AIツールの活用方法を教えて

無神論者と言っている日本人、何故初詣やお参りやパワースポット巡りだけはするのか?

A 回答 (12件中1~10件)

八百万、森羅万象の全てが神であり、神様が宿っているとするのが自然を愛する(愛でる/めでる)日本人です。

草/木/野原/山/川/海/大地/月/地球/太陽/宇宙の全てが神様なのです。自然を神とする日本人には、究極の自然「宇宙」が神なのです。
初詣/お参り/パワースポット巡りは、それを行う事で自然の(神の)パワーや御利益を分けて貰えるから行くのだと思います。

回答は、ここまでです。以下は私が考察した諸々のメモです。

物理学は一大飛躍を成し遂げる可能性があります。ケプラーは1609年と1619年の著書でケプラーの第1,2,3法則を発表し、ニュートンが1687年の著書で万有引力の法則を発表する切っ掛けになり、1887年のマイケルソン・モーリーの実験は、1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を1915-1916年に一般相対性理論を発表する切っ掛けになりました。
宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギーやダークマターが提唱され、超弦理論や11次元のM理論などが議論されています。これらは、次の物理学の一大飛躍の切っ掛けとなる予感がします。
1900年にプランクが量子論を1905年にアインシユタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれたのと同様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始するかも?
それは、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2020年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出すかも?
全く新しい時空のイメージと次元理論を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる技術を生み出すかも知れません。そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある太陽に良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転している岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも知れません。

宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体」とすると地球に住む人類も該当する。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理がある。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があるらしい。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実がある。我々が存在している天の川銀河を含む局部銀河群の中で最大なのがアンドロメダ銀河で、アンドロメダ銀河は、天の川銀河の約2倍の恒星があるらしい。天の川銀河でも最低1個の知的生命体を産んだ星(地球)があるのだから、その約2倍の恒星を持つアンドロメダ銀河には最低でも2個の知的生命を産んだ星がある可能性があります。

知的生命体は人型で無いかも?
wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に、炭素/水素/窒素/酸素を主体とした炭素型の地球の生命体とは異なり、ケイ素を主体とした生命体の可能性もある。例えば、核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込み核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも?
または、太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも?
そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕え/殺し/食べ/消化し/吸収し 生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て、宇宙狭しと駆け巡り、壮大な宇宙文明を築いているのかも?

2045年にコンピューターの知能は,全世界の人間が束になって挑んても敵わなくなる,全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達すると考えられています。人間は脳にチップを埋め込み,スマホやPC,マウスやキーボードなどを使わず,脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと,その脳の電気信号をチップが検出し,文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップなどが可能になり、人間は、常時、ネットとワイヤレスで接続し、超知能/超知性の人工知能AIと通信し、世界中の情報を操作/情報処理する。
テレビ電話で貴方Aが日本語でアメリカの人Bに質問すると瞬時に流暢な英語に翻訳されBに聞こえ、Bの英語の答えは瞬時に流暢な日本語に翻訳されAに聞こえる。この瞬時の翻訳は全世界の全ての言語間で相互に可能になる。
超知能/超知性の人工知能AIと連動した人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなどを熟し、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働く。人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らない。
超知能/超知性の人工知能AIに政治/経済/教育/医療/福祉など森羅万象について最適の施策を考えてもらい、人間は素直にその施策を実行して行くしか戦争を回避する手段は無いのかも?
地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティアである「宇宙」に向かうでしょう。それは「好奇心と拡散性」が人類の「性(さが)」だからです。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とあります。「はじめに」とは、時間を指す言葉です。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在しており、これらが存在できる「空間」がある事を意味しています。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べているのです。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいないのです。これらは既に存在していたのです。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていません。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神が同じである事が解ります。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しません。この一方だけでは「存在」は成立しないのです。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立します。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在していて、「空間」が存在しているからなのです。
時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも知れません。
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。
下記のブログを是非、御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
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無神論者と言っている日本人、


 ↑
それは、日本独自の宗教、神道の
信者です。

神道てのはまことにいい加減な宗教で
先祖を想い、自然を尊べば、それで信者
確定です。

信者である、という自覚も必要ありません。

だから、神道の信者1億1千万、といわれても
ピンと来ません。

神道てのはそうした宗教なのです。

そして、日本人の大部分は神道の信者です。




何故初詣やお参りやパワースポット巡りだけは
するのか?
 ↑
神道の信者だからです。

何しろ、信者なんて自覚が無いのですから、
初詣やお参り、パワスポなんかも
観光気分です。

こうした宗教を持つ先進国は他に例が
なく、そのため宗教争いをしてきた
ユダヤ教の学者が、京都大学で神道の
研究をしたりしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/23 20:50

神様がそこら中にいる日本。


八百万の神々が一木一草に宿っている。

そんなことは我々現代人は普段全く意識していないが、神社やお地蔵様や道祖神やら、ふと気付くとあちらこちらに祀ってある。日本人はそれが当たり前で育ってきた。いろんな神様がいることに抵抗がない。仏様がいればキリストもいて、七福神もいる。

自然にはパワーがある。其の力が特に高まっているのがパワースポット。
田舎の神社に行くと、昔の人がここに社を建てようと考えた気持ちがよく分かることがある。
自然そのものが神様だとする考え方、というか感性は個人的には好きだな。神道とは別にね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
色んな神様がいて当たり前の環境で育ったんですよね。

お礼日時:2021/01/21 09:22

其れは、単なる遊びの一種です。


昔からあるお伊勢参り。関東の大山詣で。善光寺詣で。

大多数は、しないよりマシか?程度の
実利を期待する事に起因する信心とは言えない行為です。
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この回答へのお礼

そうなんですよね。

お礼日時:2021/01/20 16:29

ご利益がありそうだったら何でもありがたい。



キリスト教はキリストしか拝まない。
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この回答へのお礼

キリスト教はそういう宗教ですから、キリスト以外に救いがあってはならない。

お礼日時:2021/01/20 16:30

#4です。

お礼ありがとうございます。

>日本人の道徳観は宗教的道徳観ではないんですよね

いえ、日本人の道徳観は宗教的道徳観です。ただ一神教のように「聖典」とか「神との約束」がないだけです。

宗教学を学ぶと「日本の道徳とは宗教である」ということが分かってくるのですが、この辺りの理解がどうも日本人は苦手なようです。

というより、明治以降の欧米文化が「一神教」をあまりにも強く認識させてしまっていて「宗教の多様性」が見えにくくなっているのだと思います。

wikiにも「日本教」の項目があるので、ご覧になるといいと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/01/20 16:07

お礼ありがとうございます=^_^=



「無神論者は自分に都合の良い神様を勝手に愛してお祭りごとにしているんだね。」

その通りだと思うよ!愛してるかどうかは知らんけど自分に都合の良い理由でお祭りごとにしているんだと思うよ。

信仰心無いのに、恋愛の神様に頼ったり、安産神様に祈願したり、何かのご利益を得ようとしてんじゃないの?

信仰してる人にとっては、そんなに都合よく、ご利益を得られる訳無いのに!と、滑稽に見えるでしょうね・・・。
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この回答へのお礼

全くその通りなんですよ。

神様なんていないなんて言う人に限って日常から様々な神頼みしているんですから、合点がいかないんですよ。

神様神様なんて言うのは胡散臭いって、あなたこそ胡散臭い事やってるじゃないですか、って(笑)

本当に滑稽に見えるんですよね(笑)

お礼日時:2021/01/20 16:05

それは分かりますが、何か合点がつかない。

」←それは あなたが 間違った事を 間違って無いと認証してるから

「合点がつかない」→「合点がいかない」なのに 間違って覚えてるのが その証拠
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この回答へのお礼

まあ、意図して間違えた訳では無いので。

お礼日時:2021/01/20 15:49

なぜって、日本人は無神論者でも無信仰者でもないからで、日本人が「宗教・神」という言葉を誤解しているからです。



日本人が「宗教」という言葉を聞くと、大体キリスト教やイスラム教のような神が定めた戒律の厳しい宗教や、同じく意味が分からない戒律を律儀に守る新興宗教のようなものを想像します。

どちらも「神が定めた戒律を守るために、日本人には信じられないような事をする」というイメージを抱くわけです。
だから日本人に「信じている宗教がありますか?」と聞くと、それは「あなたは命よりも大事な戒律をもっていて実践していますか?」と解釈するわけです。
当然に答えはNOです。

で、日本人は「宗教」はそういうものだと思っているし、そういう神様との付き合いはないので「無神論者・無宗教者・無信仰者」という答えが返ってきます。

しかし「宗教」とか「信仰」の本質は「道徳」です。「神が定めた戒律」というのは言い換えれば「守るべき道徳」という意味なのです。だから欧米人は「日本人は無宗教だというが、だとしたらどうしてあれほど秩序があって道徳的な人ばかりなんだ?」と不思議に思うわけです。

日本人に「あなたは道徳を守りますか?」と聞けば100%YESと答えるでしょう。しかし、他の宗教とちがって、日本人のいう道徳には神の教えとか聖典に書いてある内容、などはないわけです。

このような日本人独特の宗教観を、日本文化研究者だった故山本七平は「日本人は日本教を信じている」と表現しました。日本教=道徳で「神仏」というのは太陽とか川とか山とかを具現化しただけのものなわけです。だから「トイレの神さま」もいるわけです。

実際には日本人は信仰心がすごく篤く、だから初詣も行くし、パワースポット巡りだってするわけです。

ちなみに、今年はコロナ禍で初詣が自粛になりましたよね。みんな何処に行ったと思います?
もちろんほとんどの人が自宅に居たわけですが、例年より多くの人が初日の出を拝みに海や山に行っていたのです。

日本人の宗教観は「自然と共にある」わけで、古代の自然宗教そのままなんです。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます!

日本人の道徳観は宗教的道徳観ではないんですよね。

古代の自然宗教そのまま、なるほど。

お礼日時:2021/01/20 15:48

個人の自由範囲だからでしょうね

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この回答へのお礼

それは分かりますが、何か合点がつかない。

お礼日時:2021/01/20 15:42

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