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世界史の教科書に
ビザンツ帝国は11世紀以降中央政権を維持するために軍役奉仕と引き換えに貴族に領地を与えるプロノイア制を用いたと書いてあるのですが、なぜ貴族に領地を与えると中央政権が維持できるのですか?

gooドクター

A 回答 (4件)

それを封建制という。

鎌倉幕府の御恩(領地安堵)・奉公(軍役等の使役と財政負担)と同じことになる。

古代ローマについては、建国当初の王制・共和制時代は、自作農の集団であり、中央政府の指導者が将官となり、自作農が兵士となっていたが、武具や食料は兵士である自作農自身が用意する決まりだった。

そういう体制でカルタゴとのポエニ戦役などに勝利し、共和制ローマは地中海社会最大の大国・強国に躍進した。
しかし、ローマ軍の主戦力だった自作農は戦役負担に耐えられずに破産者が激増し、社会問題化すると同時に、主戦力である重装歩兵の成り手が不足する事態を招いてしまった。

それで、一部の富豪自身や軍才の有る将軍が富豪に金を借り、傭兵を雇って軍団を造り、西の金満国や海賊を攻めて財宝を略奪して大儲けするようなことを始めた。
※欧州の米大陸発見時の南米大略奪の原型がこれだ。

カエサルも、ガリアに侵攻したときは、自作農の正規軍団と盟友の大富豪クラッススから借りたお金で編成した傭兵軍団の両方を率いている。

そして帝政になると、基本的には領土拡張から既存領土保守に転換し、軍団は中央政府全額負担の少数精鋭とするようになった。

そして東西分裂し、経済力が弱かった西はすぐに崩壊したが、富める東の帝国は、鉄騎兵(重装騎兵)の開発で持ちこたえ続けた。しかし、イスラム勢力の相次ぐ侵攻に財政が耐えきれなくなった。
それで、中央集権型のテマ制から封建制のプロノイア制に名実ともに転換し、中央政府の負担を減らそうとした。ある意味、現状追認的な話ともいえるが、それで中央政府の維持が楽になったのは、おそらく間違いない。
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プロノイア制を考えるときにそれまでの制度であったテマ制からの変化というものを意識する必要があります。

簡単い言うと、ビザンツ帝国が獲得した領土の支配を、家臣に任せたのがテマ制ですが、そのうち家臣の私領となってしまい、家臣が貴族化(ビザンツ帝国の権威を利用して土地を私領化)したためビザンツ帝国は、私領として認める代わりに軍役を課したので、中央政権が軍事的に維持できたと言うことになります。ごく初期の鎌倉幕府の武士支配のやり方に似ています。
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簡単にいうと「土地所有を中央政府が保証している」からです。



ビザンツ帝国は東ローマ帝国として成立した時期は、ローマ時代と同じように共和制で徴兵制を行っていました。なので、日本の律令時代と同じように「少数の貴族以外はすべて農民で徴兵義務を負っている」という形でした。
これをテマ制(屯田制)と呼びます。

しかし、イスラム教徒の侵入とか十字軍による圧迫などで、中央政府が管理する屯田制度は瓦解し、次第に各地に有力者が現れて組織されるようになります。

簡単にいえば、日本で律令制が崩壊し武士が生まれたのと同じです。

この実力者たちは、農地を所有したがっていたのですが、テマ制のままでは「農民個々に土地を与え、その代り徴兵する」というやり方なので、実力者に土地を与えること(つまり農民は実力者に支配されること)ができなかったわけです。

しかし11世紀のビザンツ帝国はそれでは領土を維持できなくなったので「わかった、有力者を貴族待遇にして土地所有を認めよう。その代り、国をいじするために中央政府の命令で納税と出兵の義務を負ってくれ」としたわけです。
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当時のビザンツ帝国は、イスラムとの対立にあり、軍事力を強化することが必要だった。

プロノイア制は、軍事力強化の制度で、これによりイスラムに席けんされず、何とか帝国が維持できるだろうという程度のもの。
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