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戦争当時「一億総玉砕」はどのような使い方をされたのですか?
(例えば、為政者が一億総玉砕せよ、と語ったとか)

A 回答 (3件)

敗戦必至となった1945年初頭に、旧大日本帝国陸軍の高級参謀たち、最高指導者たち、中堅将校たちが、おしなべて、【本土決戦 1億総玉砕】と本気で叫んでいました。

 彼らは1億の日本国民を道連れに無理心中すると固く決心していたのです。 信じられないことに彼らは、二千数百年続いた日本の国が無くなってもいいと本気で考えていたのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<【本土決戦 1億総玉砕】>という使い方ですね。
<二千数百年続いた日本の国が無くなってもいいと本気で>だったのですね。

お礼日時:2021/01/11 18:26

軍部です。

ポツダム宣言受諾の御前会議でも陛下が「もうやめましょ」と言ってるのに陸軍大臣だけが反対して決着が着かない、もっと早く受諾していれば原爆投下もシベリヤ抑留もなかったんですから。おバカ大臣は切腹して終結だよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
おそらく次の文脈で使われたのですね。一億総玉砕するまで戦争を継続する、と。

お礼日時:2021/01/10 18:52

第二次世界大戦で日本の敗戦色が濃くなり、最後は敵が日本本土にまで乗り込んで来ての本土決戦になったわけ。



もうそうなると日本に勝ち目はなく、かと言って日本に残っている人たち全員が捕虜になるのは大和魂として恥と屈辱しかなく、捕虜になるぐらいだったら戦って死ね、死ねないのなら自害せよ、と軍部が唱えたわけ。

資源のない日本は戦争にありったけの資源を使ってしまったので、本土決戦では敵は小銃や機関銃などの重装備で攻めて来たのに、日本に残っていた男たちと女子供は竹槍で戦ったんです。そんなの勝つわけがありませんよね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<日本の敗戦色が濃く>なった際に、<捕虜になるのは大和魂として恥と屈辱しかなく、捕虜になるぐらいだったら戦って死ね>すなわち、名誉である一億総玉砕せよ、ということになったのですね。

お礼日時:2021/01/10 18:49

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