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江戸時代、1人が米を1年間どの位食べていたのでしょうか?
そのために、田圃はどの位の面積を耕作する必要があったのでしょうか?

A 回答 (7件)

ハッキリしたことは分からないが、日本では1人1年分の食料を「1石(こく)」とし、その食糧生産に必要な耕作面積を「1反」としていた。



ただ、度量単位は時代や地域によって異なっていた。秀吉が太閤検地を実施したのは、度量法も統一したかったからだろう。それが現代に繋がっているが、実際に統一が完成したのは江戸時代にに入ってからと思われる。

一般には「石高」は「米の生産量」と思われているが、実際には「米を含めた様々な食料生産量」であり、「1石」=「1反」=「1人分の年間食料を生産できる耕地面積」と理解した方がよさそうだ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<「1石」=「1反」=「1人分の年間食料を生産できる耕地面積」>なのですね。
視点を変えれば、1石や1反は<「1人分の年間食料>を基に大筋決めた、ということでしょうね。

お礼日時:2021/01/24 11:33

>><精米5400万石が必要なところ、採れる精米は2700万石。



ごめん、採れる精米は1500万石(3000万×0.5)。
厳しい現実です。
年貢は4割だから、農民は手元に600万石。
大名家に合計900万石。
現在のお金に換算すると、大名家全体の年貢米7000億円。

50万石の大名だと120億円くらい。
これで家臣団への扶持(給料)、公共事業、屋敷や江戸屋敷の維持。
火の車だったと想像できる。
商業などを起こして得る税が重要だった。
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この回答へのお礼

再度のご回答ご丁寧にありがとうございます。
<50万石の大名だと120億円くらい。>
農民もつらいけど、大名も苦労していたのですね。

お礼日時:2021/01/25 15:04

デブってたやつと、がりがりなやつが、同じ量を食べていたとでも?

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この回答へのお礼

刑務所では<同じ量>でした。
もっとも、<デブってたやつ>はあまりいなかったですが。

お礼日時:2021/01/24 09:05

正確なことはわからないようです。


江戸時代の人は米ばかり食べていた、米が食べられないのは貧乏人、といった俗説がまかり通っています。実は米以外に雑穀や芋などをたくさん食べていたんです。高名な歴史家もこのことについてははっきり言っていないようです。
当時の農民も正確な記録を残していません。記録しなかったというよりバレると年貢が増えるから内緒にしていたように思います。領主も同様で幕府に知られると面倒な役目が増える、そんな思いがあったのかも。
百姓の収入は我々の思っている以上に多かったのです。

江戸中期以降は冬に麦を作るようになります。米と同じぐらいの量が採れていたと思えます。麦は面積当たりでは米の7割ぐらいしか採れませんが、麦は畑でも育つのでそれを考慮すると同程度と考えてもよいでしょう。ということは百姓の収入は米だけと考えた場合の2倍近くあったわけです。
米は1反(10アール)あたり2石程度採れます(現代では3石5斗程度)。冬作を含めると4石弱といったところ。

どの程度食べていたか。
一般には年に1石と言われています。子供から老人まで平均した値。おかずも必要です。ものすごい概算で米0.5石相当としましょう。
年貢が必要ですね。いくつかの村で1人あたりの年貢の量を調べたことがありますが0.4石程度でした。ここまでで約2石。
他に生活するうえで着物とか肥料とかが必要です。100年に1度ですが家も建てます。そんな費用がいくらか。これも超概算で2石としましょう。
以上の合計で約4石。田んぼの面積で1反少々あれば賄える。
家族4人なら5反ぐらい必要ということになります。

もうひとつ面倒にしているのが田畑の面積。
検地は面積を測ることから始まるのですが、この測量が実にいい加減。実面積は公畝(帳面上の面積)の1.5倍あったとか2倍あったという話もあります。上記の話は実面積で書きましたが公畝での話ならますます面倒になるので気を付けてください。
当時は測量技術も未熟だったし、バレると年貢が増えるということで百姓も領主もナイショにしていたように思うのです。
以上、思いつくまま書きました。ご参考にしていただければさいわいです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
まず、収穫や田畑の面積の実態は、表(おもて)の数字より大きかったのですね。
一反当たり収穫は米(その他も含め)4石弱、必要なものは米換算で約4石
<家族4人なら5反ぐらい>を鍬で耕さなければならないのです。

お礼日時:2021/01/24 11:28

https://www.komenet.jp/_qa/seisan_kenbetsu.html

江戸時代の日本の反収(約10a当り収量)は、150kg程度だったそうです。
たぶん、ガセネタです。 
同じ地方でも、水田で反当たり収量は大きく違います。
また、江戸時代でも、期間は長いので、時系列でみた、大きな収量の変化もあります。 天候等の影響で、収量が大きく増減することもあります。
「江戸時代、1人分のために田圃はどの位の面」の回答画像3
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<江戸時代の日本の反収(約10a当り収量)は、150kg程度>なのですね。
引用して頂いた資料によれば、最近は約500kg。お百姓さんの努力の賜物ですね。

お礼日時:2021/01/24 09:15

今とは時代が違う。


当時は世界中、1日2食。
米が栄養源の大半だったから、精米1日5合必要だった。
5×365=1800合=精米1.8石。
(ウィキペディアの、1日3食で1食1合とするのは歴史を知らない誤り)

1町歩で1石の穀高。
穀高は籾殻・ヌカ付きの状態であって、精米にすると、0.9石

江戸時代の全国の穀高=3000万石
3000万町歩の田圃が必要。約3000万haが必要。
精米にすると、2700万石。

江戸時代の人口3000万人。
精米5400万石が必要なところ、採れる精米は2700万石。
満足に食べられない人が多かった事がわかる。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<米が栄養源の大半だったから、精米1日5合必要だった。>たんぱく質もほとんど米からですね。
<精米5400万石が必要なところ、採れる精米は2700万石。>
計算を合わせずらい、厳しい米事情ですね。

お礼日時:2021/01/24 09:01

年間1石といわれる。


(ウィキペディアでは、日本では、1食に米1合、1日3合が概ね成人一人の消費量とされているので、1石は成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされると記述される)

江戸時代、10町歩で10石のコメがとれるのが標準だったとされるから、
1石1町歩
1町は9917平米、ほぼ1ヘクタール
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
一人分、年間1石、100m四方の田圃を耕さねばならなかったのですね。
鍬で!

お礼日時:2021/01/23 19:27

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