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徳川家康が、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残した件について

Q1.本当ですか?
そのことを確認できる(なるべく信用性が高いと思われる)WebページのURLを教えてください?

Q2.徳川家康は、なぜ、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残したのですか?
増上寺が菩提手だから?

Q3.徳川家康のお墓が、増上寺にないのはなぜですか?
なぜ、葬儀場所とお墓の場所が異なるのですか?

gooドクター

A 回答 (2件)

A1. 家康は、「自分が亡くなったら、遺体は久能へ納めること。

葬儀は増上寺で行い、位牌は三川の大樹寺に置くこと」と指定しています。 以下の増上寺のHPにも記載されています。
https://www.zojoji.or.jp/info/history.html

A2. 上記増上寺のHPに記載されている通り、家康が当時の増上寺の住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依した結果、天正十八年、1590年に徳川家の菩提寺として増上寺を選んでいたからです。

A3. A1.の通り、家康の遺言によるものです。 さらに、「一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて分霊すること」と言う遺言も残しました。
これらの遺言に従って、家康の葬儀は増上寺で行われ、浄土宗の戒名がつけられました。 遺体は駿府の久能山に葬られ、一周忌を経て日光東照社に分霊されました。 当時は土葬だったため「分骨」ができないにも関わらず、死後一旦葬った久能山から一年後に日光へ「分霊」するよう遺言で指示があるなど、当時の一般風習とはかけ離れています。 家康が亡くなった当時は土葬だったので、長い間久能山に遺体があるのか、日光に遺体があるのかは、議論の対象になっていました。2012年に家康が本当に眠る場所の候補として、大阪南宋寺が加わりました。 今でも、家康の遺体が葬られている本当の墓がどこにあるかは謎です。
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この回答へのお礼

回答&リンク提示ありがとうございました。

>「一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて分霊すること」と言う遺言も残しました
Q4.分霊前の本霊?はどこにある前提なのですか? 
・遺体を納めた久能?
・位牌を置いた三川の大樹寺?
・増上寺の黒本尊は、家康が尊崇していた阿弥陀如来像なので、分霊前の本霊ではない?

Q5.家康はどうしてこの遺言を残したのですか?
・定説はありますか? 諸説あるのですか?
・どうして一周忌が過ぎたら?
・どうして日光山?
・どうして分霊? 分霊希望ということは、異なる場所でそれぞれ自身を祀って欲しいということですか?
※分霊の意味を理解できていません

お礼日時:2021/02/04 21:04

2、自分の葬式まで、自分が仕切りたかった。

信長、秀吉と、死後すぐに家運が傾き始めたのを見てるだけに、自分が死んでも、徳川家が安泰のままであるために、いろいろと考えた。
3.死後、東照大権現という神様になって、徳川家を守る。そのため、仮想敵に睨みを利かせられるところにお墓を。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>3.死後、東照大権現という神様になって、徳川家を守る。そのため、仮想敵に睨みを利かせられるところにお墓を。
・初めて知りました。家康はそんなことを考えていたのですね

お礼日時:2021/02/04 11:29

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