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人によって「神」の定義は違うのでしょうか?

「神」とは絶対的存在を指すのでしょうか?
それとも相対的存在を指すのでしょうか?

もし前者だとしたら、人間を作ったのは「神」では無いですよね?

質問者からの補足コメント

  • 沢山の回答(反響)があって驚いてます。
    返事は明日以降にさせてくださいm(_)m

    回答感謝!

      補足日時:2021/01/13 16:39

A 回答 (20件中1~10件)

【神(かみ)】




1.概念
神の概念は宗教や民族によって多様であり、学問的にも様々な説があって、一義的な定義を下すのは困難だが、
一般的に神の概念は宗教の対象となるもののうち、人格性と形態、個性をもつものと考えられ、人格と形態を
もたない精霊やデーモンと区別される。

岸本英夫博士は神の概念について作業仮設的に、
 ①.超自然的な独立の個体的な存在。
 ②.一般的な人間とは、はっきり異なるが、人間の心を理解する能力をもっているという意味で人格的。
 ③.強力な力と、自由な意思とを所有。
の三つの条件をあげている。(『宗教学』1961年)が、このような内容が厳密な意味の神概念として考えられて
いる。
このような神観念発生の過程については、霊魂の信仰から神が発生したとするアニミズム説や、さまざまな事物
に内在してそれらを生気づける非物質的、非人格的な力(マナ)から神観念が成立したとするアニマティズム(プレ
アニミズム)説などがあるが、定説はない。


2.類型
神の観念は次のような類型に分けて考えられている。
 ①.氏族神
   氏族の結合の中心となる神。
   祖先神的な性格が強く、他の氏族からは悪霊とされることが多い。
   たとえばユダヤ教、キリスト教のヤーウェも元来、イスラエル民族の氏族神であった。
 ②.機能神
   社会や生活の諸機能を担う神。
   たとえばかまどの神、学芸の神、音楽の神等がある。
 ③.自然神
   気象、山、海、風、天体、動植物などの自然現象の特定のものが神格化されて生まれた神。
   たとえばアイヌは熊を神とし、インドでは牛を神聖視する。天照大神等の太陽神も自然神の一種である。
 ④.人間神
   伝説上の人物や歴史的な英雄などを神格化した神。
   日本の神道の神はこの人間神や自然神が多い。
 ⑤.抽象神
   ギリシャ、ローマの宗教に典型的に見られるように、勝利、自由、秩序など抽象的な価値をそのまま神格化
   した神。
 ⑥.大神
   神々相互の間を統一し、神々を支配するものとされる最高神。
   ギリシャのゼウス、ローマのジュピター、ペルシャのミトラなどがそれにあたる。
 ⑦.唯一神
   他の一切の神の存在を認めず、宇宙の全てを支配、統御すると考えられる超越神。
   ユダヤ教、キリスト教のヤーウェ、イスラム教のアラーなどがそれにあたる。


3.仏法上の神
仏法においては、本来は信仰の根本となるのはあくまでも『法(ダルマ)』であり、梵天、帝釈、日天、月天や
十羅刹女、鬼子母神などの神は仏法の修行者を守護する働きをなすものとされ、それ自身、信仰の対象とされない。
これらの神は、仏法思想の上からは宇宙や生命の働きの一部を表現したものと考えられ、仏教が流布する以前のイン
ド社会で信仰されてきたものを仏法の体系のなかに取り入れたものとされている。


4.日本の“カミ”
日本においては超人間的な霊力を一般には『タマ』、ないしは『カミ』と称され、それを『神』と表記するのは仏教
の伝来以降、日本の固有信仰が仏教の刺激を受けて「神道」として自覚されてからのことである。
すなわち『カミ』は神道の教義体系に現れる神よりも古く、神道の神は民族信仰のなかで信じられてきた『カミ』から
人為的に生み出されてきたものといえる。『カミ』は更に原始的な観念である『タマ(魂)』から生まれたものとされ、
『タマ』は一般に霊魂や精霊と考えられている。

***《中 略》***

神道の神はこうして原始的な『タマ』ないしは『カミ』の観念をもとにしたもので、基本的には原始的なアニミズム的
観念の域を出るものではない。
神道はそれぞれの時代に応じて仏教や儒教、あるいはキリスト教の影響を受けてその教義を形成してきたが、神道独自
の教義としては記紀神話などの神話以上にまとまったものはなく、神の観念にしてもその実態について明確な規定が
できない状況にある。

***************************************

【神(かみ)】・・・『新版 仏教哲学大辞典』より抜粋。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

詳細、感謝です!

お礼日時:2021/01/14 07:49

神とはどういう存在でどうあってほしいの?


あなたは
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人間の行いに干渉しないで頂きたい。

お礼日時:2021/01/15 07:07

神とは( ̄~ ̄;)



概念てきには、絶対的であるはずだけど

人と別け隔てて考えてしまうと
不必要な概念であるから

絶対的ではあるけど、人とのかかわりを考えたら
相対的であるべき事だと、思いますよ

絶対的な存在であるなら
人の関与は不要であって

関与が不要であるなら
認識すら不要である

でも、神てな!絶対的存在を相対的に捉えることで
人間は人間らしく生きられるのかと

神=果たして何を定義するべきか!

個々の判断にまかせるのが、無難な話ですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/15 07:07

人によって「神」の定義は違うのでしょうか?


 ↑
違うでしょうね。
キリストの神と、神道の神では全く
違います。



「神」とは絶対的存在を指すのでしょうか?
それとも相対的存在を指すのでしょうか?
  ↑
ワタシは、神は人間の想像力が製造した
モノと考えていますので、絶対でも
相対でもどちらも自由です。
好きな方を、あるいは都合の良い方を
選べば、と思います。




もし前者だとしたら、人間を作ったのは「神」では無いですよね?
 ↑
人間が不完全だからですか。
絶対神なら、不完全なモノだって
自由に作成出来ると思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/15 07:06

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は言い方は違いますが同じです。


仏教では神は存在しないと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
神=仏といっても差し支えないかと。

お礼日時:2021/01/15 07:06

いいえ、定義は同じですが、表現する言葉が異なるだけです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど。

お礼日時:2021/01/15 07:05

人によって「神」の定義は違いますねえ。



と言うかあまり考えたことない人も多いのでしょう

私も良くは考えずに来ました 無神論でしたので

今も私にはいませんねえ いる人が羨ましい面もあります。

仏教の教祖様も違うし お経も色々在るしで

其れが多様化なのか 分裂なのか?

多様化多様化とか 頑張って って言ってはいけないとか

勇気をもらったとか 言葉は流行りで一様化ですけどねえ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私は神みたいな存在は信じますが、神自体を信用してません(笑)
絶対的(相対的)な善もいなければ、その逆も然りだと思ってます。

あら、私も神を否定してますねぇ。

お礼日時:2021/01/15 07:05

先ず、


人族が 間違えたから、
と いっても、
本来の 存在は、
変わらない、

此は 抑えよう。


例えば、

誰かが りんごを、
ナシと 勘違いしても、
りんごは りんごの、
ままだ、
変わらない。


しかし、

人族内で 誤った、
定義が、
浸透する 事は、
起こり得るし。


其れが、

多様性を 帯びる、
事も、
正しくない 範疇内なので、
事実が 一つだろうと、
乖離した 時点で、
起こり得る。


故に、

〉人によって「神」の定義は違うのでしょうか?

其れは 十分、
起こり得る。


しかし、

人族が ナシを、
りんごと、
有り様を 規定変更し得ないのと、
同じように、

神を 規定変更し得ないのだから。


仮に、

人族毎に、
神の 定義が、
変わろうと、変わらなかろうと、

其れによって 神が、
変わる 事はなく。


詰まりは、

抑もの 点から、
質問に 理解齟齬が、
見られ 崩壊している。


結論として、

連れて 正答自身も、
瓦解するので、
答は 解無しだよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/15 07:03

群盲の象のように、人間の浅い見識では神の全体像を


知ることは難しいということでしょう。
人々が違うと言っているそれぞれの神でさえ実は
同じものなのかもしれません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうでしょうね。

お礼日時:2021/01/15 07:02

Also sprach Zarathustra



ニーチェはツァラトゥストラが町にて説教を行うことを記述する。
美徳を論じる偽善者、プラトン主義や伝統的な形而上学を論じる背面世界の論者、または身体の軽蔑者をツァラトゥストラは批判する。
そしてツァラトゥストラは魂を重視するがあまりに肉体を軽蔑する論者に対して、肉体が内包する根本を明らかにしようとする。
ツァラトゥストラにとって肉体そのものがひとつの大きな理性であり、精神とは肉体の道具に他ならない。
さらに自我の起源、文化、社会、国家、共同体について論じた上でツァラトゥストラはさまざまな民族がそれぞれ独自の価値観と目標を掲げ、それぞれの勝利のために争ってきたことを確認する。
彼らは千の目標のために戦ってきたが、人類はまだ一つの目標を持つことができていない。
またキリスト教の価値観である隣人愛の精神が自分自身への逃避であると指摘する。
本来あるべき態度とは隣人に対する愛ではなく、未来に出現する者への遠人愛であると説く。
そのことによってニーチェは伝統的な価値観を否定するだけでなく超人の思想を生み出すための方向性を示している。
ツァラトゥストラは弟子を得ることができたが、この第1部の最後では再び弟子たちを遠ざけて一人孤独な生活へと回帰する。

wiki
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この回答へのお礼

こちらもありがとうございます。

お礼日時:2021/01/15 06:22

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