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『国電』の呼称について。
国鉄時代の『国電』の呼称ですが、私は大阪の人間で、特に関西では東海道・山陽線の新快速や113系快速も『国電』になると言う認識で私もそれで呼んでいましたが、何となく東京では101、103系(301系も?)の電車のみが『国電』だったのではないかとも思ってます。
実際のところは、どうだったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    言葉が足りませんでした。
    101、103、301と書きましたが、それ以前の吊り掛け車も含みます。
    要するに、ロングシート車です。す

      補足日時:2021/01/17 09:36
  • どう思う?

    関東では、近郊型は「国電」とは呼ばなかったのかと。

      補足日時:2021/01/17 09:39
gooドクター

A 回答 (12件中1~10件)

No.7 + No.10 です。



その後、少々思い出した事があるので、追加です。

昭和40年代後半か50年代前半(だったと思います)に、国鉄が、地方部でも、電車による普通列車を大増発しました。静岡や名古屋、広島で、10分間隔程度の運転が始まった時の事です。
私の地元でも、エコー電車と称して普通列車が増発されたのですが、ダイヤ改正前、それを伝える地元の新聞に
『上田-長野は「国電」に』
という見出しが載りました。
つまり、電車による多頻度運転をしているサービス、あるいは多頻度運転をしている区間を国電、あるいは国電区間、と捉えていたのです。『国電』の部分がカギ括弧だったのは、首都圏などにある本当の国電とは違う、というニュアンスを出したかったのでしょうけれど。
もっとも、ふたを開けてみれば、多頻度と言っても、それまで1時間に1本だった普通列車が30分に1本になっただけで、少々拍子抜けした記憶があります(まあ、それでも鶴見線よりはマシですが)。

また、昭和50年代初めに、名古屋のある新聞(某全国紙の名古屋本社版)の一面トップに
『名古屋に国電環状線構想』
という見出しが載りました。
当時、まだ構想の段階だった中央線の貨物列車のバイパス線(現在の東海交通事業・城北線)を活用して、名古屋の市街地の周囲を回る環状線を作り、電車を頻繁に走らせる、という構想がある、という記事でした。
ここでも、電車による多頻度運転を『国電』という名で捉えていたようです。
もっとも、この国電環状線構想は実現せず、ご存じの通り、城北線は、単行の気動車が細々と走るだけの『大都市近郊のローカル線』となっていますが。
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関東在住のもうすぐ60歳の♂です。



具体的な定義は知りませんが、私は小さい頃から東京に乗り入れている日本国有鉄道の通勤用電車(路線)を「国電」と認識していました。
なので、7番さまが書かれている内容に近いと思います。

また、母の実家は津田沼の電車区付近にあるので総武線[御茶ノ水-千葉]の車両を見るのが子供の頃は楽しみでしたね。
もちろん、カナリア色が主でしたが茶色(ブドウ色)の電車も止まっており、偶に走っているのを津田沼駅で見かけるとわくわくしたのを覚えております。
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No.7です。


国電が『車両のタイプ』の呼称、という趣旨のご回答もありますが、私のイメージとはだいぶ違いますね。

例えばですが・・『大宮からは国電があるので、高崎線や東北線の列車は、赤羽と尾久しか止まらない』といった言い方は、普通にしていました(まだ、いわゆる中電が浦和に止まらなかった頃の事です)。

もっとも、私の親の代になると、『上野から新宿まで省線で行く』といった具合に、『国電』ではなく『省線』と言った言い方をしていましたが。
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追記だよ。


東京23区内では国電という人が多かったんだよ。
ただ、中央線や総武線などでは都内以外も走るが、そういう場合は国電とは言わなかったので。
あくまでも特定の電車を言うのではなく、23区内を走る国鉄の電車の「総称」として使うことが多かったんだよ。
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国電とは国鉄の電車と言う意味ではありません。

国電は旧鉄道省が省電とよんでいたタイプの国鉄の電車のことです。(例外有り)
旧大日本帝国政府は国家繁栄の為に民鉄買収し日本全国くまなく鉄道をひき都市間を鉄道で結んだのです。
それらは蒸気機関に引かれた客車で乗客を運んでいた事からそれらの路線を走る旅客列車の事を一般の方が「汽車」と呼ぶようになりました。
他方昭和の初期の頃大都市圏の人口が増えその需要に答えるべく一般の方が汽車とよんでいた路線に並行して都市間とその間にある町を結ぶ路線を建設したのです。これらの路線は開業当初から電化されており電化は近代化の象徴で有ることから旧鉄道省はそれらを省電と称しました。そ旧鉄道省が国鉄に移行した際省電から国電に変更したのです
また一般の方もそれによって「汽車」と「電車」と言い分けるようになりました
因みに一般の方々は国電とは民鉄買収分を含めて大都市圏においても都市間及びち都市間の町を結んでいる短距離の国鉄の電車の事をそうよんでいたいましたが国鉄としては民鉄買収分担を含めて短距離を結んでいる路線用に設計製造した「通勤型」の電車の事です。
近郊型の電車は誤乗防止の為に国鉄としては国電に含めせんでしたし多くの一般の方々も電車でありながら汽車と称していたのです。
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はい、そうですね。


車輛の形式、というより、山手線・京浜東北線・中央線高尾以東、常磐線取手以南、総武線千葉以西、それと赤羽線が『国電』でしたね。運賃制度などでは、南武線・横浜線なども国電に含まれていたようですが、これらは都心部には来ないので、イメージ的にはちょっと微妙でした。

私は逆に、関西の東海道・山陽線で、関東の中電(*)に相当する電車を『快速』と呼び、各駅停車と一体的に捉えていることに、新鮮さを感じました。
関東であれば、東海道線の中電と山手線・京浜東北線などは全く別で、東海道線が京浜東北線の快速に相当する、などという発想は、全くありません。
(*)中電:中距離電車。東海道線、東北線、高崎線などの電車です。

関西で、中電相当の電車を快速と呼ぶことを初めて知ったのは、70年の大阪万博の時でした。確か市販の時刻表に『万博期間中は快速も茨木駅に臨時停車する』との記述があり、その時は、『へぇー、関西では中電を快速と呼んでいるんだ・・』と思ったことを覚えています。
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この回答へのお礼

ありがとう

皆さん、ありがとうございます‼️

お礼日時:2021/01/22 23:28

時期や土地によっても違いますが基本的には(横須賀線を除く)電車特定区間内を運転する電車列車が「国電」でしたね。



関西の場合、東海道山陽線の新快速、快速電車も電車線、内側線運転だったので国電に入っていたのでは?
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関西在住。



私の認識では、国鉄時代、近郊電車区間に対する呼称です。
下駄電と云う人もいました。

形式は、関係ありません。
ぶどう色の旧型国電、42型・52型(流電)・63型、戦時設計の73型に加え、戦後設計の70系(スカ型)80系(湘南型)も国電に含まれます。
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>101、103系(301系も?)の電車のみが『国電』だった…



お若い方ですね。

国電の三大事故と言えば、桜木町に鶴見と三河島。
いずれも 63系、73系の時代です。

国鉄が発足したのは昭和24年、以後の都市圏で主に通勤電車を国電と呼んだのです。
関西地区の東海道線や大阪環状線でも、かなり遅くまで 73系は走っていました。
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大阪育ちですが、「国電」なんて単語、初めて聞きました。

「省線」って呼ばれていたのは覚えています。
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