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No.3
- 回答日時:
3世紀後半に軍人皇帝の時代というのがあって、50年ほどの間に50人弱の皇帝が現れては消えたとか。
ローマ帝国の皇帝は、時代により位置づけが変わっていて、一概に「こうだ」と言えない。
なので五賢帝までの「元首制」とも言われる時代に限って話したい。
カエサルは実験を握った後「終身独裁官」に就き、権力を一手に握ろうとした。
独裁官自体は昔からある官職だが、強大な権限を持ちながら任期は長くて半年。
有事の際の危機管理システムで、臨時にしか設けられなかった。
カエサルはそれを常設化しようとしたことで「王になりたいのでは」という疑念を持たれ、保守派に暗殺された。
アウグストゥスはカエサルの暗殺に学んだ。
ローマの権力者になったとも、王政をにおわすことは一切しなかった。
彼は昔からあるローマの官職や権利を目立たないように一手に集め、それでもって強大な権限を手中にした。
「皇帝」を称したわけではない。
もし称していたら、彼も暗殺されただろう。
アウグストゥスが手中にした権利は次のものである。
①「第一人者」ローマ市民中第一の権威ある者として認められたもの
②「インペラトール」もともとは絶対指揮権を持つ最高司令官が勝利したとき、兵士が司令官に呼びかけた賞賛の称号。これをアウグストゥスはローマ軍の最高司令官という意味で用い、後年「エンペラー」の語源となった。
③「護民官特権」護民官も昔からある官職。護民官特権とは政策立案権、拒否権、身体の不可侵権のこと。
④「最高神祇官」ローマの宗教の最高責任者。
⑤「市民冠を常時用いる権利」
など。
これら一つ一つはローマに昔からある合法の権利だが、それらをすべて集めると共和制のローマでは違法の「帝政」となる。
帝政を名乗れば王政を恐れる元老院や市民に命を狙われる。
なので、アウグストゥスは上のような形で権力を集中するしかなかった。
共和制の官職の延長なのだから、その就任には主権者であるローマ市民並びにローマ元老院双方の承認が必要だった。
後年これにローマ軍団の承認が加わる。
これらの一つの承認でも得られなければ「皇帝」の座には就けなかったし、どれか一つの承認を失えば、皇帝の座から引きずり降ろされた。
5代皇帝ネロは、元老院とローマ市民双方の支持を失って皇帝の座から陥落、自殺に追い込まれた。
ローマの皇帝とは、このようなきわめてデリケートなものだった。
しかし3世紀に入って「パクス・ロマーナ」が危うくなるとそのようなことも言っていられなくなる。
帝国を存続させるためにはより強権的にならざるを得ず、この時期から次第にローマ皇帝もオリエント並みの専制君主に姿を変えてゆく。
最初の軍人皇帝はセヴェルスである。
なお、アウグストゥスが手に入れた権利を見れば分かるとおり、元首制時代の皇帝とは「内政、軍事、外交、宗教の最高責任を元老院ならびにローマ市民から委託された者」である。
暫定法を発することはできたが、それを恒久法化するには元老院の承認を得る必要があった。
中国皇帝というより、アメリカの大統領と言うべき存在である。
ただし任期は終身である。
No.2
- 回答日時:
血統に基づいて皇帝位に就くと勘違いしちゃうのだね
自分は万能でありなんでも出来て仕舞うと
それが良い方向に進めば良いんだけど
間違った方に進むと皇帝から人心が離れていく
そうするとますます強権的になり、自らの脅威になりそうな人間を排除していく
その中で排除する手段として武力を用いていく
これがネロの時代
で、ついにネロの暴走に対して叛旗を翻すものが現れてくる
皇帝権威に対抗するのだから当然相当の武力を背景にしている
そうやってネロ以降の皇帝は総督やら軍団長から生まれていく
その混乱期を過ぎると世の中も武力闘争に対する反省も生まれて
やがて平和的な皇帝権の継承が行われるようになる
これが五賢帝の時代
この平和な時代も、拡がりすぎた帝国に対する異民族の侵入という脅威により混乱の時代に入っていく
そして混乱期にはやはり武力を持つモノが皇帝を争っていく事になる
そういう事の繰り返しですね
No.1
- 回答日時:
>アウグストゥスやカエサルなどの軍事指導者のイメージが強いのですが
実際の所、カエサルは優れた軍事的な指導者でした<ー政治的な能力も卓越
でもアウグストゥスは、軍事的な才能はハッキリ言って並かそれ以下
彼が直接指導した戦闘はごく僅かしか有りません
アントニウスなどとの戦闘においても、アウグストゥスは後方で政治的な活動をメインにしており
実際の戦闘指導は、配下のアグリッパへ全面的に委譲してます
アウグストゥスの優れた点は、配下の能力を見極めて適材適所を心がけたところです
対元老院との対決でも、カエサルのような武力で従わせる方法ではなく
外堀を埋めて根回しを充分に行う事で平和裏に権力掌握を行いました
アウグストゥス以後の皇帝は、アウグストゥスの血統を優先していますが
やがてネロの自決により血統は途絶えます
それ以後は、属州総督<-軍団の指揮権を持つが就任していきました
なので少数派ではありません
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