新生活!引っ越してから困らないように注意すべきことは?>>

長谷川眞理子の「世界は美しく不思議に満ちている」から引用します。

<私自身、自然科学者で、かなり筋金入りの無神論者ではあるが、2004年、カンボジヤのポㇽ・ポト政権下での虐殺の地を訪れたあとには、何でもよいから寺院で祈りたいという欲求にかられたことを覚えている。>。

以下、彼女の説明を要約します。
この世は不公平と悲惨に満ちている。それがなぜ起こるかの説明が認知的に理解できても、情動的に満足がいかない。
この世で悲惨な運命にあった人間は来世で浮かばれ、悪をなした人間は罰せられるという物語を作ることにより、宗教は、この情動を満足させてくれる。

私は筋金入りではありませんが、無神論者の端っこに一応座っています。私も、この状況では祈ることでしょう。おそらく、大方の人は・人の脳は、このような情動を満足せなければならない、という形質を宿命付けられている、と思っています。

質問は、無神論者の方々(それ以外の方々も)は、虐殺の地を訪れたあとに、祈りますか? ませんか?

A 回答 (13件中1~10件)

祈りとは何か?



私は、「ご冥福を祈る」と思うが、それが無神論と関係あるとは思わない。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
祈りの対象が、犠牲者・死者ですね。
もし、祈りの相手が神であれば、無神論に抵触しますね。

お礼日時:2020/12/13 18:03

いの‐る


【祈る・禱る】

× 1.神や仏に願う。
 「家内安全を神仏に―」

〇 2.心から望む。希望する。

Oxford Languagesの定義
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
神仏を抜きにして、望む・希望する、なのですね。

お礼日時:2020/12/15 18:17

無神論者の方々(それ以外の方々も)は、


虐殺の地を訪れたあとに、祈りますか? ませんか?
 ↑
祈りません。

宗教というのは、こうした人間の情動に
巧みに取り入ることにより成立するんだなあ
と思うだけです。

人間の心の闇につけこむ「喪黒福造」
みたいなものです。
「虐殺の地を訪れたあとに、無神論者の方々(」の回答画像12
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<宗教というのは、こうした人間の情動に
巧みに取り入ることにより成立するんだなあ
と思うだけです。>ですね。
ところで、組織された宗教ではなく、自分独りだけの宗教(信仰というのでしょうか)に対しても、やはり避けておられるのでしょうか?

お礼日時:2020/12/14 18:22

><祈りたいとも思いませんでした。

>なのでしたね。
>祈りよりも、長谷川眞理子の言うように<なぜ起こるかの説明が認知的に理解>の方が優先するのですね。

確かに、よく冷徹だとか血が流れていないと、謂れの無い非難を受けることがあります。一時、戦場と呼ばれるところを歩いていたので、感覚が麻痺しているのかもしれませんし、慣れてしまっているのかもしれません。

戦場見物という気はないにせよ、ちょっとドンパチありそうだな、今の内に観光しておくか、という行動をしていましたので、市場で爆弾テロに逢ったり、夜が明けたら戦車が出てきて橋の両端で対峙していたり、川の先の地で銃弾が飛び交っていたりという図はよく目にしました。オブラートに包んでいますが、当然死体も数多く目にしています。頭蓋骨で作ったカンボジア地図を眺めて「酷い」と思うより先に、「解放された後にこういうものを展示物として作るメンタリティって」と考えてしまう性質です。

余り褒められたものではないことは自覚していますが、疑問を持つ対象と同一にはならないよう律してはいます。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
冷静な・理性的な心を持たれているのですね。
1.感傷に溺れるのでなく、よく見ておこうという行動指針なのですね。
2.<疑問を持つ対象と同一にはならないよう律してはいます。>ですね。

お礼日時:2020/12/14 18:17

無心論者ではないと思っていますが、カンボジアの各地のキリングフィールドでもS21でも祈りはしませんでしたし、祈りたいとも思いませんでした。



むしろ、何故こうなったのか、民心は個々に至ることにどう思っているのかの方に関心が涌きました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<祈りたいとも思いませんでした。>なのでしたね。
祈りよりも、長谷川眞理子の言うように<なぜ起こるかの説明が認知的に理解>の方が優先するのですね。

お礼日時:2020/12/14 08:05

たぶん、俺の知り合いや肉親、あとそこら辺りに蠢いてる方々が


まぁ何となくこのような事に巻き込まれませぬように・・・
なんてさ
カッコよくお祈り申し上げます。

と言いますか
真剣にお祈り致します。

追伸として
私も巻き込まれませんように・・・
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
知人などが<このような事に巻き込まれませぬように>祈るのですね。
ところで、誰に祈るのでしょうか?

お礼日時:2020/12/14 07:59

さて、「祈り」とは何かというと、人間の「こうなって欲しい」とか「こうあって欲しい」という「思い」だと思います。


ですから、木造さんが言っているように無神論者か否かは関係ないと。

それから、信仰を持っている人間の祈りとは、神仏に奇跡を期待するものであるというのが通説になっているようですが、そうでもないと思いますし、
奇跡というものを明確に否定している宗教もあるのです。

ですから、虐殺の地でこういうことが二度とないように祈らずにはいられなかったのは誠に素直な気持ちではありますが、祈りが強いということは即行動につながる、ということになるはずです、奇跡を否定する宗教を信奉する人も無神論者も。

そうでないならば、厳しいことを言うようですが、強い祈りではないか、単なる感傷であるか、物事の理解が曖昧であったり、諦めが強かったりするわけであると思います。

私は若いころは結構世間知らずで、純粋すぎたきらいがあって、モヤモヤしていました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<祈りが強いということは即行動につながる>ということなのです。
行動をするよ、という誓いの行動なのですね。

お礼日時:2020/12/14 07:55

私は数ある被災地の内のひとつの地域に住んでいる人間で、実際に被災したことがあり、友人らを亡くしたのですが、その観点でお話ししようと思います。



その様な私は、毎年の追悼の会や、モニュメントを設置した公園などに行って、祈りを捧げたことはありません。

しかし、度々、その友人のことは思い出すのです。もう数十年経つのに。

また、街の中に建てられている石碑に、その友人の名前などが刻まれてあるのを見て、その友人の時が当時のままに止まり、残された人は年を取り、彼女の思い出だけが老朽するどころか澄んだものになって行っているのを感じたりします。

その澄んだ思い出が、例えば神仏祖霊守り神と言った人間の心の拠り所になる心像そのものなのではないかと思うのです。

祈りとはそう言った死者の生きた往時を偲んだ思い出の純化の過程とも言えるのかなと思います。

その祈りの対象が広ければ広いほど、祈る人の心も広いのだと思われますし、祈りの対象との関係が深いものであればあるほど、祈る人の心も深い所までその純化の作用が行き渡るのでしょう。
祈りとは人間の持つ素晴らしい心性の顕れの一つだと私は思います。

回答:
例えば広島の平和記念公園などに行った時にはやはり祈ると思います。でも、もっと私が若い頃で、人の気持ちに疎かった頃の自分であれば、そのような地に立っては何か思ったかも知れないが、祈ることはできなかったかも知れない。

今、カンボジアのその土地に行ったとしたら、祈りによって心が静まるのではなく、逆に怒りによって心が沸々と立つかも知れないとも思う。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<祈りとはそう言った死者の生きた往時を偲んだ思い出の純化の過程>なのですね。<純化>が私の心に沁みます。
今ですと、<怒りによって心が沸々と立つかも知れない>ですね。
月並みな表現ですが、人生のめぐり逢いにより、祈る・祈らぬ・怒るも替わるのですね。

お礼日時:2020/12/13 18:23

無神論者です。


神や仏は人間がつくりだした虚像だと思っています。

そのような場合は、私なら手を合わせるか黙とうをします。
祈って犠牲者が天国にいけるなどとは思いません。

でも犠牲者に対して哀悼の意をささげるのは生きている者の責務です。
無責任なポピュリズムや民族差別・敵視などが大きくなっている現状だからこそ、必要だと思うんですよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
無神論者の方のご説明でした。
天国や神に関してではなく、あくまでも<犠牲者に対して哀悼の意をささげる>のですね。仲間としてですね。

お礼日時:2020/12/13 18:11

祈るって 何を祈るでしょうか?



虐殺されないように祈る気持ちで祈ることは出来ても

もう殺された人をどうすればいいのでしょう

私だったら頭を下げると思います

人間がおかしかったために犠牲者が出た

人間をまともにしようと願うでしょうね

祈りの習慣がないもので その場になってみないと分からないですねえ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<人間がおかしかったために犠牲者が出た
人間をまともにしようと願うでしょうね>ですね。
反省し改革を誓う、ということですね。

お礼日時:2020/12/13 13:31

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