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シェイクスピアの戯曲「All's well that ends well」のタイトルのフレーズでもあるこの言葉。

私は実に素晴らしい人生哲学だと思っています。そりゃあ、逃げや誤魔化しに使われることだってあるでしょうが、すべての人に希望を与えることが可能であると思う。
今私はこの言葉を讃嘆したい気持ちでいっぱいです。

では、皆さま、この言葉を味わい、様々コメントを頂きたいと思います。(批判もありです)

gooドクター

A 回答 (16件中1~10件)

自分がその展開なら笑って最後を迎えますね。

最後になって「人生の無意味さと後悔の念に苛まれ事」は無いですね。
足掻いたところで最後に変わりないなら足掻くのは馬鹿馬鹿しいしそれこそ無意味ですからね
自虐的に笑いながら最後を悟って格好良く野垂れ死にしますね
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この回答へのお礼

わかりました。

お礼日時:2021/01/08 17:15

話がそれましただので戻します。


人それぞれに「大事にしているもの」がありだからこそそれに応じた生き方や人生哲学があるのです。
それらの違いがあるとう事は心境もまた違いが出るとう事です。
質問者さんが何故に否定されるのかは知りませんが私はそちら側のタイプの人間であるとお伝えしておきます
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この回答へのお礼

少し誤解されているようです。

美学を追及する生き方をここで特に否定しているのではありません。

美学を追及した人がずっこける、ということは、つまり、年を取ってその意欲がなくなるということと考えていて、その場合、自虐的笑いをしてチャンチャン、などという心境はありえなくて、これまでの人生の無意味さと後悔の念と虚しさに苛まれるだろうと考えているということをお伝えしたかったということです。

お礼日時:2021/01/08 16:44

「何もなくなっちゃた」からこそ笑えるのです。

自虐的にね。
笑いに込められているのは、望まぬ結果を招いた自分自身の愚か更にの自覚と折れることなく最後まで美学を貫き通した自分自身に対する誇らしさに自覚です。
それを「愚か」と感じるか「誇らしい」と感じるかは人それぞれですがそれを「誇り」に感じる人もいると言う事です。
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この回答へのお礼

アニメとか小説の世界ではありでも、現実にはそういう心境は存在しないと
私は思うということです。

お礼日時:2021/01/07 22:48

美学を貫いた結果終わりにズッコケて最悪な展開になったら自虐的に笑って最後を向かる。

これも生き方人生哲学ですよ
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この回答へのお礼

何もなくなっちゃうわけですから、笑ってられないかもしれませんね。
それが人生と言えば、そうなんですが…

お礼日時:2021/01/07 21:59

仕事に限定して回答させていただいたその理由は仕事は他人と関わり合いと言う点で自分だけでは済まない事から「パブリック」となるからです。


質問内容を社会的に捉えるならば「パブリック」は避けて通れないからです。
それはその通りなのですが「個人的な問題」=「パーソナル」な面で捉えるならば違います。
「個人的な問題」=「パーソナル」と捉えるならば重要なのは「自由である」事です。質問内容に当てはめるならば「大事にしている事を大事にする」事が大事と言う事です。
上記を踏まえるならば、「終わり」を何より大事にしているからこそ「望んだ終わり方」を目指しているならルールに反しない限りにおいて他人からいくら批判されようともそれに振り回さずに「望んだ終わり方」になるようにすべきです。
そう考えている者達にとって「終わりよければすべてよし」との言葉その者達の「心の支え」になり得る言葉です。
他方「終わり方」よりも別の何か例えば「美学を貫く事」を大事にしている者達にとっては「美学を捨てて」=「魂を売って」まで「望ましい終わり方」は望まないでしょ。であるならばその者達にとって「終わりよければすべてよし」と言う言葉は「忌み嫌うる言葉」なのです。
その者達にとってはむしろ「武士は食わねど高楊枝」と言う言葉の方が「心の支え」になり得るでしょう。
まとめ
大事なのは「自由である事」=「大事にしていることを大事にする事」です
社会的に言うならそれぞれが「自由である」=「大事にしている大事にする事」が出来る社会が望ましいと言う事です。
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この回答へのお礼

仰ること分からないではないけれど、例えば美学を貫きたいという者にとっても、終わりにずっこけてしまったら、人生台無しだと思うんです。
だから、このケースでもやはり終わりは大事ということになると思います。

お礼日時:2021/01/07 00:56

そうですね。


結果が悪くとも、その中から良かった点を見出せばハッピーだ。という解釈ならば、とても前向きな良い哲学であると思います。
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この回答へのお礼

共感していただいて、ハッピーです。

お礼日時:2021/01/06 13:01

東洋的な諦めの言葉かも知れませんね。

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この回答へのお礼

ふーむ。

お礼日時:2021/01/06 02:00

仕事の世界において与えられた仕事に応じた結果を出すことが基本であり、そうする事が仕事を受けた側にとって「受けた責任を果たした事」になるのです。


言い換えるならば受けた仕事に応じた結果が出せないならばそれまでにした努力が徒労でしかなくかつ無責任だと言う事です。
大事なのは結果を出す事です。努力する事ではないのです。
結果を出すために法に反しない上ですべき事をする事です。「見栄」「見栄え」「プライド」等に固守せず他人から批判されてもそれに振り回されずにする事です。
それを踏まえて言えば本来「終わりよければすべてよし」という言葉は道中他人から批判されていた者を労い守る為に結果を出したその事実を踏まえてその者を批判してきた者達に使う言葉です。
しかしながらそれが誤解され誤用されている場合があります。
それについては「疑問しか湧きません」
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この回答へのお礼

政権与党を批判することなど、いくらでも出来ます。特に現代の政治では。
この言葉をそこに入れ込んで汚して欲しくないというのが正直なところなのです。

仰ることはほんの一部の解釈であり、本意は一切の人間にとって、現在と未来が全てなのだという希望の哲学であるとおもいます。

お礼日時:2021/01/05 16:37

たとえば「人生哲学」を「政権与党」に置き換えてみると


いかに高慢で無責任な言葉かイメージできると思います。
可能じゃねーよ、やれよ・・・的な
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この回答へのお礼

若い世代にそのような、下から目線の強い感覚があると思うけれど…

なんつーか、言葉の意味を汲み取ることをわざとしないで、悪く決めつけて解釈するという、やりくち。
それを、大勢で圧力をかけて、押し通してしまう。

そういう文化ができてしまっていると思っている。

あなた、若者ですか?正直に言うと、そういう文化に迎合しているおじさん、と思っていましたよ。

お礼日時:2021/01/05 15:32

何も努力しなくても「終わりよければすべてよし」なのですか?


努力すれば必ず成果は出ると信じています。
終わりが期待外れだとしても、やれるだけやって努力した結果なので良しとします。
無駄だと思ってもチャレンジしたい。
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この回答へのお礼

そう思います。

ただ、散々楽をしておいて、最後にちょこっと努力しても、良くはならんでしょう。

お礼日時:2021/01/05 01:10

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