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キリスト教や仏教に詳しい方に質問です。
これらの宗教では殺人は罪とされ地獄に落とされると聞きますが、例えば飲酒運転など、故意ではなく悪意もないが、人を殺してしまった場合も地獄に行くのでしょうか?

gooドクター

A 回答 (11件中1~10件)

神様は全ての人間は悪人、百も承知、神は悪人を救うためにイエスキリストを遣わされたイエス・キリストの十字架の血の贖いにより救いを受けるものは罪人の魂は救われ天国が約束される、たとえ人殺しであっても神との約束は永遠に守られる、イエス・キリストの救いを受けなかった全ての人間は地獄で苦しみ消滅する。

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>例えば飲酒運転など、故意ではなく悪意もないが、人を殺してしまった場合も地獄に行くのでしょうか?



いえ。
もうその時点で、その人は地獄なのです。
後悔と自責から逃れられる事は無いでしょう。
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飲酒運転でなくても人を殺せば殺人罪。


飲酒運転は故意でなく、悪意がなくても、それ以上に問答無用の悪だ。地獄に行く前から「生き地獄」相当の罪だ。
喩えが悪すぎる。
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そりゃ行くでしょう。



もっと複雑な問題もあります。

人、一人を殺したが、10万人を
助けた人はどうなんですかね。

正当防衛で殺した場合はどうなんでしょう。
正当防衛の成立要件は、法律で定められて
います。
人間の作った法律に従って、天国、地獄行きが
決まるんでしょうか。

オカシイと思わないんですかね。

独裁者を殺して、それで数百万の人民が
救われた場合でも、地獄なんでしょうか。

ワシントンは、米国では建国の英雄ですが
英国では反逆者です。
彼は天国ですか、地獄ですか。

天国、地獄なんて概念をつくるから
おかしなことになるのです。

ちなみに、お釈迦様は天国、地獄など
一言も触れていません。

あんなのは、布教の為に、後世の人間が
創作したものです。
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地獄でも行ければマシでしょうね。



一番最悪なのは「無」に落ちる事。

ところで飲酒運転は、故意であり悪意もあって成立するもの。

飲酒運転という極め付けの悪道を、そのように理解できない人が
「地獄ですら天国のように感じる状況」に陥るのだと思いますよ。

さりげなく飲酒運転を肯定するような書き方に、
質問者さんの悪意を感じます。
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仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。

生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。

 仏教の地獄絵図は比喩です。地獄絵図には火で焼かれたり身体を切り刻まれたり水責めにされたりしている姿が描かれていますが、爆弾で吹き飛ばされたりタバコの火を押し付けられたりすることとなんら変わりはないと思いませんか。罪人を攻めている鬼は怒り怨み嫉妬に駆られた人間の姿を比喩的に描いたものです。子供を虐待する親や戦争で多くの人を焼き殺し傷ける人間が鬼なのです。

誰かに恨みを抱いたまま死ねば地獄に生まれ鬼となるような生活環境で育ち、恨んでいた人の人生の前に立ちはだかり害をなします。これを悪縁と言います。例えば恨まれていた人が恨んでいた人の子供として生まれたら、親が鬼となり子どもは毎日が地獄です。現実の生活においても恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。

  普通の人間が鬼になるというのは、人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアや青年海外協力隊も菩薩行であり、困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。

人間は生きている内に様々な罪を犯しながら生きています。その中で最も重い罪は恨まれることですが、恨み続けることも相手の不幸を願うようになるので罪となります。天国に生まれるための善行は感謝されることですが、感謝することも善行になります。「ありがとう」と言われることは最も大きな善行ですが、「ありがとうと」と言うことも相手を幸せな気持にすることができるので善行になります。悪行と善行のどちらが多いか、またはどちらが重いかで天国か地獄、又はその中間になるかが決まるようです。

仏教は前世で強い絆で結ばれた相手とは再び出会うとされています。それを縁と言います。感謝されれば良縁となり、生まれ変わっても助け合える存在として出会えますが、恨まれれば悪縁となり、恨んでいる人の人生の障害となるようです。人生に成功し幸せを掴んだ人は人生の節々で支援してくれた人がいたとか、助けてくれる人が現れたという話をします。反対に人生に失敗したり地獄の苦しみを味わっている人は、人に裏切られたり騙されたりしたとか、足を引っ張るような人がいたという話を聞きます。これが良縁と悪縁の違いです。縁も因果応報なのです。事故で死なせた場合であっても、本人ではなく家族からでも恨まれれば、それは悪縁となります。

どのようにして天国と地獄に振り分けられるのかと言うと、あなたは「天網恢恢疎にして漏らさず」といことを聞いたことがありますか。これはその人の一生を天が記憶していて、死んだときに全て報告されるという意味です。年を取るとすることが無くなるので過去の事ばかり思い出すようになりますが、死ぬ直前には全てを思い出すそうです。感謝されたことは楽しい思い出として、反省したことや怨まれたことはつらい思い出として思い出します。

 生まれ変わるときは死んでいく時の気持ちと、母親となる女性の気持ちが共鳴した所に生まれるそうです。これを感応妙と言います。感応とは相手が楽しそうにしていればこちらも何となく楽しい気分になり、悲しそうにしていれば悲しい気分になるようなものです。死にゆくときに多くの人に感謝されながら幸せな気持ちのまま死んでゆけば、母親となる女性も多くの人に祝福されながら幸せの中で出産していることになります。反対にだれにも看取られることなく一人寂しく死んでゆけば、母親となる女性も一人寂しく出産していることになります。趣味が同じ人が引き合うように同じ境遇の人どうしが共感し引かれ合うのです。ただ仏教では感応し合うのは人間だけとは限らないと言っています。
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キリスト教の子がいるのですがその人から聞いた話では


人は死んだあと何も感じないらしいです。何も考えることもない
つまり無ですね。(地獄よりも恐ろしい気がしますが)
僕は地獄とかがあったほうがまだ気が楽な気がします。
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パウロ(サウロ)は、キリスト教に転向する前、キリストの弟子ステファノの殺害に関与してたと、しっかり認めています。

それでも教団の中核になってますから、それからの生き方次第で許されるってことでしょう。
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>例えば飲酒運転など、故意ではなく悪意もないが、人を殺してしまった場>合も地獄に行くのでしょうか?



十分地獄行きです。飲酒して運転すること自体、危険であることを自覚していなければなりません。それを承知で飲酒・運転し死傷事故を起こせば、危険運転致死傷罪です。人を死傷させようという意図は無くても「未必の故意」ということになります。法律ではかなりの重罪ですので、仏教的には仏罰、キリスト教的には神罰が下ることになるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、法律的な罰則と神罰は比例するということでしょうか?
できれば法律的な観点ではなく、宗教学的な観点でお教え願いたいのですが…
例えば聖書にこう明記されていたとか…

お礼日時:2020/12/29 23:24

罪を告白して悔い改めれば、何度でも救ってもらえるらしいです。


わからない死後のために、信じないより信じたほうが得じゃねって思ったのでいつか信じます
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