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昭和16年4月(1941年)に日本は、ソヴィエト連邦(ソ連)との間で、日ソ中立条約を締結しました。

同年12月(1941年)に日米戦争、日英戦争、日蘭戦争が始まりました。

昭和20年2月(1945年)のヤルタ会談で、米国ルーズベルト大統領はソ連スターリン首相に、ソ連が米国に味方して対日戦争に参戦するように要請しました。

ソ連のスターリン首相は、満洲国及び日本領の朝鮮への侵攻と、日本領の南樺太及び千島列島をソ連が領有することを米国が容認することを条件として、対日参戦に同意しました。スターリン首相は、日ソ中立条約を破る決心をしたわけです。

同年5月(1945年)にドイツが降伏したので、ソ連の軍隊には余力が生じました。スターリン首相は、それを極東へ移動させて、対日戦争の準備を開始させました。

ここで質問ですが、スターリン首相とソ連軍は、いつ、対日戦争を開始する『計画』だったのでしょうか。

私が知っているのは、
①同年8月15日
②同年9月上旬
という2つの説です。どちらが正しいですか。
あるいは、その外の説があるのでしょうか。
ご存じの方、教えてください。

===============

史実は次の通りです。

昭和20年8月6日(1945年)に、米軍が広島に原子爆弾を投下した。

それを知ったスターリン首相は、慌てた。米軍の原爆で日本が降伏してしまうと、日本から南樺太も千島列島も奪うことができなくなる。朝鮮も満州国も絶望的になる。

で、スターリン首相は、『計画』を繰り上げて対日戦争を開始するように極東のソ連軍に命じた。

それで、昭和20年8月9日(1945年)の早朝に、ソ連軍が満洲、朝鮮、南樺太、千島への侵攻を開始した。

同じ8月9日(1945年)の昼前には、米軍が長崎に原子爆弾を投下した。

昭和20年8月14日(1945年)の夜に至って、日本政府は降伏する旨を連合国側に通知した。

昭和20年8月15日(1945年)、玉音放送。

質問者からの補足コメント

  • 質問文に誤りがあったので訂正します。

    【訂正前】
    ソ連のスターリン首相は、満洲国及び日本領の朝鮮への侵攻と、日本領の南樺太及び千島列島をソ連が領有することを米国が容認することを条件として、

    【訂正後】
    ソ連のスターリン首相は、満洲における鉄道権益と旅順租借権を回復することと、日本領の南樺太及び千島列島をソ連が領有することとを米英が容認するのを条件として、

      補足日時:2020/12/18 11:36

A 回答 (2件)

ヤルタ会談で独降伏後、約3か月で対日参戦をすると保障しました。


独の降伏は1945年5月9日(独時間)です。

ソ連はヤルタ会談の前後に対日戦作戦計画の検討を始めました。ヤルタ会談後、スターリンの独降伏後3か月以内に対日戦開始との厳命により、2月下旬から兵力の東送が開始されます。もちろん独降伏後の5月以降に本格化します。この東送に目処が付いた6月中旬にソ連参謀本部は対日戦作戦日程を概定します。この基本作戦計画では8月5日まで兵力集中を終え、攻撃開始は22~25日に行うというものでした。すなわち開戦は8月下旬と予定したのです。しかし、スターリンはこれに満足せず、より早くとせかしました。これにより、6月28日に開戦は8月11日と改変されました。7日16時過ぎ(モスクワ時間・日本時間22時過ぎ)に突如として開戦日時が9日朝()と繰り上げになります。この突如の繰り上げはおそらく6日の広島原爆投下によると思われます。
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この回答へのお礼

当初の計画では、対日開戦日程は、8月下旬だったのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2020/12/22 00:44

長期的な計画のある国は流石だね。

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/12/22 00:45

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