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織田信長は、朝鮮半島をへて明を攻略しようという構想をいだき
豊臣秀吉が織田家の息子たちを排除して、大陸侵攻の野望を引き継いだようです。
しかし、もしかすると明智光秀と徳川家康は、大陸侵攻の野望などで
いつ終わるとも知れない戦さに進む考えには反対だったのでしょうか?

かといって、徳川家康には当時の織田信長を討つ、というチャンスや胆力などがなく
明智光秀には、いろいろな因縁とか胆力も計画実行力もあった、ということでしょうか?

A 回答 (4件)

信長は大陸侵攻構想を明らかにしていましたし、天下統一後も戦いが続くことに明智が義憤を感じて本能寺に至ったという可能性はあると思います。



天下統一を果たした秀吉には、その軍事力が大陸侵攻への圧力になっていたことは間違いありませんが、秀吉自身は朱印船貿易で明と対等貿易で利益を上げようとしており、明国を刺激しないように、その圧力を抑えこもうとしていました。
しかし、明が臣従を求める朝貢貿易しか認めないために怒り狂った結果、その軍事的圧力を利用して「唐入り」のために朝鮮出兵に至りました。

その頃の家康は、関東転封で大変な時期でもあり、主力は参戦していませんが、特に唐入りに反対はしていません。
ただし、豊臣家臣団の不仲が明らかになったことから、秀吉が先に死んでくれれば「俺に天下のチャンスが巡ってくる」と踏んでいたことは間違いないでしょう。

そして事実そうなったわけですが、家康にとっては、唐入りの失敗と関ケ原の東西対決で国内の軍事的圧力が消滅したことで、安定した政権を創り出せました。

そういう状況ですから、<徳川家康には当時の織田信長を討つ、というチャンスや胆力などがなく、明智光秀には、いろいろな因縁とか胆力も計画実行力もあった>という説は、結果論ではありますが、そういう見立ても十分可能だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
大陸侵攻って当時の船とかでよくやろうと思ったなと思います

お礼日時:2021/01/04 08:58

そうだね。


秀吉の明の話は
スペインの影響が大きいとネットでやってました。
(若干信用してますがww)
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この回答へのお礼

ありがとうございます
モンゴルでも元を打ち立てたので
やってみないとわからない部分はあったかもしれませんね

モンゴル、スペイン、ポルトガルにイタリア、ギリシャ…
昔は強かったってピンときませんけど

お礼日時:2021/01/04 11:37

一編のドラマを観ただけで判断できるものでもないですよ。


歴史なんて見る側を変えるだけでどのようにでも書き換えられますから。
現実の世では麒麟は朝日や三鳥と戦ってますし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
日本って国は小さいのに、昔から
ちょいちょい大陸に侵攻していきますよね
不思議です

お礼日時:2021/01/04 09:18

はい。



そう申しておりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
明智光秀が織田信長を倒して、
豊臣秀吉が織田家の息子たちをつぶした、のをカモフラージュするために
光秀を悪者にしたのですよね

お礼日時:2021/01/04 08:54

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