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馬鹿な質問で申し訳ありません。
特殊相対性理論について質問なんですが、
『速く動くと時間の流れはゆっくりになる。』
『時間、空間は絶対ではない!』
らしいのですが意味不明です。
よく特殊相対性理論については、光速で説明されてますが、何で特殊相対性理論を説明するのに光速でなければならないのですか???
光速の時間で考えるから『速く動くと時間の流れはゆっくりになる。』『時間、空間は絶対ではない!』になってしまうのではないのでしょうか?
光は『光速度不変の原理』だと言うことは、そのように実証されているなら、意味不明でも(あ~、そーなんだ)と思うしかないけど、そもそも、光速時間で考えるから動いてるものと動いてないものの時間にズレが生じるわけですよね?
普通に手巻き時計や、そこいらの店で普通に売ってる時計で計れば時間にズレなんて生じないのだから、この特殊相対性理論も光速ではなくて、普通の時計の速さで考えればアインシュタインの特殊相対性にならないのではないのですか?
何故わざわざ、光速で考えなければならないのでしょうか?

A 回答 (27件中1~10件)

No.27=25です。

 速度を分解します。
a)
   c  
  /30°
 ・-
なす角30°なので縦にcsin30°=0.5cの速度です。対してb)は縦にcの速度です。座標が右に ccos30°の速度で動いているときはa)の・が右に速度がなくなっちゃうので上への速度で埋め合わせてなんだかよく分からないけれどa)の・の縦の速度がcに増えます。
a)座標→ccos30°
 c  
 |
 ・
・が光でなかったならば縦の速度が増えません。増えないで vsin30°のままです。実際撞球の玉が動いてるときそれに合わせて動いても速度が増えたりしません。
a)座標→vcos30°
 vsin30°
 |
 ・
光ではなく撞球の玉でやると時間が遅れてくれません。座標の動く速度がいい感じに・の右方向へ分解した速度と合わせてある設定が肝要です。a)の・が2回壁にぶつかる時刻2にb)の・は4回壁に当たったり1回だけ壁にあたったり座標の動き方で出来事が違います。もしも光が速さ3×10^-1[m/s]だったらa)の座標がvcos30°で動くとき光なので縦に3×10^-1[m/s]なのでしょうか?もしも撞球の玉が速さ3×10^8[m/s]だったらb)の座標がccos30°で動くとき球なので縦に6×10^8[m/s]なのでしょうか?
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質問文冒頭に「馬鹿な質問」とありますが、私はそうは思いません。

相対性理論が出た当時「世界で3人しか理解できない(注:正確な人数は失念)」などと言われたわけですし、そもそも常識とはかけ離れて見える結論を出しているわけですから、理解はできても納得するのは大変だと思います。「相対性理論は間違っている」と主張している人がいますが、中には「常識に合わない」と言う理由で反対している人もいるくらいなので。
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おはようございます。

 時刻のズレと時間の進み方の違いを区別したくなります。
     座標→
a)ーーーーーーーーーーー
  /\ /\
 ・  V  ・
 ーーーーーーーーーーー下壁
 0   1   2
b)-
 ┃
 ・
 -下壁
 0,1,2,3,4
 a)の・が壁となす角30°で反射されていきます。2回目に下壁に当たる間にb)の・は4回下壁に当たります。それはa)の・の移動距離が長いからです。
 a)の・が右へ動いていく速度と同じ速度c(cos30°)で右に動いていく座標からb)の・を見るとa)の・が2回当たる間に1回下壁に当たります。それはb)の・の移動距離が長いからです。
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相対論的質量っていうのは、重力を無視したために、苦し紛れに相対論的力学が導入したもので、重力質量をちゃんと導入すると、相対論的質量も四元量も無用です。



静止エネルギーと運動エネルギーの比が変化するだけね。

粒子1の静止質量(m₀)とエネルギー粒子2との合体後の全エネルギーは、

E=m₁c²+p₂c=m₉c²=m₉(v²+w²)=4+1=5MeV.

w:合体粒子の波動スピード、

γ=c/w=mi/m₉:光の運動量の等価原理

※合体前の運動エネルギーが全部、合体後の運動エネルギーになるとして粒子の運動速度は、

m₉w²=m₀c²、w=√(m₀c²/m₉)=c√(4/5)、v=c√(1/5).

重力質量は、m₉=5MeV/c²
慣性質量は、mi=m₉c/w=(5MeV/c²)/√(4/5)
運動量は、mi・v=(5MeV/c²)/√(4/5)・c√(1/5)=2.5MeV/c

粒子の合体との違いは、静止エネルギーが両方にあるか片方だけかの違いだけで、重力質量との関係(100gの肉と100gの野菜を足すと200g)で計算すると相対論の四元運動量の式は無用です。
https://note.com/s_hyama/n/n263ebc24c8d9
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>アインシュタイン博士も、高速で移動する粒子は質量が「m=m0/√(1-V^2/C^2)」に増加した様に振る舞うので、時計は「t'=t√(1-V^2/C^2)」と遅れると述べられています。



嘘をつくな、相対論でもない物理を装うのはいい加減にしろ

>「M=m/√(1-(v⁄c)^2 )を導入するのは、それに明確な定義を与えることが不可能なので、よく
>ありません。‘静止質量’m 以外の質量は導入しない方がよい。M を導入する代りに、運動物
>体の運動量とエネルギーの表式を話に出す方がよいのです。」
とあり、また、
1989年にロシア人物理学者 Lev B. Okun は、普通に相対論的質量と呼ばれるM は使わないようにしようという提案を初めてしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E6%AD%A2 …
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まず、高速移動に伴う時計の遅れについて説明します。



高速で移動する時計や強い重力が掛った時計は遅れます。光速に達っしたり、プランク力の万有引力を受けた時計は止まります。

しかし、本当に高速移動したり、強い重力が掛ると時間そのものが遅れるのでしょうか。それとも、ただ「時計が動き難くなっただけ」なのでしょうか。それを考察します。

粒子は、光速に近づくにつれて加速し難くなります。これは、加速器の実験で実証済みです。ですから、高速移動する時計を構成する粒子は動き難くなり、その時計は遅れます。

この現象を、相対性理論では「m=m0/√(1-V^2/C^2)」と表現します。質量が2倍になると、同じ力を加えても速度は1/2倍しか増えません。v[m/秒]で移動する粒子は、静止時に比べて√(1-V^2/C^2)倍しか動かないので、v[m/秒]で移動する粒子はまるで質量が1/√(1-V^2/C^2)倍に増加した様だと言います。

アインシュタイン博士も、高速で移動する粒子は質量が「m=m0/√(1-V^2/C^2)」に増加した様に振る舞うので、時計は「t'=t√(1-V^2/C^2)」と遅れると述べられています。

私の肉体を構成する粒子も動き難くなるので、時計と一緒に高速で移動する私は、ゆっくりと動き・思考し・年を取ります。
私がゆっくりとなるので、自分が持っている時計が遅れていることに気が付きません。逆に、静止している人は速く動き・思考し・年を取っていると見えます。また、静止している人が持っている時計は、速く進んで見えます。まるで、自分に流れる時間が遅くなった様です。

しかし、決して私に流れる時間そのものが遅くなった訳ではありません。私や時計と言う物質が動き難くなっただけです。決して、「時間そのもの」が変化する訳ではありません。

強い重力が時計に掛かっても、時計を構成する粒子は動き難くなり遅れます。

「時間そのもの」には実体がないので、構造がありません。構造を持たないものが変化する仕組みを説明することは、未来永劫不可能です。一方、物質は構造を持つので、それが変化する仕組みを説明することが出来ます。

説明出来ないことを信じることは科学ではありません。それは信仰です。ですから、高速移動や強い重力で時計が遅れる現象は、「時間の変化」で説明するのではなく、動き難さと言う「物質の変化」で説明しなければなりません。

あらゆることが自明であるか否か一応疑って見ることを「方法的懐疑」と言います。
デカルトは「方法的懐疑」により、自明なことは「我思う故に我あり」のみだと気付きました。疑っている自分が居なければ、この疑いはあり得ないからです。それ以外のことは自明でないのです。

「本当に時間そのものが変化するのか」一応疑って見ることが必要です。その為には「時間が変化する仕組み」を考えることです。そうすると、それは説明不可能であり、ただ信仰していただけだと気付く筈です。

シュバルツシルト半径内では、時計はプランク力の万有引力を受けます。ですから、時計は止まります。それ以上ブラックホールに落下しても時計は止まったままです。

この様に私が高速移動すると私の肉体を構成する粒子は動き難くなり、私はゆっくりと動き・思考し・年を取る様になります。私の持っている時計もゆっくりと時を刻みます。

高速移動する私が静止者を見ると、静止者は速く動き・思考し・年を取る様に見えます。静止者の持っている時計は速く時を刻みます。

あたかも、静止者に流れる時間が速くなったようです。しかし、実際には、私や私の持っている時計の動き方がゆっくりとなっただけです。
詳細は
http://catbirdtt.web.fc2.com/kousokuidousurubuss …
を参照下さい。

つぎは、光速度不変の原理について説明します。
 「光速度不変の原理」とは、静止して光を観測しても移動しながら光を観測しても、光の速度は秒速30万キロと測定されると言うものです。
 例えば、時速100キロの電車を静止して観測すると、その速度は時速100キロです。しかし、時速50キロの車で追いかけながら電車を観測すると、電車の速度は時速50キロと測定されます。時速50キロの車に乗って電車と対面する形で観測すると、電車の速度は時速150キロと測定されます。

 移動する車から見た電車の速度を、電車の相対速度と言います。「光速度不変の原理」とは、光の相対速度は秒速30万キロで不変であると言うものです。つまり、光を秒速15万キロで並走しながら観測しても、同速度で光と対面する形で観測しても、光の相対速度は秒速30万キロで変らないというのです。これは、常識に反するため、大変理解しがたいのです。

 ではなぜ、この様な考え方が必要だったのでしょうか。
 電磁気力は、光の一種である電磁波が、電荷を帯びた物質間を往復することで生じます。そして、電磁気力の強さは物質間の距離の2乗に反比例します。つまり、電磁波が物質間を往復するのに要する時間の2乗に反比例するのです。
 電荷を帯びた2つの物質が並走しながら電磁波を交換すると、静止している場合に比べて、電磁波の往復距離は長くなります。即ち、電磁波の往復に要する時間が長くなるので、生じる電磁気力の強さは弱くなる筈です。
 しかし、現実には、静止していても移動していても、生じる電磁気力の強さは変りません。

 この謎を説明するために、アインシュタイン博士は、移動する2つの物質から見た電磁波の相対速度は、秒速30万キロで不変であると考えたのです。これで、静止していても移動していても、電磁波は同じ時間で物質間を移動します。だから、生じる電磁気力の強さは、物質の移動速度にかかわらず不変となると説明しました。

 しかし、幾らなんでも、秒速30万キロの光を秒速15万キロで追いかけても、同速度で光と対面しても、光の速度は秒速30万キロで変らないと言うことは理解出来ません。

 そこで次のような思考実験を行います。
 電荷を帯びた2つの物質を、一本の剛体の両端に取り付けます。そして、この装置を秒速vキロで移動させます。この2つの物質間を電磁波は往復します。
 この時、電磁波の移動距離は、進行方向(横方向)に剛体棒を向けた時静止時の1/(1-v^2/c2)倍、上下左右方向(縦方向)に向けた時静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍となります。
 一方、秒速vキロで移動する物質は「ローレンツ収縮」し、横方向に√(1-v^2/c^2)倍短くなります。従って、剛体棒の長さは、横方向に√(1-v^2/c^2)倍短くなるので、電磁波の横方向の往復距離は、静止時の1/(1-v^2/c2)×√(1-v^2/c^2)=1/√(1-v^2/c^2)倍と、縦方向の往復距離と同じとなります。
 この仕組みにより、マイケルソンとモーレーの実験では、縦方向に往復させた光と横方向に往復させた光とが、同時に戻ることが出来たのです。

 従って、秒速vキロで移動する場合、電磁波の往復距離は静止時に比べて1/√(1-v^2/c^2)倍となります。つまり、電磁波の往復時間は、静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍となります。

 一方、高速で移動すると物質は動き難くなります。この現象は、粒子を加速器で加速する際に見られます。粒子は光速に近づく程、加速し難くなります。秒速vキロで移動すると、静止時の√(1-v^2/c^2)倍しか動けません。従って、時計は1秒間に√(1-v^2/c^2)秒を刻む様になります。

 こうして、秒速vキロで移動する慣性系では、電磁波の往復に要する時間は、静止時の1/√(1-v^2/c^2)倍×√(1-v^2/c^2)倍=1倍となります。つまり、電磁波の往復に要する時間は、移動速度に関係なく不変なので、生じる電磁気力の強さも移動速度に影響されず不変なのです。

 この様に、現実には往路と復路の光速度は異なりますが、物理学の計算上一々往路と復路の光速度よりそれに掛る時間を計算し、生じる電磁気力の強さを求めることは無駄です。
 生じる電磁気力の強さは、電磁波の往復に要する時間の2乗に反比例するのであり、往復に要する時間は不変なのですから、往路と復路共に光速度不変と仮設して計算します。

 その様に仮設したのがローレンツ変換
①t’= (t-Vx/C^2) / √(1-v^2/c^2)
②x’=(x-Vt)/√(1-v^2/c^2)
③y’= y ④z’= z ⑤C’=C
です。

 物質は質量があるので、上記のとおり高速で移動すると動き難くなりまたローレンツ収縮する為、光速度が不変と測定されます。
 x=光の進んだ距離=Ct㎞、t=光の進んだ時間、V=もう一方の光の速度=C㎞/秒を①と②に代入すると
x'÷t'=C
と光速度不変となります。

 この様に、高速で移動すると時計が遅れ定規が収縮するので、V慣性系では時間と空間の座標が変化するのです。決して、時間と空間そのものが変化する訳ではありません。
時間と空間は絶対であり、光速度は物質が変化するので、不変と観測されるだけです。

 詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/kousokudofuhennnoge …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
光速に近くなればなる程、重力がかかるから思考も肉体の老化も遅くなる、『別に時間そのものに変化があるわけではない!』との話なら私も納得できます。それならば、光時計だけではなく、他の種類の時計でもゆっくり動く意味が理解できます。

でも結局、相対性理論は理屈ではなくて数字で出た結果で結論されていたわけですね。

TVで中学生でも理解できる物理学博士が光時計で特殊相対性理論を説明し、アインシュタインの相対性理論なら、タイムトラベラーも理論上は可能❗と言っていたけど、結局、あたかも、タイムトラベラーしただけのように感じるだけってことですよね?

時間そのものに変化はないけど、ただ単に、速く動く物質が重力でゆっくりになってるだけと言う理屈なら。

お礼日時:2020/12/19 14:33

そういう意味では、光時計であろうと、置時計であろうと、原子時計であろうと同じです。



したがって、時間が変化する( 1 )ということは光速が変化する( c )ことと同じ意味であり、その比は一定である。
https://shyama2019.blogspot.com/2020/08/blog-pos …

光速度、は、物理の方程式に“普遍定数”として現われる、ひとつの量である。しかし、秒の代わりに、光が1センチメートルの長さをよぎる時間を時間単位として導入すると、cはもはや方程式に現れない。この意味で、定数cはただ見掛け上普遍定数であるということができる。
http://fnorio.com/0160special_theory_of_relativi …

意味を理解してないと余計惑わせているだけだと思います。
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finalbentoさんは、相対論を理解してから、回答した方がよろしいかと



>電車の外から見た人にとっての光の軌道の方が明らかに長いわけですが、光の速さはどちらも同じとすると、時間がそのとばっちりを受けて「電車の中の人が計った時間と電車の外の人が計った時間が異なる」と言う分かりやすい(「納得しやすい」かどうかは別の話ですが)結論になるわけです。

速さを同じとしている訳ではない、光速度cを不変にしているだけね。

c = 299,458,792 m/s で処理するスタイル、

{ c=1/√(ε₀ μ₀)、γ=1/√(1±v²/c²)=c/√(c²±v²)=c/w }. 

 または数値に関係なく c 不変で処理するスタイルがあります。

または { c=γ/√(ε₀ μ₀) 、γ=1/√(1±v²/c²) }.

 ひゃまは、この数学的スタイルについて文句を言うつもりはありません。
https://note.com/s_hyama/n/nafb0b31e406e

光速度不変の意味は後者です。
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巻き戻しになって恐縮ですが、質問文にあった「光速時間」や、お礼に欠かれてあった「光時計」なるものが正直言って何の事かよく分かりません。

少なくとも私が今まで読んだ相対性理論関係の本(物理の専門書を含む)には、そのような表現は一切出ていませんでした。それから質問文の結びの「光速で考えなければならない」と言うのもどう言う事を指しているのかはっきりとは分かりかねます。


(「ひょっとしたらこう言う事では?」と忖度する事はある程度できますが、それでも「その意味で間違いない」とまで断言はできかねます。恐らくは私だけでなく回答された方はみなさんそうだったのではと思います)


とは言え「光時計はアインシュタインの“発明”」と書いておられる方もいるのでひょっとしたら光時計なる時計が(少なくとも思考実験上のものとしては)実際にあるのかもしれませんが、仮にそうだとしても「光時計だからこんな結論になった(普通の時計ではそうならない)」とは考えません。時間を計る具体的なメカニズムが時計の種類によって異なると言うだけであって、同じ時間を同じ条件で計る以上は(誤差の問題等を除けば)腕時計で計っても砂時計で計っても日時計で計っても同じ時間になるものと考えます。光時計なるものももちろん例外ではありません。


相対性理論の解説書によく出てくる、走る電車の中で電車の進行方向と垂直の方向に光を往復させる実験では、電車の中にいる人にとっては光は直線上を往復するだけですが、電車の外から見ている人にとっては光の軌道は二等辺三角形の二辺のような「山なり」に近いものになります。電車の外から見た人にとっての光の軌道の方が明らかに長いわけですが、光の速さはどちらも同じとすると、時間がそのとばっちりを受けて「電車の中の人が計った時間と電車の外の人が計った時間が異なる」と言う分かりやすい(「納得しやすい」かどうかは別の話ですが)結論になるわけです。


なおこの実験での「電車の中の人が計った時間と電車の外の人が計った時間が異なる」と言う結論は、光ではなく例えばボールを投げる場合にも当てはまります(そう言う意味では「光だから特別」と言う事にはなりません)。ただしボールの場合は光の場合と違って「電車の中の人と電車の外の人とではボールの速さは同じ」と置く事はできないので、特殊相対性理論を認めない段階においてはそれぞれの時間を実測するしかないかもしれません。特殊相対性理論を認めた立場ならもちろん計算で理論的に導き出せるはずです。
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たぶん、この辺の光速度不変の原理の位置づけは、計量しないで公理で勉強しただけでは理解できないと思うので、中西さんの論文を引用しますね。



不幸にして一般相対論の教科書にちゃんと明言してあるのは,見たことがない.擬リーマン空間的,すなわちローレンツ計量的構造は,アインシュタイン方程式を解くときの境界条件として入ってくる.つまりいわば後から手で入れているわけだ.特殊相対論を習って次に一般相対論を習うから,誰もこの手続きに対して疑問を抱かないのである.しかし,理屈からいえば話は逆だ.理論的には一般相対論のほうが特殊相対論よりも基礎的な理論のはずだから,ローレンツ計量をここで勝手に持ち込むのはルール違反と言うべきであろう.ローレンツ計量は基礎理論から論理的に導出されなければならないことのはずだ.しかし,一般相対論,すなわち古典アインシュタイン重力の枠内でこのことを導くのは不可能である.つまり,より基本的な理論である量子アインシュタイン重力 1),2) に基づいて導かれなければならない.
時空は 4 次元である.このこと自体を第一原理から導くのは困難であるので,仮定するしかない.
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editoria …
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