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心は目指している。何か、良い状態になろうとしている様である。良い状態とは、善であったり、豊であったり、惠であったり、美であったりする。

心が到達したなら、そこは永遠であろう。
すでに到達しているなら、そここそは永遠であろう。

問いたい。
心は何処に到達するだろうか?

皆様のお考えをお聞かせ下さい。

質問者からの補足コメント

  • すべてのことを認めた上で、と言うくだりが特に素晴らしいと思います^_^

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/12/27 03:50

A 回答 (10件)

Σ(゜Д゜)心の終着駅ですか!



キサラギさを
相変わらず、渋い質問ですね

( ̄~ ̄;)悩み~~~

心の終着駅
ワシはやすらぎかなぁ~

善でも悪でも
どちらでも良くて

豊かじゃなくて、飢えない程度なら
それもよくて

心の電車が、もう走らなくて良いよ
お疲れ様って

優しく声をかけてもらえる
世界観かなぁ~

善人も、悪人も
誉められることは、誉められて
罰せられることは、罰せられて

すべての事を認めたうえで

やすらげる環境かと

相変わらず
変な回答でm(._.)mごめんちゃい
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

素晴らしい。
素晴らしい世界観だと思います。
さすが哲学者^_^

お礼日時:2020/12/27 03:45

裸の対象を見つめているので



Σ(゜Д゜)名言ですね

実感や事実
認識に感覚
意味に無意味

癒しを言葉でおぎなうなら

癒しを実感する
事実として癒されてる
癒しを認識する
感覚として癒されてる
意味がある癒しの効果
癒しとして無意味

色んな言葉で、補えるけど

癒しって事柄を
丸裸にしょうにも

人生の一部分である
癒しだけを
人生てな壮大な事柄から
皮をはいで、切り取って
骨からはがして、筋をきって
極上の部位だけを
ひと口だいの大きさに
精肉みたいな作業は出来ないですもんね

焼き肉たべたぁ~い(^q^)とくに、ハラミが


でも、癒される時間てなのは
人それぞれに
必ず、与えられてるはずであって
そうでなければ
産まれてきたことに
意義をを感じられないと
個人的には、言い切りますよ

その限られた癒しの時を
自分自身で見付け出して
どう手繰り寄せて
どう実現するのか

その行為って
考えたら、
自然の摂理や、社会の在り方からしたら
賎しい行為なのかもしれなくて

人によっては、強欲であったり
利己的であったり

真逆に、清貧であったり
利他的であっても

裸の対象てな言葉をあてはめると

その行為じたいは、賎しい事柄ですもんね

だって、手繰り寄せるんですもんね

手繰り寄せなければ
天から降って来ることはないですもんね

雨や雪はふってくるけど
幸せは天から降ってこない

Σ(ノд<)幸せって言葉を使いたくないけど、当てはまる言葉が、幸せしかないので
幸せの定義付けは求めないでね

人によっては
空からお金が降ってこないかなぁ~とか
ワシだけの女神様が降臨されないかなぁ~
なんてな、楽観的思想も有りと言えば
在りなんですけどね

個人的には、
現実や社会の厳しさや無慈悲を考えたら
やはり、手繰り寄せるてな、言葉が当てはまるんですよ


他人の評価であっても
自己の価値観であっても

それは、裸ではなく
誰かに、着せられてるての
みずから、着飾ってるのか

裸になって、見ないと
わからない話ですもんね

でも、裸になるのは
なかなか難しくて
恥ずかしくもあり
勇気のいることですもんね


ついつい連投m(._.)mペコペコです
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この回答へのお礼

卑しいと言う事は、美しさを知って居ると言う事なのであります。
裸になるとは、卑しいと言う事もすべて認めたうえでのことなのであるから、それは勇気であります。
裸を見ると言う事は、対象を辱めないと言う事であります。リンゴはリンゴらしさのままに認めると言う事です。
それが知と言うものではないでしょうか。

お礼日時:2020/12/29 18:12

はい!




人によって
癒しを求めてても
他人からみたら
【賎しい奴め】
なんてな、侮蔑につながる事もありますもんね

誤解であるのか
わざと、事実を曲げて観てるのか
物事の評価って
見方ひとつで、変わりますもんね
赤いリンゴも
近くで観るのと、遠くで観るのとで
色の感じかたなんて変わってきますもんね

晴れた日の、青空も元で観るのと
真夜中の暗がりで観るのとでも

なら、【リンゴ】と【癒し】を置き換えると

人によっては、他人の【癒し】が
見る角度や、思い込み、勘違いなどで【賎しい】なんてな話にも

そらすら、受け入れてしまわないと

キリがないのが世の中ですもんね
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この回答へのお礼

僕はですね、友人にしばしば言うのです。
リンゴは赤色ではないと。
では何色なのか?
あれはリンゴ色なのだと^^

リンゴの絵を描く時に、それを赤色(Red)に塗ってください。すると、そのリンゴはあなたの絵ではなく、一般的なリンゴの絵、つまり言語や単語に近いものとなってしまうのであります。

いや、鼻から脱線してしまいましたが。

見る角度、見る環境、見る人によって、同じものでも見え方は違う。そして、自分がそれを見ていると、同定したものでさえ、実は見ていないのであります。

これは自分にとって癒しだと、思っているものが、実は自分の考えた癒しを当て着せたものであって、裸の対象を見つめているのではないのだと。

僕はこんな風に思いました。

お礼日時:2020/12/28 20:38

人間は一人で生まれて一人で死にます。



心象風景としては、荒野に風が吹いていて、一本の枯れ木が立っている。人の気配はない。華やかな色は何もない。

孤独。

どんなに頑張っても、100年後この世界がどうなっているか知ることはできない、自覚だと思います。
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この回答へのお礼

ポルポさんの時々為されるご回答には気持ちが入っているのをいつも感じています。真剣な思いを含ませて回答されるポルポさんの言葉には信用が置けます。

私が二十歳頃の事。
CanadaのNewfoundlandとNova Scotia地方を、ヒッチハイクで旅をしたことがあります。NewfoundlandにTabellandsと言う地形がありまして、そこの山頂部が平らな山に登りました。枯れた山頂部には池と呼べないほどの水たまりがぽつぽつありまして、空を映しておりました。枯草と、苔と、銀灰色の肌をした這松が少し生えているだけの、風が主の土地です。

生物が少ないと言う事は清いということでもあります。荒涼とした土地を心が求めるのは、風に運ばれて何処へでもいいから、ここではない何処かへ行きたいと言う寂しい気持ちを持つからだと思います。寂しい気持ちは人を旅に誘って、心を楽にしてくれると僕は思います。

世界の果てに近い、荒涼とした台地の上で、意外にも自分はしっかりと立っていたことを思い出しました。

何を言わんとしているのか、自分でもよく分からないお礼ですが^^

お礼日時:2020/12/28 20:28

ちょいと、言葉遊び



癒しを求めてるのに

賎しいを求めてると思われるのは

( ̄~ ̄;)ツライ話にも繋がりそうですね

だからこその、補足の言葉に繋がるとは

言葉遊びで濁しときますね
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この回答へのお礼

ん?
これはちと分かりませんでした^^
分かりませんでしたが、誤解がつらい話につながると言う事はあると思います。
つまりそこで、すべてを認めたうえで、と言う事につながるのかな?

お礼日時:2020/12/28 19:18



自分の思想・信念・哲学に曖昧ならば曖昧なりに到達すると思います。

人間の一生は短い。
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この回答へのお礼

昔聴いた禅問答があります。

「先生、人の一生はどれくらいの長さでしょうか?」

「一呼吸」

この問答に、生きると言う事の諸々が含まれている気がしました。
死とは息を引き取る事、生とは息吹く事。
不思議なものです。僕らは何かを分かったようでいても、自然の定めの意味の事は、何も知らない。

お礼日時:2020/12/28 19:16

心は愛や真実に向かいます しかし真実・真理には到達できません



「求道既に道である」と言った宮沢賢治の言葉が忘れられない。
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この回答へのお礼

haru27さんこんにちは^^

haru27さんは求道的ですね^^
しかし何故、真実・真理には到達できないとお考えなのでしょうか?
永遠の目標と言う事でしょうか?
すると私などは、その到達し得ない永遠の目標を目指す心は、それを内的に知っていると言う事になると思うのですが。
永遠の目標を(求道する)心が知っているのは何故でしょうか?

「われらは世界の

まことの幸福を索ねよう

求道すでに道である 宮沢賢治」


「既に知っているはずのその道を

どうして我らは思い出せない

再び出会ったその時に

道は完成するだろう 如月X」

お礼日時:2020/12/27 16:44

心は目指している。

何か、良い状態になろうとしている様である。
良い状態とは、善であったり、豊であったり、
惠であったり、美であったりする。
 ↑
生物学的に云えば、心は、存在に最適な
環境を目指しています。

自然的な環境なら、それは美になり
癒やしになります。

人工的な環境に対しては、善や豊かさに
なります。

逆に言えば、美、癒やし、善、豊かさなどは
環境適合性に対するサーチライトのような
ものです。



心が到達したなら、そこは永遠であろう。
すでに到達しているなら、そここそは永遠であろう
 ↑
環境は変化しますから、永遠とは
言えません。



問いたい。
心は何処に到達するだろうか?
  ↑
生存最適性を目指して、彷徨います。
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この回答へのお礼

ふふふ^^
tanzouさんとはこのような考えの人だったのですね。
格闘技をやっていてサッパリした考えの持ち主なのかなと勝手に想像していました。

>逆に言えば、美、癒やし、善、豊かさなどは
環境適合性に対するサーチライトのような
ものです。

なるほど。これらはあくまでサーチライトであり、真の目的は別にあるわけですね。それが存在のための環境適合性であると。とするなら、心の目的地の知識は存在に内在していることになるのかな?

ふむ。これはこれで哲学的ですね^^
ありがとうございます。

お礼日時:2020/12/27 16:35

おいおい


心が何だか分からないのに、な質問可笑しくねえか
せめて深層心理学者のフロイトやユングぐらい知らなきゃね
何処に到着するかなんて、基礎的な知識が無きゃ
我見偏見邪見僻見の域を出ないぞ

心の活動を、立体的に 流動的にとらえ、
その機能 本体 可能性を分析し 
個性化及び個別化の原理を説き
その深層を解明しなければ
何処に到達するかなんてわかるはずがない

あえて言えば
「現意識」「阿摩羅識」「法性の淵底」「玄宗の極地」
とでも言っておきましょうかね
が、ほぼ到達しねえ

到達する方法はあるが、
聴く耳を持ってれば、教えるが

アレキンスカレル(生理学者)ノーベル賞受賞) の言葉を引用したい
中略・・・我々の内部世界は茫漠たる未踏の地である

これから その未踏の地へご案内しようと思いますが
ページが足らないので後日




そのさわりは、こんなもんからから


生命の心の活動は、五識(眼・耳・鼻・舌・身体)と六識(意識)の働きで営まれています。
五識とは 見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるの五感を意味します。

第六識は意識の事で、五識からの情報に反応し、推量して働く理性「知る心」「判断する心」で、
左脳中心の私たちの表層意識
行動と状態には個々差異が生じます  第六感 等言いますね

第七識は末那識(まなしき)末那(manas)とは「思量するもの」意味で「思量識」とも言う「自我意識」のこと
六識の発生場所を第七識として定義 おもに左脳を管理していて、
一般的に言われている「潜在意識」に該当するものです。
意識のデータバンクとも言われていて、この領域を支配しているので虚空蔵とも言います
もともと潜在意識はオーストリアの精神分析の創始者であるフロイトが解明したものです。
だから第七識まではフロイトの学説でおおむね説明できます(夢判断)等で有名です

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この回答へのお礼

>これから その未踏の地へご案内しようと思いますが
ページが足らないので後日

非常に楽しみであります^^お待ちしております。

さわりを読んで
ほわー、虚空蔵とは末那識のことだったのですか。
だとしたら阿頼耶識はなんと表現できるのだろう?
阿摩羅識は法蔵(無尽蔵)?
マナ、アラヤ、アマラは音しか情報が無いので、意味の分かる漢字で表現していただけて嬉しいですね^^

>心の活動を、立体的に 流動的にとらえ、
その機能 本体 可能性を分析し 
個性化及び個別化の原理を説き
その深層を解明しなければ
何処に到達するかなんてわかるはずがない

是非ご教示いただきたい^^

お礼日時:2020/12/27 16:31

クリスマスツリーでたとえるなら 飾りをぜんぶ取り払った樅の木〔だけ〕のあり方を:


★ 心は目指している。
☆ と思います。

★ 心は何処に到達するだろうか?
☆ それは:
★ 心が到達したなら、そこは永遠であろう。
☆ というごとく 《永遠の現在》に到ります。

永遠の現在という時空にあって《わたしがわたしである》実存の姿に到ります。





《もみの木》は 生まれつきそなわった自然本性〔たる人間性〕です。

潜在性としてのチカラのままではまづいでしょうから その根を張って 幹も枝も伸ばし花を咲かせるという顕在性への成長については 欠かせないと思われます。

ですが その開花するまでの本性の発達は よき人間関係にしろ止むを得ず言わば引き受けたシガラミ関係にしろそのような本性の発展のうち要らぬと思うデコレーションは やはり取り払うものと考えます。

永遠の現在は 言わばはだかです。

このヌードのわれが まさに:
★ 惠であったり、美であったりする。
☆ と信じます。
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この回答へのお礼

なるほどー。bragelloneさんのこの考えを、私は修行者的だなと思いました^^
そして一方で、敬虔さも持ち合わせておられるようです。

この回答は大事に頂戴いたします。ありがとうございます。

お礼日時:2020/12/27 16:24

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