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何故ちっぽけな小国日本は世界最大のモンゴル帝国を追い返せたのですか?
武士強過ぎませんか。

A 回答 (14件中1~10件)

こんばんは!



とても参考になる動画がありますので、ご覧ください!(^-^)


やはり、神風よりも武士と幕府の頑張りに、神風も味方したと見るべきでしょうね!

念仏のように「平和」を唱えていても、攻めて来るときはあります!(^▽^;)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とてもわかりやすい解説の動画でした。
感動です…

お礼日時:2020/12/12 01:40

昔は、神風が原因だ、と言われたものですが、


実証研究が進み、武士の健闘が原因だ、という
ことが判ってきました。

そもそもですが、モンゴルは地上戦では無敵
でしたが、海戦は苦手でした。

だからモンゴルは、ベトナム相手にも
廃退しています。
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日本の内乱が治まってたから


時代がちょうど良かったみたいですね

あの時代だと
船を使っての戦争って
海流の速い日本海近海だと
けっこう、難しかったみたいですね

それと、攻める方より
守る方の士気が高いのは
語る必要性は無さそうですね

攻めて来た人って
帝国の指示で
いやいや日本に侵略しにきたからね
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簡単に言えば、モンゴル軍の強さは大陸での戦い方の強さなんです。

100kmくらい離れていても連絡を取り合って連携して動けるとか、万の兵を横に並べて戦いあうとか。
言ってみれば”最強”の米国軍がテロとの戦いに苦労している、そんな感じの戦いですね。

もちろん武士も強かったですけどね。まぁ広い意味での”地の利”があったということでしょう。
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はい武士は強いです。

みんな神風による船の沈没だと勘違いしていますが、モンゴル軍は2回とも上陸していて、それを武士が追っ払っています。モンゴル軍は武士が強すぎて、船に避難して体制を立て直そうとしたときに神風にによって全滅しているのであって、日本に上陸はしたものの拠点を作れていないのです。

でなぜ武士が強かったかと言うと「武士は自分の土地を持つ農民でもあったから」です。つまり「モンゴルが攻めてきて、日本を占領したら自分の農地が無くなる」わけです。だから死にもの狂いで戦います。

これは戦国時代もそうだったし、だから戦国時代末期に東南アジアに傭兵として移住した日本の武士は恐ろしく強かった、というのが事実です。

で、逆にモンゴル軍はやる気がありません。なぜならどちらの役も主体は朝鮮兵とか南宋兵とか女真兵など「元に征服された地域の人々」だったらからです。

だからイヤイヤ送り出されて、イヤイヤ戦っているので、そもそも士気が低かった、というのも大きいです。
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陸続きの国だったら朝鮮と同じ運命に遭った。



海が横たわっていたからである。
それもドーバー海峡のような、その気になれば泳いで渡れる海ではない。
最も狭いところで200キロ、潮流も激しい危険な海である。
頑丈な船を仕立てなければならないし兵糧も確保しなければならない。
(対馬はその前線補給基地と化し悲惨な目に逢った。)

そうなれば当然金はかかるしつれていける兵力も限られる。
作戦期間も限定される。

連合軍のフランス上陸やアメリカ軍の硫黄島上陸作戦に限らず、上陸作戦というのは絶えず多大な犠牲を伴う戦いなのである。
米軍の沖縄上陸も、圧倒的戦力差がありながらたやすくはいかなかった。

そして二度の元寇は二度とも嵐に襲われ船団が壊滅した。
船団が壊滅するとは兵力の補給のみならず兵站線も途切れるということである。
どんな軍隊であれ、敵地で孤軍になっては勝てない。
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最初の戦争(文永の役)の前からモンゴルは日本に恭順せよと要求していたため、日本はモンゴル軍が来ることを知っていました。

また同時期に朝鮮半島で反乱が起こったり、中国とも戦争をしていたなどの要因があり、一回目は、脅しただけで帰ったようです。実際大風が吹いたという記録もなく、なぜ、モンゴル軍が帰ったのか鎌倉幕府や武士たちは不思議だったようです。ただこの戦いで「モンゴル軍の集団戦法」や「火器(てつはう)」に一度接したことで、次の襲来(弘安の役)にはしっかり作戦をたました。元軍も中国を滅ぼし、朝鮮半島を平定して真剣に侵略しようと考えたようですが、日本軍は、夜襲や小舟で元軍の船に火を投げ入れたり、やたらと一騎打ちせず持久戦に持ち込みました。この時元軍は「夜になると船に帰り休息する」ことをしたようで、この時は台風らしきものが夜に通過して元軍の船を大破させたようです。
こう考えると武士が強かったというより「相手の作戦への対応が早かった」ことと「台風」が重なった結果だと思います。それが証拠に「京都の天皇や貴族・寺社」は「俺たちが必勝祈願したから元軍は去ったのだ」といって恩賞を要求しています。今ではごろつきのセリフですが、当時はそのことが信じられていたようで、「恩賞をよこさなければ今度、元軍が来ても必勝祈願しないぞ」とおどし、実際に戦争で戦った武士たちより多く恩賞をもらいました。このことが「徳政令」につながり鎌倉幕府は滅亡するのです。
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幾ら強いと言っても陸地の国ですから。


モンゴル馬の強さも、上陸できなきゃ発揮しようがないですよね。
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必ず最初に上陸するのが今の北九州であり、その北九州は弥生時代から幾度となく侵略されていて、その時代から迎撃用に要塞化されていたから。

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彼らにも生活がある。


穫り入れが終わって、さあ出陣となると秋になるが、秋は台風シーズンでもある。
何度も大群で押し寄せて来たが、その度に台風に襲われて木造の船は木っ端みじんになってしまった。
日本の武士が強かったわけではない。
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