アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1.
キリスト・イエスは 要するに 人間のチカラで戦わなかったのだと考えられます。
 
だから 十字架上に去って行ったあと――人知を超えた場ないしチカラとして―― 人びとの心に復活した。




2.
話の都合じょう悪魔という言葉を出せば 悪魔は その十字架じょうの死の淵までは よう ついて来なかった。
 
それまでは イエスと同じ足取りでかれの跡について行って同じ軌跡をたどっていた。
 
イエスが何をするか その行動を追跡していた。
 
ハリツケの寸前にまで影のごとく寄り添って来ていた。


 

3.
ところが 死の淵にまでは そのみづからの能力によってついて行くことが出来なかった。


 

4.
それでこそ悪魔であった。
 
すでに死んでおり あらゆるものを否定し死にみちびく親分である悪魔も 自分がふたたび死ぬことは 出来ない相談であった。

もしそうすれば 即座に一たんよみがえって ふつうのまともな存在となる。と思ったとたん 中から炉心溶融を起こして溶けて行ってしまうとちゃんと知っていた。

ゆえに イエスの死の淵にまではもう よう来なかった。


5.
去って行ったイエスに度肝を抜かれた。

あらゆるものを否定し死にみちびく仕事に耐えられなくなった。

よって それまでに罪を犯した者どもを自分の胃袋の中に抱え込んでいたのが すべて吐き出さざるを得なくなった。
 
文字通り アクマは 腑抜けになったのである。



☆ お考えをどうぞ。

A 回答 (1件)

アクマが一番なんだね。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ただし いのちを自分で捨てることもできるし また得ることもできる存在にとっては 敗けたわけでは――敗けっぱなしなわけでは――ないのでしょう。

それに アクマは――前提としてにおいてすでに 仮りのものですが――消えてしまったわけです。これを 一番だなどとは言わないでしょう。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2021/01/23 12:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!