あえて、哲学的に答えて下さい。
私が思うに、そりゃあ、戦争は無駄ではなかったんです。
戦争を体験してない、者の言い分ですけどね。
人の死は無惨です。
いっぱいの犠牲者がでます。
でも、人として、
社会としての成長としては争い事ははやっぱり避けれないものではないでしょうか?
人が死ぬ恐ろしさを覚えて、次の世代へ受け継がれて
でも、やっぱり時代はくり返すと思うからやっぱりまた、戦争はくると思うんです
あなたはどう思います?
私は学生なのでもっと語りたいんですけど、
ちょっとぐしゃぐちゃになりそうなので、みなさんの意見を聞いて考えたいと思います
今でも、アフリカでは子供が銃を持っています
宗教的に争うとい事
人の欲望による争い
平和な時代へ受け継がれてきた、私達
人の痛みなんて、わからないのが現状では?
人の争いについてまつわる事を
ちょっとしたあなたなりの答をだしてくれれば嬉しいです

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A 回答 (9件)

皆さんは肝心なことを忘れていないでしょうか?


実は、第3次世界大戦はもう終わっているのですよ。
これは外人ならば常識と考えていることです。

どういうことかわかりますか?

実は第3次世界大戦は、ヤルタで始まり、マルタで終わったとされる米ソの冷戦です。
外人では、冷戦もれっきとした戦争(それも全面戦争)です。
むしろ、当事者にとっては第1次/第2次世界大戦のようにドンパチする戦争の方が楽だったくらいです。
というのは、冷戦というのは、剣の戦いで言うならば、音無しの構えを続けているようなものです。
だから、体力のある方が勝ちます。

米ソでは明らかに体力(ここでは軍事力ばかりでなく経済力も含みます)が違いました。
マルタで終わったのは、ソ連が「これ以上、こんな戦いを続けられません」と宣言したからです。
そう、ソ連はあれだけ軍事に力をいれたのに、一発もドンパチせず、アメリカに降伏したのです。

では、なぜ、一発もドンパチしない冷戦が続いたのでしょうか?
これは核の抑止力というものが原因です。
核の抑止力とは、次のことです。
 核ミサイルを相手にぶち込むと、確かに相手は壊滅するけれど、報復の核ミサイルが飛んできて自分も壊滅してしまう。
 自分が壊滅することがわかるから、全面核戦争をやれないので、(曲りなりの)平和が保てている。

ペンタゴンの高官がこう言っています。
「ソ連が世界を24回壊滅させる核兵器を持つならば、アメリカは25回壊滅させるだけを持たなければ平和は保てない」
日本人から聞くととんでもないことですが、正しいことなのです。

こういう考え方はどうですか?
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病原体群との争いが天敵達との闘争に発展し、


更に同一種族内での領土争奪戦へと…

本末転倒ですよね。
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もうすぐだと思います。

もし今度、世界恐慌が起こったら、危ないです。第3次世界大戦を起こす国となると、中国だと思います。中国という名のとおり、世界の中心になるために、中国が戦争を起こすような気がします。そうなると、日本人は捕虜にされるかもしれません。日本は自分の国を自分で守れるようにならないとだめだと思います。平和とかいくら言っても、スイスのように自分の国を自分で守れる上に平和を唱えているわけではありませんから。
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ふむ、社会的成長が何を意味するのか……。



・科学的成長、もしくは文明的成長
世界レベルの科学技術レベルの上昇
個人レベルの知的レベルの上昇

・文化的成長
集団レベルでの精神的成長
個人レベルの精神成長

と言った所かな?

・科学技術レベルの上昇に戦争が大きく関わっていることは周知の事実である。
人は闘争する相手がいる場合、その競争精神によりその技術を向上させる。よって、戦争により科学技術が急発展することは確かである。が、必ず必要かというとそうでもない。

・精神レベルの向上に戦争は寄与しない。戦争ファクターは精神レベルを低下させると考えられる。戦争は人間の戦闘本能・排他本能・自己防衛本能から来る。規模が大きいから単純ではないがその基礎にあるものは本能に帰属する。逆に一般に言う精神レベルの向上とは理性に帰属するものである。戦争は人間を本能レベルまで貶める行為に思われるがいかがだろう?

人間の種としての成長を本能からの脱離であるとすると戦争は成長には必ずしも必要ではないと考えられる。

---------------------------------------
戦争はなぜ起こる?

人は過ちを犯すまで問題点に気がつかない。あらゆる事故についてその事実は当てはまる。同時にあらゆる戦争には原因が存在する。それも大体において単純な理由である。(国家レベルで)人に戦争の原因を取り除く意志があるならば多くの争いはなくなると考えられる。
しかし、全個人レベルの意思統一が必要となる。個人の抹消とも言える現象となる。人には自己を主張する本能がある。または集団レベルで意志を主張することもある。本能的に排他的であるので戦争は発生する。

そもそも、何事にせよ生物は統一を嫌う。多様性を増そうとする。微生物レベル、物質レベル、集団レベルで多様性を求める。進化の過程において多様性を持つことこそ、種の保存に必要不可欠のことだからである。

例を出そう。
・病原菌の話
病原菌は基本的に細胞分裂からなり、その生命活動は同様に行われる。多様性がない状態と考えよう。多様性のない均一な存在に天敵が現われたとしよう。病原菌の場合は抗生物質だ。均一なのですべての病原菌は抗生物質により殺される。
それに対して多様性がある場合を考えよう。多様性がある場合、多くの菌は抗生物質により殺されるかもしれないが抗生物質の効かない菌も発生する可能性がある。
多様性を持つことにより種そのものがあるファクターにより全滅することがないようになっているのだ。

人間も同様の原理が本能的に刻まれているとすると、ある統一国家/統一思想にすべての人間が染まると言うことを本能的に嫌うと考えられる。必ず新たな勢力を産み多様化を求める。多様化することにより大きな意味での存続を目標としているのである。
人の本能に刻まれているのは個人レベルではなく人間種そのものの存続ではないだろうか?

本題に戻す。
結論
・戦争は本能に帰属する。
・成長は理性に帰属する。
成長に戦争は必要ない。

与論
戦争は人間の自己多様化本能に起因し、それは種の保存本能である。
戦争・争いのない完全統一状態は種としての人間をあるファクターにより全滅に追い込む可能性があるのではないだろうか?

以上
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事象や考え方を整理し体系化したもの、あるいはその手引が哲学ですから、まずは何を整理したいのかを明らかにする必要がありますね。


ちゅわけで、論点をはっきりさせましょう。こんな感じですか?
1.争うのは人間の本性なのか。
2.本性なら、避けられないものなのか。
3.避けられないなら、そのうち世界大戦が再発するんじゃないか。
大きくはズレてないと思いますので、こういうことで考察してみましょう。
結論から言うと、争いは人間の本性で避けられないが、世界大戦は起こらないだろう、というのが私の考えです。
争いが本性であるのは誰も否定できないと思います。人間に限らず、全ての生物は”種や血統の存続”の為に争い、強い個体を存続させようとします。
ここで考えるべきは、争いには2通りの手段があるということです。即ち、
・自分が秀でることにより勝つ
・相手をおとしめる(抹殺する)ことで勝つ
です。多分、生物学的にはどちらもアリでしょう。但し、社会や種の成長のためには、前者の争いは有効と思えますが、後者にその効果は期待できません。こういう意味で、前々回の選挙でとある政党が対抗政党を貶める活動をしたことなどは、非常に恥ずかしい原始的且つ低レベルな戦略と言えるでしょう。
ちょっと脱線しましたが、戦争などの悲惨な争いは、後者に属するものと考えます。従って、社会の成長などのために、戦争は必要無いと断言したいです。
以上で、戦争が不要であることは説明できたと思います。次に、戦争を止められるか、の議論が残ります。生物としての本能から、後者の争いを選択してしまうことは十分に考えられます。これをコントロールするのが理性や倫理観でしょうから、ハナシは難しくなります。つまり、理性や倫理観は、本能の要求と同時に復讐心や好き嫌いなどの感情も併せてコントロールしなければならないからです。感情論は歴史や地域性、民族や宗教などによって多種多様で、一定の基準でコントロールできるものではありません。戦後アメリカの戦略は、価値観を統一することでこの基準を一定化させ、争いを前者の方だけに収斂させよう、というものと考えられます(日本においてその戦略は成功したかに見えますが、一部文化的侵略などという反発も見られます)。現在は、価値観に相違が認められる部分について、後者の争いによってそれを抹殺しようとしているように見えます。
善悪や好嫌は置くとして、アメリカがスーパーパワーであることは事実でしょう。従って、少なくともアメリカの戦略が変更されるか達成されるまで、戦争は無くならないでしょう。個人的には達成されることは無いと思ってますが。
最後に世界大戦ですが、世界大戦を定義する必要があります。同時に、複数の箇所で、複数の民族が、戦争することだとすると、今も世界大戦中になります。この他に、同時多発している戦争が、2つの勢力のどちらかに収斂される、という条件が付いて世界大戦足り得るのでしょう。これが正しいとすると、現在の世界を二つに分ける勢力って、非常に限られてますよね。これらの勢力が全面的に戦争するのはちょっと考えにくいので、世界大戦は起こらないだろう、と思ってます。
長くなりましたが、異論反論や不足訂正など、色々あろうかと思います。また、質問にある”人(他人)の痛み”についての回答にはなっていないかもしれません。ただ、日本はアメリカの軍事力の庇護下にあるとは言え、争いを”自分が秀でること”に絞ろうとしている国です。この素晴らしい思想に誇りを持ち、世界に向けて成すべきことを共に考えていきましょう。私は、学生のあなたがこのような問題意識を持っていることが分かって、未来を楽観できる大きな喜びを感じています。この質問をしてきてくれたことに御礼を言わせてください。ありがとう!
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事象や考え方を整理し体系化したもの、あるいはその手引が哲学ですから、まずは何を整理したいのかを明らかにする必要がありますね。


ちゅわけで、論点をはっきりさせましょう。こんな感じですか?
1.争うのは人間の本性なのか。
2.本性なら、避けられないものなのか。
3.避けられないなら、そのうち世界大戦が再発するんじゃないか。
大きくはズレてないと思いますので、こういうことで考察してみましょう。
結論から言うと、争いは人間の本性で避けられないが、世界大戦は起こらないだろう、というのが私の考えです。
争いが本性であるのは誰も否定できないと思います。人間に限らず、全ての生物は”種や血統の存続”の為に争い、強い個体を存続させようとします。
ここで考えるべきは、争いには2通りの手段があるということです。即ち、
・自分が秀でることにより勝つ
・相手をおとしめる(抹殺する)ことで勝つ
です。多分、生物学的にはどちらもアリでしょう。但し、社会や種の成長のためには、前者の争いは有効と思えますが、後者にその効果は期待できません。こういう意味で、前々回の選挙でとある政党が対抗政党を貶める活動をしたことなどは、非常に恥ずかしい原始的且つ低レベルな戦略と言えるでしょう。
ちょっと脱線しましたが、戦争などの悲惨な争いは、後者に属するものと考えます。従って、社会の成長などのために、戦争は必要無いと断言したいです。
以上で、戦争が不要であることは説明できたと思います。次に、戦争を止められるか、の議論が残ります。生物としての本能から、後者の争いを選択してしまうことは十分に考えられます。これをコントロールするのが理性や倫理観でしょうから、ハナシは難しくなります。つまり、理性や倫理観は、本能の要求と同時に復讐心や好き嫌いなどの感情も併せてコントロールしなければならないからです。感情論は歴史や地域性、民族や宗教などによって多種多様で、一定の基準でコントロールできるものではありません。戦後アメリカの戦略は、価値観を統一することでこの基準を一定化させ、争いを前者の方だけに収斂させよう、というものと考えられます(日本においてその戦略は成功したかに見えますが、一部文化的侵略などという反発も見られます)。現在は、価値観に相違が認められる部分について、後者の争いによってそれを抹殺しようとしているように見えます。
善悪や好嫌は置くとして、アメリカがスーパーパワーであることは事実でしょう。従って、少なくともアメリカの戦略が変更されるか達成されるまで、戦争は無くならないでしょう。個人的には達成されることは無いと思ってますが。
最後に世界大戦ですが、世界大戦を定義する必要があります。同時に、複数の箇所で、複数の民族が、戦争することだとすると、今も世界大戦中になります。この他に、同時多発している戦争が、2つの勢力のどちらかに収斂される、という条件が付いて世界大戦足り得るのでしょう。これが正しいとすると、現在の世界を二つに分ける勢力って、非常に限られてますよね。これらの勢力が全面的に戦争するのはちょっと考えにくいので、世界大戦は起こらないだろう、と思ってます。
長くなりましたが、異論反論や不足訂正など、色々あろうかと思います。また、質問にある”人(他人)の痛み”についての回答にはなっていないかもしれません。ただ、日本はアメリカの軍事力の庇護下にあるとは言え、争いを”自分が秀でること”に絞ろうとしている国です。この素晴らしい思想に誇りを持ち、世界に向けて成すべきことを共に考えていきましょう。私は、学生のあなたがこのような問題意識を持っていることが分かって、未来を楽観できる大きな喜びを感じています。この質問をしてきれたことに御礼を言わせてください。ありがとう!
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「戦い」 未来永劫無くならない。


人は生まれた時から生涯を閉じるまで戦いの連続である。

「オギャー」と誕生すると自然との戦い
幼稚園に入る時から受験戦争
社会に出れば、他よりも出世するための戦い
企業は生き残りをかけた企業戦争
それらの集まりである国は他国より優位に立つための戦略

人は他より優位に立つために思想であれ経済(銭)であれ戦うのです。
経済的に優位に立てば、次は名誉のための戦いです。

これらの延長線上に「大戦」がある。

その結果(善・悪は別として)技術の発展があり、社会の成長があったのです。

今後、大戦があるかどうかは別として潜在的要因は常にあります。

8月6日、9日、15日に繰り返し読み上げられる「平和宣言」「平和の誓い」は要因がなければ必要のないものです。

人間の英知で「大戦」が防げるだろうか?
人間の英知が「大戦」を起こした歴史から・・・
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未来のことは分かりませんが、今から親になっていく世代(現20代)の次の次の世代くらいには戦争が起こるかもしれませんね。

確かに私達は平和な時代に生まれて、戦争の残酷さを身を持って体験していませんが、体験した年代の人から直接話を聞くことが出来る時代であったし、まだまだ戦争の残酷さをいくらかは理解できている世代だと思います。ただ、これが少し後になってくると、ただの過去のこととして捉えられるようになって、戦争を軽く見る時代がやってくるのかもしれません。そうなると、各国が自分達の持つ武器のすごさを見せ合うかのように他国に戦争を仕掛け、第2次世界大戦のような大きな戦争を招いてしまうかもしれません。

私の想像なので、こうなって欲しいということではありません。もちろん、私は戦争をなくして欲しいと思ってます。戦争は何も良いことを生み出しはしないというのが私の考えです。
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全然哲学的でなかったら申し訳ないですが、第3次世界大戦は終わりました。

ちなみに日本は敗戦です。よく言われているマネー戦争と言うやつですが、死人もたくさん出ています。多くの人が意識されずにお金戦争に参戦していました。お金の実態の無さ、幻想性、コレらがそういう戦争を可能にしたと思います。案の定、勝者はUSAでした。私たちは今、敗戦処理の真っ只中って事ですね。お金が動く事で死人が出るなんてあほらしいです。それで死んだらマジ報われないって思います。
>社会としての成長としては争い事ははやっぱり避けれないものではないでしょうか?
 そんなことはないと思います。あえて言うなら戦争を起こしている人たちがいるのでしょう。共謀し、協力し、勝者の決まった、思いどうりの結果が訪れるように戦争を仕組むんです。ですから、争いがすべて我々の社会の工場のためにあるわけじゃないし、争いが社会を向上させると言うなら、いつになれば争いはなくなるのですか?戦争社会こそが常に上を向いている社会という事になってしまいます。ですから、争いは争い、社会の向上とあえて結びつける事は無いと思います。お金的に裕福になる事が社会の向上じゃないですから。しかし、現代もまた、それを牛耳っているのはお金を知っている者であると思います。
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Q現在は、日本では、無宗教と自任している人が、大半です。戦前(太平洋戦争)では、どのような状態だった

現在は、日本では、無宗教と自任している人が、大半です。
戦前(太平洋戦争)では、どのような状態だった、のでしょうか?

Aベストアンサー

当時の状況を「今」に置き換えれば「無宗教」と答える人が多かったでしょう。でも、当時はそういう価値観がありませんでした。ですので、今とまったく違うのです。

そもそも、現代の日本人がなぜ「無宗教」と答えるのか、それは「宗教」の価値観が「一神教」をイメージしているからです。「キリスト教のよには聖典も読まないし、教会やお寺・神社には行かない」「イスラムの人のように宗教規律に縛られた生活はしてないし、出来ない」と考えるから、自分のよりどころの宗教がないように感じて「無宗教」と答えるのです。

戦前でも江戸時代でも、この価値観を日本人に当てはめればほとんどの人が「じゃあ、オレには宗教はないな」と答えるでしょう。元々日本の宗教観は「いわしの頭も信心から」というぐらいアバウトなんです。
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ただ唯一意識があるのは、天皇が現人神である、ということだけ、でもそれも日本人的な考え方からすれば人間だって知っているけど、偉い人なんだよね。という意識です。

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当時の状況を「今」に置き換えれば「無宗教」と答える人が多かったでしょう。でも、当時はそういう価値観がありませんでした。ですので、今とまったく違うのです。

そもそも、現代の日本人がなぜ「無宗教」と答えるのか、それは「宗教」の価値観が「一神教」をイメージしているからです。「キリスト教のよには聖典も読まないし、教会やお寺・神社には行かない」「イスラムの人のように宗教規律に縛られた生活はしてないし、出来ない」と考えるから、自分のよりどころの宗教がないように感じて「無宗教」と答える...続きを読む

Q戦争は必要ではないでしょうか。

弱いものが負け、強いものが勝つ。そうすることで強いものだけの世界が維持される。そこには歪みも憎しみもない。そして発達していく文明に支えられ、徐々に精神性も増していく(つまり遺伝子の支配から遠ざかっていく)。やがては、殺し合いをせずとも、全体が洗練された集団になる。より良い世界が実現される。そのとき初めて、助け合いとか、分かち合いとか、されるべきでは。

ところが、今の文明はどうでしょう。病気になれば病院が助け、悲しめば誰かが励まし、憎めば誰かが一歩譲る。弱者は生存し続け、さらに他の人間に悪影響を与え、その結果遺伝子プール全体が濁ってしまう。これでは文明の発達スピードも遅れ、より良い未来の世界の実現まで掛かる時間が延びる一方です。


ただ疑問もあります。なぜ、人間は弱者を助けてきたのかです。「他者を守ることが種の保存につながるから」と説明できそうですが、メリットだけではなかったはずです。だいたい、目の前の一人がどうなろうと、傷物の相手を助けたところで新たな犠牲者を生む恐れも有るし、そもそも代わりはたくさんいるわけですから、遺伝子にとって逆に非効率、損失のはずです。もしかして、マイナスがプラスになる過程で、一度0を通過しなければならないのでしょうか?初め利己性だけがはびこり、人間は遺伝子の奴隷だった。しかし徐々に、遺伝子から離れてきていて、それが「相手の立場になって考える」「憎しみと向き合う」という理性的な情動として表れているのかもしれないです。それは遺伝子という強力なマイナスに抗うということなので、文明は不安定な状態になり、今に至っているのかもしれないです。ですが0を通過すれば、「特異点」を通過しブレイクスルーが起こり、人は遺伝子に打ち勝ち枷から解放され高度な精神と知能を得えられるかもしれないです。ですが果たして本当にそうでしょうか?なんだかご都合主義のような気もします。

なぜ、こんなことをごちゃごちゃ考えているかというと、自分自身、憎しみを抱えているからです。それを、出すべきか出さないべきか、相手を攻撃するか自分が犠牲になるかの狭間で葛藤があるからです。そして、後者を選ぶことは本当に相手を気遣ってのことなのか(自分を磨くため)、それともただ相手が怖いだけなのかがわからないからです。

自分は、どう在るべきでしょうか?皆様の考えがききたいです。貴方自身は、どう在りますでしょうか?

弱いものが負け、強いものが勝つ。そうすることで強いものだけの世界が維持される。そこには歪みも憎しみもない。そして発達していく文明に支えられ、徐々に精神性も増していく(つまり遺伝子の支配から遠ざかっていく)。やがては、殺し合いをせずとも、全体が洗練された集団になる。より良い世界が実現される。そのとき初めて、助け合いとか、分かち合いとか、されるべきでは。

ところが、今の文明はどうでしょう。病気になれば病院が助け、悲しめば誰かが励まし、憎めば誰かが一歩譲る。弱者は生存し続け、...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。

 わたしたちは ひとを愛し欠陥を憎むようにつくられています。
 欠陥ゆえにひとを憎むべきではなく ひとゆえに欠陥を愛すべきではない。
 しかも欠陥を憎むのは あくまでおのれのこころにおいて為すことです。その意味は おのれの主観のうちに似たような欠陥を探し これを憎む。すなわち徹底的に憎み これを内的に棄てる。すべて棄てる。
 こういう作業をするのが ふつうだと考えます。
 そのとき もし相手がその欠陥をなお突き付けてくるときには 当然のごとくこれを批判します。おのれの内で憎み棄てたときと同じように その非を明らかに示して 相手に対してそのことにつき批判します。

 これがおおむね 戦いの代わりになっていくでしょう。

Qやっぱり、理屈ばかりでは、人間は疲れてしまいますよね?

やっぱり、理屈ばかりでは、人間は疲れてしまいますよね?

Aベストアンサー

Keiichiro SAKURAI
‏@kei_sakurai

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その他
どの論文が「まとも」な学術論文か、というのは完璧な判断基準は無いのだけど、一つヒントになるのは検索結果の「引用元」。他の文献にどれだけたくさん引用されたか、を示す。なにやら凄いこと言っててで発表から年数も経ってるのに僅か数回しか引用されてないなら、おかしいな、という具合。


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だんご23さん
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真なる焔の権化であるお客様で草

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ファッションの最先端がゲイビデオの光景と被っているみたいな話 実際ファッションの最先端はゲイなので笑い話ではなく現実みたいなところある

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~~~~~~~~~~~~~~~~~


イカごめPはブラスター使い
‏@kagome_p

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有楽町へ行ってきた。

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Keiichiro SAKURAI
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その他
...続きを読む

Q太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人

太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか?

Aベストアンサー

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を大元師となして、大日本帝国の力で「法華経」による世界統一を果たそうというものでした。その思想が与えた衝撃は当時の日本の意欲に燃える若者は田中智学の「国柱会」に次々と加わっていきました。
 その影響は昭和の超国家主義にまで及びます。満州事変の首謀者石原莞爾、2・26事件に連座した北一輝、要人暗殺を謀って血盟団の井上日召など、いずれも熱心な「法華経」の信者であり、日蓮聖人の崇拝者でありました。石原莞爾などは昭和15年、当時の戦争をまさしく日蓮聖人によって予言された世界統一のための大戦争につながるものと位置づけています。(『最終戦争論』)近代日蓮主義の特徴は、それが積極的な侵略のイデオロギーの一翼を担い、その先鋭と結びついたところがあります。
 だからといって他の宗派が無関係かといえばそうではありません。先のtaishi1さんのお答えにも出ていますが、浄土真宗本願寺派の門主・大谷光瑞は「王道の道は武備を整えること」といって当時の日本を肯定するようなことを言って、他の宗旨とともに侵略戦争に引き込まれています。ただ、禅や浄土の思想はいわば時代の後ろからついていったのに対し、当時の日蓮主義は先頭に立って時代を作り出していったといえるのです。
 こういったことに関しては『今のお寺に仏教はない既成仏教教団の宗派別問題点』遠藤誠 現代書館に詳しく取り上げられています。

 余談ではありますが、少し私の意見をのべさせてただきます。こうしたことについて話し合うとき「ガンジーの非暴力の精神でなくてはいけない」というひとがいます。誰でも外から見ていれば非暴力、戦争反対をとなえる事はできます。しかし、そういっている人たちがどれほどの覚悟で言っているのでしょうか。日本がもし一億総動員の翼賛体制になったら、そのときもその信念が貫けるのでしょうか。特高に付けねらわれて「アカ」「非国民」とののしられ、逮捕され拷問させる。・・・自分ひとりが犠牲になるならそれも堪えられるかもしれません。でも、家族親戚にまでその手が伸びるかもしれない。それでもそれがつらぬけるか?? 私ははっきりいってそれが出来るほど強い人間ではありません。私は戦争には反対ですし、人も殺したくないと思っても、拷問に耐え、家族まで巻き込んで、自分の信念を貫けるほど強い人間ではない。多分そのような状態になったら裏では文句を言いながら、表では国家を賛美するでしょうね。自分の弱さは私自身が一番知っています。 
 そんなことを考えていたときに知ったのが仏教学者である田村芳郎氏のこんな話です。田村氏は『法華経』の信仰をもっておられた方ですが、学徒出陣の折に上官から「天皇陛下と法華経どちらが上か?」と問われて、「天皇陛下」と答えざるを得なかったそうです。心の中にある「法華経が上だ」というおもいを言葉に出していたならば、それこそ不敬罪で大変なことになっていたでしょう。田村氏は「そのことへの慙愧が学問の原点になった」としばしば語っておられたそうです。そのとき「天皇陛下」と答えざるをえなかったのを、誰も攻めることは出来ません。ただ、そのことを棚上げしておいて、戦後になって倫理道徳を振り回すことなく、たとえやむをえなかったとはいえ、そう答えてしまった自責の念一生持ち続け、それを内にこめて原点とされたところに田村芳郎という方の誠実さを感じます。そういった仏教界の戦争への関与の問題を考えるとき、私は他人事とは思えずにいます。

 なんだか余談が長くなってしまいました。申し訳ありません。支離滅裂な文章かとは思いますが、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を...続きを読む

Q日本は世界唯一の核戦争を体験した国であり、核戦争をどう理解すればいいのか?

日本は、世界唯一核戦争を体験した国であり、核戦争と普通の戦争との差異はあるのか?普通の戦争の陸続きが核戦争なのか?日本の思想は、フランスの輸入版なので、核戦争を考えるのは、限界があります。シニファンとシニフェイが同時に消滅し、主観と客観が、同時にとけあう瞬間。現在、過去、未来の時間軸さえ、消滅してしまう、すべてが解放される。重力が、軽さ、重さの区別をなくし、その後のは、黒い雨が降り、その後、何十年にわたって人々を苦しめた核戦争。

核戦争の後に生まれた世代であり、ポスト核戦争世代なのに、学校教育は、その核戦争の可能性の中心を教えることなく、ただ無駄なことをぐだぐだやってきた。

核戦争の可能性の中心は、何ですか?核戦争の後に、普遍的な価値、真理が成り立つのですか。教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。非常に重たい質問ですね。

核戦争とこれまでの戦争のちがいは、言うまでもなく一国対一国、あるいは
数カ国対数カ国の戦いではおさまらない、ということです。核の使用は全人類、
地球そのものに大打撃を与えます。そんなことは誰にでも容易に想像ができることです。
核戦争論を展開してきたバートランド・ラッセルは、「核は世界規模の伝染病である」と語りました。

現在、核は抑止力としてのみ機能しているように見えます。「われわれは核を持っているぞ」と。
それを使用してしまったとき、世界はどうなるのか、誰もが知っているのです。

しかし、どこかの独裁者が世界と心中するつもりで核を使用しないとは限りません。
もしもそうなった場合、どんな世界が待っているのか? 核戦争後、そこには
秩序のカケラもないアナーキーな世界が広がることでしょう。

リセット、という希望的な再建は望めません。なぜなら、今日まで人類が築いてきた
さまざまな社会システム、価値観、倫理観などが通用しなくなる世界だからです。
現在の秩序はそれらを前提として成立しているからです。

ですから、核戦争の可能性の中心は、あらゆる意味での「虚無世界」への突入、
ということになると思います。ですから、そのことに大して、全人類が自覚的に
なる必要があると思います。

……お答えになっているでしょうか?

参考までにバートランド・ラッセル関連サイトです。



参考URL:http://members15.cool.ne.jp/~russell/RV-HSEP2.HTM

こんにちは。非常に重たい質問ですね。

核戦争とこれまでの戦争のちがいは、言うまでもなく一国対一国、あるいは
数カ国対数カ国の戦いではおさまらない、ということです。核の使用は全人類、
地球そのものに大打撃を与えます。そんなことは誰にでも容易に想像ができることです。
核戦争論を展開してきたバートランド・ラッセルは、「核は世界規模の伝染病である」と語りました。

現在、核は抑止力としてのみ機能しているように見えます。「われわれは核を持っているぞ」と。
それを使用してしまったと...続きを読む


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