こんにちは
第一次大戦の時のベルサイユ条約について
教えてください
賠償金額が天文学的やとかいろいろあるのですが・・・
わかる部分でええです
よろしくお願いします

A 回答 (1件)

賠償金額は1320億金貨マルクですネ。

この金額は当時の国家予算の30年分に相当する額ですから、払えるはずはないものでした。
2001年の日本の国家予算は82兆6500億円余りですから、丁度、今の日本が2500兆円の賠償金を請求されたのと同じ位ということになりますネ。
そのために分刻みのインフレとなったのですネ。食堂に入ったときと出るときで値段が数倍になっていたり、パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要になり、札は重さで量るような扱いとなったりしたのですネ。
ドイツの所持していた海上領土(植民地)はすべて没収されてしまいました。また、アルザス・ロレーヌ地域はフランス領とされてしまいますネ。この地域はかつて800年以上もドイツ領だったのですが、普仏戦争の結果第一次大戦の40年前にフランスに占領されていたのを再度ドイツが取り戻した地域だったのですが、ベルサイユ条約でまたフランスのものにされてしまったのですネ。ほかにもポーランドに組み込まれた領土などもありました。
軍事力は剥奪されましたネ。でも、ここで面白いのは空軍力の所持は禁止したもののロケット兵器についての決議事項がなかったためにドイツはこの分野の研究を進め、第二次大戦のV1号、V2号ロケットやジェット戦闘機という世界最新の兵器に結びついたのですネ。
とにかく、ベルサイユ条約のためにドイツは混乱と貧困に喘ぎ、ナチスの台頭の下地を作ることになったのですネ。
戦勝国が敗戦国に対して過剰な罰則を与えることが、その国の活力を奪うことだけではなく、新たな紛争の原因となることを如実に示した非常に不適切な条約であったといえるのではないかと考えています。
知るところについて簡単に書いてみました。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

ありがとうございます
現在も問題になってる賠償問題などなど・・の参考になりました
過酷な賠償金を課すことは問題有りですね

また教えてください

お礼日時:2001/08/20 03:28

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Qベルサイユ条約について教えてください

こんにちは
第一次大戦の時のベルサイユ条約について
教えてください
賠償金額が天文学的やとかいろいろあるのですが・・・
わかる部分でええです
よろしくお願いします

Aベストアンサー

賠償金額は1320億金貨マルクですネ。この金額は当時の国家予算の30年分に相当する額ですから、払えるはずはないものでした。
2001年の日本の国家予算は82兆6500億円余りですから、丁度、今の日本が2500兆円の賠償金を請求されたのと同じ位ということになりますネ。
そのために分刻みのインフレとなったのですネ。食堂に入ったときと出るときで値段が数倍になっていたり、パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要になり、札は重さで量るような扱いとなったりしたのですネ。
ドイツの所持していた海上領土(植民地)はすべて没収されてしまいました。また、アルザス・ロレーヌ地域はフランス領とされてしまいますネ。この地域はかつて800年以上もドイツ領だったのですが、普仏戦争の結果第一次大戦の40年前にフランスに占領されていたのを再度ドイツが取り戻した地域だったのですが、ベルサイユ条約でまたフランスのものにされてしまったのですネ。ほかにもポーランドに組み込まれた領土などもありました。
軍事力は剥奪されましたネ。でも、ここで面白いのは空軍力の所持は禁止したもののロケット兵器についての決議事項がなかったためにドイツはこの分野の研究を進め、第二次大戦のV1号、V2号ロケットやジェット戦闘機という世界最新の兵器に結びついたのですネ。
とにかく、ベルサイユ条約のためにドイツは混乱と貧困に喘ぎ、ナチスの台頭の下地を作ることになったのですネ。
戦勝国が敗戦国に対して過剰な罰則を与えることが、その国の活力を奪うことだけではなく、新たな紛争の原因となることを如実に示した非常に不適切な条約であったといえるのではないかと考えています。
知るところについて簡単に書いてみました。
以上kawakawaでした

賠償金額は1320億金貨マルクですネ。この金額は当時の国家予算の30年分に相当する額ですから、払えるはずはないものでした。
2001年の日本の国家予算は82兆6500億円余りですから、丁度、今の日本が2500兆円の賠償金を請求されたのと同じ位ということになりますネ。
そのために分刻みのインフレとなったのですネ。食堂に入ったときと出るときで値段が数倍になっていたり、パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要になり、札は重さで量るような扱いとなったりしたのですネ。
ドイツの所持...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次大戦

第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、なんで日本より中国は発展が遅いんですか? 日本はアメリカに負けて戦争終わってからどんどん成長してきたけど、中国はもっとまえからアメリカとはそこそこの関係?(一方的かな?)だったのになぜですか?人口が多すぎるからですか? 教えてください。歴史の知識が薄いのでお願いします。

Aベストアンサー

>第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
ぎりぎりの緊張した場所がひょこっと誕生し、どこも望んでもいない戦争が突然発生して、ヨーロッパ中を巻き込んでしまった、という雰囲気ですね。
>あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、
>なんで日本より中国は発展が遅いんですか?
欧米以外で先進国になった国は日本だけです。中国が不思議なのではなく、日本にヨーロッパ的な要素がもともとあったということでしょう。日本がなぜ発展できたのか、米国のアフリカ系の社会学者とか大変興味をもって研究しているとか聞いたことがあります。そこはもう、社会学・経済学の奥深いところに答えがある気がします。

Qベルサイユ条約におけるドイツ軍制限

ベルサイユ条約によってドイツ陸軍は
10万人に制限されたとありますが、この
10万人という数字は何を根拠に出された
ものなのでしょうか?

銃はだめ。空軍も潜水艦もだめ。とは言っても
10万も兵を残す意図が分かりません。
ウィルソンの14か条が反映されたのかと
も想像してみたのですが、領土割譲、多額の
賠償金等高圧的なベルサイユの条件を考えると
陸軍10万というところがぎこちない感じがします。

第一次大戦後のドイツ周辺国の軍の規模が何万か
の単位で分かれば納得できるかも、と思うのですが。

Aベストアンサー

当時の戦勝国にはドイツを非武装にする程の考えは浮かばなかったのでしょう。
近代装備を持たなければ戦争の役にたたないと考えたのかもしれません。

常備軍10万くらい残しても問題にはならないというのが第1次大戦で得られた教訓です。
それよりもドイツの赤色化の方が心配で、この傾向を阻止するには武装警官として兵力を残す必要を感じたのでは・・・

近代戦の装備は非常に金を食いますし、研究開発にも時間がかかるものです。 ドイツに課せられた各種の賠償と制限はそれをさまたげるに十分と考えられました。

しかしドイツは10万の常備軍を将校、下士官の養成に使い実質的に軍の中核を形成し、戦車の開発、訓練をソ連に委託するなど色々工夫をこらし、突撃隊、親衛隊、SSなど軍隊組織を利用して再軍備に備えました。  民間航空機も設計と生産体制を軍用に転用を考えて行い、空軍再建の準備をしたのです。

これらの準備は軍需を期待した重工業財閥クルップの支援を受けて行われたのです。

Q第一次・第二次世界大戦について

第一次・二次世界大戦は、なぜ避ける事が出来なかったのでしょうか?
皆さんのご意見お願いします。

Aベストアンサー

私見ですが、産業革命以後の資本主義(帝国主義)の膨張が行き場を失ったからだと思います。世界規模で、帝国主義バブルがはじけたためです。

16世紀以降、ヨーロッパ諸国は経済力と軍事力をミックスして、それ以外の諸国を植民地化して自国経済を発展させていきました、軍事力が伴いましたので、陰謀・強奪など当たり前の世界がすでにありました。
そしてそれを極力避けるために、各国は軍事同盟などで結びつき、いくつかの陣営に分かれていたのです。
第一世界大戦の発端はサラエボ事件です。しかしセルビア政府の陰謀を疑ったオーストリア・ハンガリー帝国は宣戦布告をして、戦争に突入していきます。ここまでは良くある小競り合いでしたが、地球上をヨーロッパ諸国がほぼ植民地化し、いくつかの同盟で成り立っていましたので、直接戦争を起こした国に対して同盟国が参戦し、また同盟国が参戦しという形で、全世界で戦争が起こってしまったのです。

第一大戦のあと、反省にたって国際連盟が作られましたが、第二次世界大戦が起こってしまいます。このとき戦争を起こした側にいたのが、ドイツ・イタリア・日本です。
これらの国の特徴は、遅れてきた帝国主義と言われるように、イギリス・フランスなどに比べて遅れて植民地化政策を取りましたので、政策的に行き詰っていました。
そして、第一次大戦後の軍縮計画でも、当時の大国であるイギリス・フランスなどに比べて一段低い能力しか認められなかったため、戦争を起こすことで逆転を狙ったのです。

このときに重要なのは、この時代までは戦争は勝てば利益が得られる。つまり戦勝は得だったのです。ですから、政治的な指導者は、常に戦争を起こすということを、ひとつの手段として捕らえていたのです。

第二次大戦中に、核兵器が発明され、また戦争の方法も連射砲・空爆・ロケットなどの大量破壊兵器を使用するようになり、兵士が戦争するだけでなく、背景にある軍需工場や働く民間人までも標的として狙いあうようになり、戦争に勝利しても、損失のほうが大きくなってしまったのが、現在まで第三次世界大戦の起こらない主な理由です。

その証拠に、勝てば利益のほうが大きい戦争(地域紛争)は未だに無くなりません。

私見ですが、産業革命以後の資本主義(帝国主義)の膨張が行き場を失ったからだと思います。世界規模で、帝国主義バブルがはじけたためです。

16世紀以降、ヨーロッパ諸国は経済力と軍事力をミックスして、それ以外の諸国を植民地化して自国経済を発展させていきました、軍事力が伴いましたので、陰謀・強奪など当たり前の世界がすでにありました。
そしてそれを極力避けるために、各国は軍事同盟などで結びつき、いくつかの陣営に分かれていたのです。
第一世界大戦の発端はサラエボ事件です。しかしセル...続きを読む

Qベルサイユ条約について

なぜイギリスやフランスなどが過酷な賠償金を請求したのでしょうか。当時、イギリスやフランスの政治家など、こんなことをすれば禍根を残すと思わなかったのでしょうか。戦争の歴史の教訓として勉強したいのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

いろいろな見方がありますが・・・いくつか出すと

1つ目は損失補填です。あの戦争は、人があそこまで多く死んだという点で、各国に大きな衝撃を与えました。実はナポレオン戦争以降、動員数に対する戦死者数(損耗率)は減少の一途をたどっていました。
また、戦争の期間もどんどん短くなり、1年かそこらで決着がつくため(それ以前は10年とか戦争が行われていることもありました)結果的に戦闘回数も減り「近代戦は人があまり死なない」という状態だったのです。19世紀の世界、各国もそういった気分で戦争していました。
しかし、第1次大戦ではこの考えが覆り、おびただしい死者を出しました。実は、この傾向は日露戦争からすでにでていたのですが(日露戦争で、損耗率が以前の戦争より跳ね上がったのです)、この傾向が列強対列強の戦いでも現れたのです(日露戦争は列強対半列強の戦いですから、諸外国は死傷者が増えたのをあまり気に止めなかったのかもしれません)。また、戦争期間の短期化も逆転し、各国はまさに数世代ぶりに、数年越しの総動員戦争を行う羽目になりました。
さて、その結果、勝った側もボロボロで、疲弊しきっていました(イギリスは、自他共に認める海軍大国でしたが、この疲労から日米の海軍競争に追いつけなくなる恐れが出たため、アメリカを誘って海軍軍縮を唱えることになります)。損失を補填するには、相手から奪うのが一番です。日本も、日清戦争でそれをやり、一気に潤いました。
第1次大戦では過去に例がないほど大規模に消耗しましたから、どれほどの賠償金を取れば元を取れるかというのは、その実、科す側にもよくわかっていなかったでしょう。そのため、天文学的な賠償金をかけることになります。

2つ目は、ドイツが二度と戦争を起こさないようにするためです。当時の政治家のいくらかは、一生払い続けるだけの賠償金を科せば、それを払うのに全国力を使うから一生軍備には手が回らないだろう。そうすれば戦争は起こらない、という発想があったようです。
もちろん、これは当時から「払えない額を科すのは戦争を呼ぶようなもの」と反対の声がありました。しかし、何せ前例のないことですから、どちらに転ぶかはわかりませんでした(この賠償金を提案した側もわかっていなかった)。
もちろんご存知のとおり、結果は反対派の予想通りとなり、いまのところ人類最大の戦争である第2次世界大戦となったのです。

先に言ったように、当たり前ですが反対意見も強かったのです。しかし、反対派も賛成派も「結果がどうなるか」はわからなかったわけで、結局賛成派の意見がとおり「とりあえずは科してみよう」という運びになったのです。
ドイツ一国(と暴発した場合被害が及ぶのが確実なヨーロッパ全土)を使った壮大な実験といえばそれまでですが、まあとんでもない失策だったのはたしかですね。
結局、歴史というのは手探り世界です。
もし、今度こういった状態になったら「多額の賠償金を科すのは戦争を誘発すると歴史が証明している」と言って、避けることができるのです。しかし、当時ではどちらに転ぶかは誰もわからなかったのです。

いろいろな見方がありますが・・・いくつか出すと

1つ目は損失補填です。あの戦争は、人があそこまで多く死んだという点で、各国に大きな衝撃を与えました。実はナポレオン戦争以降、動員数に対する戦死者数(損耗率)は減少の一途をたどっていました。
また、戦争の期間もどんどん短くなり、1年かそこらで決着がつくため(それ以前は10年とか戦争が行われていることもありました)結果的に戦闘回数も減り「近代戦は人があまり死なない」という状態だったのです。19世紀の世界、各国もそういった気分で戦争し...続きを読む

Q第2次大戦の時も捕虜に対する法律(条約?)があったりしますよね。

第2次大戦の時も捕虜に対する法律(条約?)があったりしますよね。
映画「戦場にかける橋」など観ていると、一応(結果的に破ることはあっても)
そのような法律を日本は批准していたように観うけます。

東京空襲や原爆投下というのは、民間人に死傷者が出ることは
予想がつくことと思いますが、国際法に反していないのでしょうか?
いくつか考えてみましたが、以下のどれかでしょうか、それとも違いますか?
 A.そのような国際法は存在したが、元々あるいは戦時中に日本が脱退した。
 B.そのような国際法は存在したが、真珠湾攻撃など日本が先に違反したから、脱退と見なした。
 C.そのような国際法は存在したが、「正当防衛」などかなり無理な解釈でスルーされた。
 D.もともと民間人を攻撃してはいけないような国際法は、当時存在しなかった。
歴史や法律に詳しい者ではないので、なるべく平易な用語でお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>第2次大戦の時も捕虜に対する法律(条約?)があったりしますよね。

捕虜に関する条約であれば、「ジュネーブ条約」でしょうか。
この条約は戦争後の1949年に締結されたもので、戦時中にはありませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%AB%B8%E6%9D%A1%E7%B4%84_(1949%E5%B9%B4)

戦時中あったのは、民間人を攻撃してはならない、また、捕虜の処遇についての「ハーグ条約」がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E9%99%B8%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

従って、あなたの回答で言えば、「A」「B」「C」のどれもが正解です。

面白い記事がありますのでご紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/iwana_001/e/6dc214c75fdd29883636888ec672bf43

この記事の中で「民間人攻撃は国際法に反する」・・・と言っているのは、「ハーグ条約」のことだと思います。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>第2次大戦の時も捕虜に対する法律(条約?)があったりしますよね。

捕虜に関する条約であれば、「ジュネーブ条約」でしょうか。
この条約は戦争後の1949年に締結されたもので、戦時中にはありませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%AB%B8%E6%9D%A1%E7%B4%84_(1949%E5%B9%B4)

戦時中あったのは、民間人を攻撃してはならない、また、捕虜の処遇についての「ハーグ条約」がありました。
http://ja.wikipedi...続きを読む

Qベルサイユ条約の賠償金

第一次大戦後のドイツは、額面ベース・総額で賠償金をいくら払ったんでしょう?

がんがんマルクを印刷してハイパーインフレになったことは把握してますが、
その結果として講和条約の何割程度を履行したのかが気になりまして。

Aベストアンサー

ここなど参考になりますでしょうか。
ドイツ側は「450億金マルク払った」、フランス側は「200億金マルク以下の価値しかない」
と言い争ったそうですが。

参考URL:http://ww1.m78.com/weimal/ruhr.html

Qサンフランシスコ平和条約と講和条約の違い

あの、教科書にはサンフランシスコ平和条約とかいてあるのですが、
プリントにはサンフランシスコ講和条約とかいてあって。

なにが違うのか教えてください。

Aベストアンサー

講和とは交戦国どうしが取り決めを結び、戦争をやめ平和を回復することで、講和条約とは戦争の終結を宣言し、領土・賠償金などの講和に伴う条件について規定する国際法上の合意のことをいいます。
つまり平和を回復するための条約ですので平和条約という言い方もあります。

なので講和条約と平和条約とは一緒です。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/65935/m0u/%E8%AC%9B%E5%92%8C/

Q大日本帝国の領土

昔、日本は、大日本帝国という時代がありましたが、あの当時の領土というのは、どこからどこまでなのでしょうか?時間的な経緯は、抜きにして、どこが領土だったかというが、わかる方がいれば、ご指導ください。また、時間的経緯から、年表で日本の領土、拡大、縮小がわかれば嬉しいです。お願いします。

Aベストアンサー

1910年には朝鮮併合を行ってましたので、太平洋戦争開始時には現在の日本領土と朝鮮半島・南樺太・北方領土と1920年から日本が委任統治していた南洋諸島(サイパン島・グアム島・トラック諸島など)が領土とされていたはずです。満州国などは確かに日本の勢力が伸びてはいましたが日本国領土ではありませんでした。

1941年12月には英連邦軍が降伏し、台湾が日本の領土と成り、同月の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、42年1月にはマニラを占領しました。
同年2月にはシンガポール連合軍が降伏し、シンガポールを占領。
更に同年3月オランダ領東インド(現在のインドネシア周辺)を占領。
5月には珊瑚海海戦に勝利し、ニューギニア島北部とラバウル諸島・ガダルカナル島を占領し、オーストラリア本土の目前まで領土を広げる。
同年6月北部戦線はアッツ島を占領し、アリューシャン列島攻略にかかる。(日本の最大勢力範囲の時。)

日本軍の勢力はここまでで、その後衰退の道をたどる。
1942年6月、ミッドウェー海戦において大敗。
同年8月、ガダルカナル島に米軍上陸。43年2月日本軍撤退する。
43年5月、北部戦線の最前線であったアッツ島守備隊が全滅。米軍占領する。
44年6月、サイパン島占領される。
同年10月、レイテ島占領される。
45年3月、硫黄島の日本軍全滅。

その後はご存じの通り、日本各地に空襲され、原子爆弾投下により、日本はポツダム宣言を受諾し、日本の敗戦が決定しました。

1910年には朝鮮併合を行ってましたので、太平洋戦争開始時には現在の日本領土と朝鮮半島・南樺太・北方領土と1920年から日本が委任統治していた南洋諸島(サイパン島・グアム島・トラック諸島など)が領土とされていたはずです。満州国などは確かに日本の勢力が伸びてはいましたが日本国領土ではありませんでした。

1941年12月には英連邦軍が降伏し、台湾が日本の領土と成り、同月の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、42年1月にはマニラを占領しました。
同年2月にはシンガポール連合軍が降伏し、シンガポールを...続きを読む

Q日米和親条約と日米修好通商条約の開港した港の違い

私の本に、日米和親条約で下田と函館を開港し、日米修好通商条約で、
函館、神奈川、長崎、新潟、兵庫の5港を開港とあるのですが、
そこで、疑問に思ったことが、日米和親条約で函館を開港したのに、
なぜ、日米修好通商条約でまた、函館を開港する必要があるのか?
また、日米通商条約では函館は開港して、なぜ下田は開港していない。
函館だけ2度も開港している理由が分かりません。

Aベストアンサー

和親条約で開港した函館は 米艦隊の補給・寄港のみの開港
修好通商条約はその名の通り 貿易を可とするための港の開港が必要です
なので函館はそこで完全な開港(寄港のみではなく商業港として開港)となったのです
他の4港は補給と商業港として1度で開港しました

函館はロシアを睨むアメリカにとっては最重要な港です
是が非でも抑える必要がありました


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