皇とい地位」は剥奪されています。また「上皇」の場合「天皇が親政」を行えば上位となるわけですから、「流刑」が可能です。しかも上皇が多くいる場合は「治天の君」と言われる事実上の「政権指導者」の命令を、天皇に「執行するように」と命じたわけですから、形式上日本で一番の権力者であっても、事実上のフィクサーに踊らされている状況だったわけです。幕府についても同じで、江戸幕府は「禁中並びに公家諸法度」などで天皇の権力を制限していました。紫衣事件などを調べられると、この仕組みが良くわかります。逆に「明治政府」はこの矛盾した仕組みを上手に使って「一君万民」の名のもとに政府を作り上げました。そして、昭和の日本軍もこのシステムを悪用して、侵略行為を正当化しました。
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この回答へのお礼

Thank you

詳細な解説、ありがとうございます。
勉強になりました。

( ..)φメモメモ

お礼日時:2020/12/08 21:38

天皇を上回る権力と勢力を持つ勢力が現れたから。



近現代も例外ではない。
もし二・二六事件が成功していたら、
もし三笠宮擁立が成就していたら、
もし敗戦前夜の玉音奪取が鎮圧されていなかったら、
首謀者によって昭和天皇がどう遇されたか分からなかった。
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この回答へのお礼

助かりました

その事実は、知っております。
確かに、成功していれば、昭和天皇は天皇でなくなっていた。
回答ありがとうございます。

勉強になりました。

お礼日時:2020/12/08 21:40

皇族内の判断で、一番偉い天皇が、父の上皇を罰する。

または、たとえ天皇といえども、父親の権威で罰したケースがあったかも。
信長以後、朝廷への政治的介入はしないと暗黙のルールができたため。
ただし、いろいろと幕府からの圧力はあったみたいです
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。
勉強になりました。

( ..)φメモメモ

お礼日時:2020/12/08 21:41

これだけ調べたのなら、知らないはずが無い。


天皇に何の権力もなかったから、さらに武将の最高権力者であったはずの征夷大将軍も何の力もないということがあったために、戦国時代などと言う乱世になったのではなかったのか?
結局秀吉によって、力で諸国の武将を従えると言うことができるようになって乱世は終わったのだが、天皇なんて屁のような存在でしかなかった。
その後も天皇は、一部の人しか知らない訳のわからないものとして存在し続けた。
明治になるまで、日本人の殆どが天皇などと言うものがあることすら知らないままだった。
そんな屁のような存在のものを、力を持った者がどうしようと自由に決まっている。
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この回答へのお礼

Thank you

回答ありがとうございます。

大日本帝国憲法で、天皇は「内閣の輔弼」が必要になり、
日本国憲法で、天皇は「内閣の承認と助言」が必要になった。

日本の最高権力者は、内閣総理大臣になった・・・。

お礼日時:2020/12/08 16:44

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