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大阪の西成地区って治安悪いんですか? ヤクザでもいるんですか? ホームレスが多いと聞くが…

A 回答 (3件)

でも、「釜ヶ崎」は我々の高速道路などを作ってくれた人達が多くいるところです。

肉体労働を強いられた人達が沢山います。米などを寄付してるところもあるそうですよ。。。
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「西成地区」ではなくて、「大阪市西成区あいりん地区」ですね。

 「西成区」は大阪市の24区のひとつにで、そのうちの「釜ヶ崎」と俗に呼ばれるエリアが、「あいりん地区」です。 西成区の南側の「岸里」や「玉出」には味わい深い普通の下町があり、東側の「天神ノ森」には高級住宅街もあります。 ところで、あいりん地区は昔は日雇い労働者が集まる町でしたが、今では貧困層の一人暮らしの高齢者が多く住む町です。 彼らは大半が生活保護で暮らしています。 それを食い物にしようとしてやくざが集まっています。 不法な博打に誘い込んだり、薬物を売って金を巻き上げると言った直接的な非合法のやり方以外に、簡易住宅を作って、一人暮らしの高齢者を住まわせ、家賃のみならずいろんな名目で合法的に住人が受け取る生活保護費を巻き上げると言ったようなやり方です。 いずれにせよ住人が高齢化しているだけに、あいりん地区では以前のような勢いや危なっかしさが、少しずつ消えつつあるようです。
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戦後に浮浪者が集まった地区で、現在でもその名残をとどめています。



戦後、大阪市は1947年(昭和22年)から近藤-(中井)-中馬-大島と日本社会党系の市長を連続して輩出し、以降も自社相乗りの大阪市制を継承し浮浪者・貧困対策を重視した経緯から、西日本各地の貧困・浮浪者層が次第に大阪市に集積し、各地にドヤ街を形成したが、やがて釜ヶ崎一帯に集約されることで現在に至る。『都市問題研究』に収められている1959年の「西成区釜ヶ崎実態調査」によると、当時、定職を持つ者は4割、移動労働者が4割、無職者が2割だったとのこと。また、この地域に住んでいた人は世帯持ち(2割)、30~50代の単身生活者(5割)、反社会的一群(2割)、障害・老齢の身で細々生きている人たち(1割)の4つに分類できるとのこと。 1961年、老年の日雇い労働者が交通事故で死亡し、その際の警察の対応に不備があったことを発端として、第一次釜ヶ崎暴動が発生。それと同時期に釜ヶ崎対策が発表され、西成保健所分室、「市立愛隣会館」といった福祉施設の充実と「市立愛隣寮」、「市立今池生活館」といった施設による住宅政策の二つが推進された。 大阪万博開催の1970年(昭和45年)には現在のあいりん労働福祉センターが設置されている。設置される以前は同センターの南側が賭博の場所として使用されており、日雇い労働者が集まる場所はそこから西にそれた場所にあった。
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