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中学生です。少し前のことなのですが、いまだに疑問に思っていて心に引っかかるので、質問させて戴きます。ぜひ皆様の意見をお聞きしたいです。

文化祭での合唱曲決めでのことでした。
4局ぐらいの候補局の中から、全員が、どの曲がいいか、紙に書いて投票する。というものでした。
わたくしは、合唱が、特別好きでも嫌いでもなかったので、いいと思った曲名を書き、すぐ本を読みました。ただまってるだけの時間が、無駄だと思ったからです。
その時、担任の先生が、「〇〇君、それはみんなに失礼でしょ」と言ってきました。
私は、「?」となりましたが、何か悪いことなのかと思い、本を閉じ何も考えず座っていました。
そして、帰りのHRの前に、担任の先生が、「〇〇君、ちょっとこっちきて。」と言ってきました。
指示に従うと、廊下で「なんでさっき注意されたかわかるか?」と言われ「いえ、わかりません。」
「なんでみんなで物事を決める時間に本を読んでたんだ?」と言われ、「紙に書き終わっていたので、何もしないで、待っているよりも本など読んでいた方が、自分のためになると思ったからです。」と答えました。そうすると、「なんであいつだけ本読んでんだ?ってならないか?」と問いかけられ「ならないと思いますけど。」と答えると、「合唱はみんなでやるものだからお前みたいな奴がいると、壊れるんだよ」と言われました。私は「合唱の練習は普通にやりますけど」と答えると、「その気持ちがだめなんだ」と言われ戻っていいと指示を受けました。そのあとは特に何も言われませんでした。
皆様、どう思われますか?

A 回答 (7件)

こんにちは。

あれ、まだ締切られていませんでしたね。
おじさんです。
次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは、「無駄なことはしたくないのは当然。でもそういう人は、就職試験で不合格になる。また、お葬式をイメージしてみる」

 まず、質問者さんの考え方はあながち間違いではないでしょう。
 自分に課せられた仕事はちゃんとやるので、それ意外は他の人に任せて、自分は自分のやりたいことや他のもっと重要なことをしたほうが有意義なのは当然です。

 ところが、実はこれが落とし穴です。
私(おっさん。というよりじいさん)は、そこそこの立場にあって、就職試験の面接官などを行ってきましたが、そのなかでは、このような考え方の若者は基本的には不合格にします。
(面接官はそういう人材を何とか見破って会社に入れないように要求される。)

「必要のないことはしない、必要のあることをして時間を有意義に使う」ことは当然なのに、なぜいけないか・・・を単純に説明することは難しいですが、次のような説明はご理解いただけるでしょうか。
〇 多くの場合、若い人は、必要・不必要の判断が短絡的。深読みをして重要性を理解することは苦手。
〇 短絡的・・・の一環として、とにかく、自分にとって必要か、効率的か・・・ばかり重視する。自分が損をしてもグループや組織に役立つことや、誰かを励ます重要性を軽視する癖がつきやすい。
〇 面倒なこと、苦手なことについて、「やりたくない」という意識を「必要がない」「非効率なのでもっといい方法があるはず」という言葉に置き換えて逃げようとする癖もつきやすい
(仕事にも苦手があるのは当然。このとき、「いやあ、この種の仕事は僕はすごく苦手なんですよね。とにかくやってみますがうまくいかないかもしれないけどいいですかね。」との正直な応答には「周りでもサポートするからさ、頑張ってみてよ」などと言えるが、「そんな仕事、必要があるとは思えません」というようなメンバーは手におえない・・・)

 現代社会は極めて合理的でもありますが、その裏では多くの不合理に支えられています。自分どころか周りの誰が見ても不合理で面倒な仕事を、でも、誰かがやらなければならない場合も多いです。
 企業が高度に細分化した役割を持つ現代、大学院でさえ学んだ知識が現場ですぐに役立つことは稀ですから、企業・組織は、採用に当たり専門知識よりも「面倒な問題にも前向きに取り組む能力」を重視しますので、とにかく無駄なことでさえも逃げない人材を探しています。

 そのような中では、クラス活動、自治会・町内会活動、ボランティア活動のほか、果ては靴下の穴の補修など、「面倒くさい、楽しくない、あまり役に立つようにも思えない、自分でなくても誰かがやってくれる」ようなこと
にもしっかり気持ちを向けて、その中のわずかな意義や楽しさを見つけ出せる人材はとても重要です。

 このような「都合のいい人材」は当然、多くはないですが、意外なことにそこそこの数は存在しますので、そうでない人材(組織にとっては好ましくないだけでなく、時に他のメンバーの邪魔にもなってしまう)が間違って入ってこないように、面接官はとにかく見破らなければいけません。
 まあ、「自分は有意義な人材だ」と思いこんだり装ったりしても実際にそうでない場合には、多くの場合どうしても言動に違和感が染み出してしまうので比較的短時間でバレます。
(それでも就職予備校などでうまく隠すように訓練されて、見破れずに入社させてしまい、後で社内から面接官に文句を言われる場合もありますが(苦笑))

 なお、このような人材は一般的に言われる大学のランクよりも優先しますが、これまた悔しいことに、いわゆる高ランクの学歴の方は無駄・非効率と見えることでも取り組んできた経験が豊富で適用性も高い傾向にあるようにも感じています(汗)。

さてさて、すっかり長くなってしまいましたがいかがでしょう。

 なお、長くなりついでに、余談を。
 お葬式をイメージしてみましょう。大切な肉親や友人のお葬式は特別でしょうが、疎遠でよく知らない親戚のお葬式に付き合わされた場合は、訳も分からず退屈で、長いお経は無駄な時間でしょう。
 だからといって、クラスの合唱の曲決めとは異なり、さすがに質問者さんも本を読んだり携帯ゲームをする気にはならないですね。どうするかといえば、悲しんでいる人を横目で見ながら、さも自分も悲しんで同情しているようなふりをする・・・というところでしょうか。

でも、この「ふりをする」ことを本気で行うことも結構有意義です。
 合唱の曲決めを心底楽しんでいるメンバーはとても少ないでしょうが、何とかまとめようと頑張っているメンバーはいるはず。
 面倒くさくても、やっかいでも、「自分は協力的だ」というふりをしていると、いずれ体が慣れてきます。
 その結果、面倒なことでも参加する勇気が出てくるのが一番ですが、少なくとも将来、「有意義な人材」を装って見破られにくいテクニックは身につきやすくなるでしょう。
(まあ、葬式と曲決めは違う・・・と言われるでしょうが、私から見れば(多分、先生から見ても)、質問者さんの態度はお葬式の最中に本を読んでいる人と共通する違和感を感じたでしょうから、将来、これがバレないようにする必要はありますね。(笑))

さてさて、いかがでしょうか。
まあ、上記にあてはまらなくても強い信念と強烈に得意な分野があれば生きていける世界はそれなりにあるので無理をする必要はありませんが、お役に立てば幸いです。
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状況にもよりますが、もしかして、あなたは曲を選んで紙に書いて投票するという作業を行った後、皆の投票の様子や、その後の開票作業も無視して、本を読んでいたのではないでしょうか。


もしそうだとしたら、先生の言うことも一理あると思います。
あなたは「自分は投票したし、どの曲に決まってもいいから、皆がなにをしていようと関係ない。開票作業で曲が決まるのを待っている間の時間がもったいない」と思って読書をしたのでしょうが、それは周囲から見れば「投開票作業という、曲が決まるプロセスに参加していない」ということになります。
あなたは自分の投票という作業を終えたので「もう何もする必要がない」と考えましたが、このような投票においては、「投票過程や開票作業を見守り、どの曲に決まるかまでを見届ける」のも、共同作業の一部になります。
みんなは投票の行方を見守っているのに、あなただけ読書をしているというのは、「どの曲になろうと関心は無い、皆と一緒にやる合唱に興味が無い」という態度に見えてしまうのです。
あなたにそのつもりがなかったとしても、周囲にはそのようなメッセージだと受け取られるのであり、先生は「その態度は、無関心だというメッセージになる」「学校での合唱のような団体行事では、そのような集団の輪を乱すような態度はよくないとされている」ということを注意したのです。
それでもあなたが自分の考えを貫くならばそれはそれで構いませんが、今後、日本の一般的な社会で誰かと共同作業をするときには、協調性がないと受け取られ、非難されたりすることがある、ということは知っておきましょう。
学校というのは、そういう社会一般の常識や集団生活での協調性を知る場所でもあります。それに従うかどうかは別として、「そういう考えが世の中にある」ということは理解しておくべきです。そして、それを受け入れなかった場合のデメリットも理解しておくべきです。
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どんな状況だったのかはイマイチ分かりませんが、


今その時間は本を読む時間ではないので、自分だけの事を考えたら無駄な時間かもしれませんが、他の人たちを待つ姿勢には見えなかったので注意したのだと思います。
ただ、これは必ずしも質問者さんが悪いとかと言った事では無いかとは思います。
読書とのことなので、別にうるさくしていたわけでもないだろうし、4曲から1曲を選ぶのにわざわざ紙に書いて投票せんでも挙手ですぐに決められますし、それなら無駄な時間は発生しないし、決める時間にも改善の余地はありそうですし。
しかしながら、いま質問者さんはそーいうクラス或いは学校に通っているので「郷にいれば郷に従え」で、その場に合わせると言うのも大事な勉強かとも思います。
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教師は「輪を乱すな」と言いたいのでしょう。



合唱はクラスが一丸となって曲に真剣に取り組んだ方が成果が出ますから、「みんなと一緒に」を強調したかったのでしょうね。

でもそれはただの押し付けですし、
本を読むのもぼーっとしてるのも大差ありません。
ただ、あなたに「クラスのために真剣にかんがえています」というポーズをとらせたかったんだとおもいます。

紙に書いて投票、ということ自体、匿名性があるのでその行為自体、輪を乱す行為です。

あまり悩まない方が良いです。
論理的ではない教師もいますから、相性が悪かったと思い、いう通りにはいはいと従っておいた方が面倒になりません。

本を読むこと自体が悪いことではなく、教師の理想像の通りにする必要もありません。
ですが、教師が輪を乱すこともあります。
どうしても時間を無駄にしたくない、本が読みたい。と思うなら徹底的に無視したら良いと思いますよ。

または、その場で「紙に書き終わったので本を読んでいたら「みんなの輪を乱す、壊す行為だ」と言われました。皆さんはどう思いますか?本を読んではいけないですか?」とクラス全員に聞いてみるのも手です。

言われたことをこなし、時間が余ったから有効活用する。何もおかしいことではありません。

自分でどうしてそう言われたのか、腑に落ちるまで考え、自分の行動に自信を持ってください。

他者との協調性も大事ですが、今後の人生であと何度あなたとともに時間を過ごすのかわからない赤の他人ですから

あなたの「自覚」が何よりも重要です。
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どちらも男性なんですね。


合ってるか間違ってるかはこの場合決めることはできないと思いますので、考え方としての意見になります。
その時間が自由時間ではなく、曲を決める時間だったからかな〜と思います。
個人の投票が済んでいても、全員で曲を決める時間だったので、気持ちをひとつにしてほしいという先生の考えだったのかなと思います。
とは言え、待っている時間が無駄だと考えた貴方にとって、この場合の気持ちをひとつにするとは…?と、疑問だとは思いますが。
あからさまに1人読書をしている事が、目に見えて気持ちが他に行っていると思われたのだと思います。
合唱に関しても同じで、歌えば良いということではなく、気持ちをひとつにしてほしいということが伝えたかったんだと思います。
教師らしい、熱い訴えだったのではないでしょうか。
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普通に先生を論破しただけかと。



全ての先生が優秀とは限りません。
頭の悪い先生も当然居ますからね。
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あなたは男性で、先生は女性ですか?

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この回答へのお礼

私も担任の先生も、男です。

お礼日時:2021/01/04 02:37

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