ベストアンサー選定ルールの変更のお知らせ

昔の人は切腹 して 亡くなった人がいますがそういう人って 犯罪者 が やられたんでしょうか?

また 切腹した後首を切られますが、 スパッと切れるものなのでしょうか

質問者からの補足コメント

  • 皆様 回答ありがとうございます
    切腹は名誉ある死ということはわかったんですが、 痛みを伴ってから楽に死なせてあげるぐらいなら、罪人の 殺し方の方が 一番楽に 死ねる行為じゃありませんか?

    なんか これって理不尽ではないのでしょうか?

      補足日時:2020/12/31 23:50

A 回答 (7件)

昔の人は切腹 して 亡くなった人がいますがそういう


人って 犯罪者 が やられたんでしょうか?
 ↑
犯罪者とは少し違います。
責任を取る、ということです。
武士らしい責任の
取り方、ということで切腹を許されるのは
名誉とされていました。



また 切腹した後首を切られますが、
スパッと切れるものなのでしょうか
  ↑
骨の切れ目に、刃が垂直に命中しないと
落とせません。
しかも、皮一枚残して、状態がクビを抱える
格好にせねばなりません。
そうしないと、遺体が仰向けになって
血が散乱してしまうからです。

非常に高度な技です。
それで、それなりの腕のある人がやりました。

しかし、後年、平和になると、そうした
腕を持った武士が少なくなったので、
専門家ともいうべき介錯人に外注に出す
場合が増えてきました。
遺族の恨みを買う時もありますし。

有名な人に、山田浅右衛門、という専門家
がおりました。
彼の身分は浪人です。
だから旗本の切腹には参加出来ませんでした。

漫画やドラマ、映画にもなっています。

首切り浅右衛門、というのを聞いたことが
ありませんか。
「昔の人は切腹 して 亡くなった人がいます」の回答画像6
    • good
    • 1

A:>昔の人は切腹 して 亡くなった人がいますがそういう人って 犯罪者 が やられたんでしょうか?



日本語として読解できませんが、↓の推測で良いのでしょうか。
(なぜ〇カは投稿前に読み返さないのだろうか、それをしてもこの有様なのだろうか)
時代についても不明ですし。

【切腹は罪人がしていたのでしょうか】


回答A:罪人もしていたが 罪人=切腹 ではないし、切腹した=罪人 でもない
(調べればこの程度の事はわかりそうなものだが・・・)


切腹のパターン
1:主君が「罪人と思った部下」に命じる。
2:戦の勝者が敗者の処刑として行う。
3:戦で負けた者が、自決の為に行う。
4:「やっちまった」と思った者が責任を取る為に独断で行う。

他の方も言っていますが、「刑」としては武士のみに許された作法なので、それ以外の者は斬首や磔になります。
武士でも、罪状があまりに酷い場合は斬首になります。



>また 切腹した後首を切られますが、 スパッと切れるものなのでしょうか

回答B:技術と刀が良ければ可能です。

前述の1や2は公の事なので、仕損じると執行した側の恥になります。
なので技術も刀もそれなりのものを用意したと思います。

実際、江戸時代には公職の首切り専門の者がいました。
彼は刀の製作者やその購入者から「試し切り」を依頼されており、それで副収入(?)を得ていました。
その刀の評価には、「〇人の胴を重ねて切れた」という評価基準もありましたので、首くらいは落せていたと思います。

3、4も、武将には相応の腹心がいた筈なので同様。

↑以外の下級武士の場合は不明。
「昔の人は切腹 して 亡くなった人がいます」の回答画像7
    • good
    • 0

切腹は自害の1方法です。

が腹を切っただけではなかなか死ねなくて痛いので、だれかに首をはねてもらいます。他の回答にもあるように、首をはねるのは少々技術の要ることなので、それなりに刀の腕のある人でないとできませんし、万が一失敗などしたらその人も切腹ものなので大任です。

切腹は、豊臣秀吉が絶賛したことで武士の作法に昇華しました。それ以前はただの自害の1方法にすぎません。ですから昔は誰でもやってたかもしれません、あまり良い方法ではないと思いますが。
なので武士しかやらないとかやれないとかは江戸時代からのお話ですね。
    • good
    • 0

武士がなにかしらの責任をとる事で切腹します、


実はこれは名誉ある死なのです、最悪は斬首刑です、切腹の時、切腹した後、首を切られるのは思いやりです、実際、腹を切って自分で自決するのはナイフをさしてその後自分の内臓を切らなければいけません、その痛みを考えて首を切ってしまいます。
    • good
    • 0

切腹は武士にのみ許された自害の方法です。


江戸期では責任の取らせ方、犯罪だと切腹が許されないのが普通なのですが、赤穂浪士は切腹と武士扱いで処断されています、幕府方は本来はもっと武士らしくない処刑も考慮したといいます。

江戸時代初期は実際に自分で腹を切って自害していたのですが、切腹は当然ながら痛いですから戦国時代から離れるにつれて、自分で自分の腹を切る勇気のある武士も少なくなり、切腹は形式化していきます。
切腹する短刀を乗せた台に手を伸ばした瞬間に不意打ちでバッサリ介錯されるようになり、台だけがあるように、押さえつけて介錯等、名目上の切腹が多くなります。

岡山県の高松城を羽柴秀吉が攻略した時、籠城しその城主であった毛利の武将清水宗治は、家臣の命と引き換えに切腹して家臣の命を救い、羽柴秀吉は毛利の小早川隆景らと和睦し、本能寺の変で戦死した信長の仇討の為に、中国大返しを行い明智光秀と対決することになります。
籠城してどうにも戦局の打開ができなくなり、部下の命と引き換えに、武将のトップが切腹というのは戦国時代では珍しくないです。
    • good
    • 0

切腹は武士にのみ許された名誉ある自死の手段で、武士でも不名誉刑だったり、庶民の切腹は許されていませんでした。

詳しくはこちらをどうぞ。閲覧注意となってますが、画像ではなく文面の方に露骨な表現がされています。
https://rekijin.com/?p=15538
斬首役は誰でも出来るものではなく、扱いに長けた限られた人のみが担当していました。ですがやはり中には失敗することも多々あったようです。
    • good
    • 0

自害以外では切腹は誉れのある死に方なので犯罪者には許されませんでした。

首は腕がないと骨で刀が止まるそうです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング