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ご自分の定義をおしえてください。


私見では 
《知り得るか知り得ないかが知り得ない非知なるナゾ》
incomprehensible incomprehensibility
です。

gooドクター

A 回答 (14件中1~10件)

神は、無限の命であり、人間は有限の命。



神とは、人智を越えた、超越的存在。全知全能。
「神を 定義しよう」の回答画像14
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


たしかに。

★ 神は、無限の命であり、人間は有限の命。
☆ 神は 人間の有限ではなく 無限である。真理であり 道であり いのちである。たしかに。


★ 神とは、人智を越えた、超越的存在。全知全能。
☆ 超自然および超経験 まとめて《非経験のい場》ですね。その無限ないし絶対性から 擬人化して 絶対者であると忖度され得ます。

絶対者は 創造主であったりその属性には 全知全能あるいは慈愛といった内奥が付与されることがあります。

お礼日時:2021/02/11 11:13

>生まれつき備わった自然本性が、悪行ないし犯した罪から自由になって、そのチカラを発揮することができるという状態でしょう<


と、ありますが、自由になるのは、新しい契約として神の側から一方的に与えられるものだと思われますか?
それはやはり、人間の希望的観測にすぎないと思います。イエスキリストの十字架は悪魔の支配から人間を解放するものでしたが、いまだ完全な救いは成就していません。イエスキリストを個人的な救い主として受け入れることが必要です。

創造主としての神は、アブラハムに「わたしはある」というものだ、と啓示されたように、独立性永遠性をもった存在です。人の認識が及ばないからこそ証明することはできません。しかし、神がおられるという証拠は至るところにあります。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話もなくことばもなく、その声も聞こえない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた」と詩編にあるように、神の「ことば」としてのキリストの栄光は今や全世界に輝き渡っています。
人間の証明を拒んではいるものの、非知なるナゾだと定義するには、神はあまりにも多くの御心を人間に表してこられました。神の本質は愛であり、憐みだと思います。

最終的に、信じるものは救われるということになると思います。
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この回答へのお礼

☆☆ (№12お礼欄) >生まれつき備わった自然本性が、悪行ないし犯した罪から自由になって、そのチカラを発揮することができるという状態でしょう<
★ と、ありますが、自由になるのは、新しい契約として神の側から一方的に与えられるものだと思われますか?
☆ わたしの問題意識に引き寄せて捉えるなら 《真理はきみたちを自由にする》の具体的なあり方や如何に? でしょうか。

ですから 神からの〔一方的な〕ハタラキカケとして《悪行・罪ないし不義がゆるされる》ことなわけです。

具体的に言って 嘘をつくなどやましきことを一つやったならばそのぶん心が傷つきよき本性がそこなわれます。善の欠けが生じます。そこで神のめぐみが与えられるならば 欠けが癒えて元の自然本性がよみがえる。

自由意志の自由な発揮が出来るようになり また持てるチカラを遺憾なく発揮しうる状態が実現するのだと思います。

(能力の発揮にも 神のハタラキカケがあるかと思います)。


★ それはやはり、人間の希望的観測にすぎないと思います。イエスキリストの十字架は悪魔の支配から人間を解放するものでしたが、いまだ完全な救いは成就していません。イエスキリストを個人的な救い主として受け入れることが必要です。
☆ ① イエスの登場で《不義がゆるされる》ようになったのです。

② 刺さった矢が抜かれ善の欠けが癒えるのですが 善なる自然本性がよみがえることと 欠けないし傷の部分が癒えてゆくのとは別です。前者は即時に実現し 後者は時間的に成就していきます。

③ 患部の癒えてゆくというとき なお引っ切り無しに悪行で本性をそこない続けているなら 《自由になさしめられる》のは 《希望的観測に過ぎない》かもです。

★ 創造主としての神は・・・人間の証明を拒んではいるものの、非知なるナゾだと定義するには、神はあまりにも多くの御心を人間に表してこられました。神の本質は愛であり
☆ おのおの主観における神観 これは 特殊絶対性として神からあたえられるヒラメキにおいて持ち得ます。《神‐われ》関係は あたかも自由に成り立ち得ます。


★ 最終的に、信じるものは救われるということになると思います。
☆ サウロがダマスコへの道でイエスから声をかけられたように 信じない者も悪行を繰り返す者も すくわれ得ます。すくわれていてこれを拒む場合もあります。

お礼日時:2021/02/10 20:20

神は変わりません。

旧約新約を通して一つの神です。

救うというのは、罪からの救いです。

もちろん、天地万物を造られた創造主です。

インマヌエルというのは、ブラジュさんが言われる非知なるナゾ。普通、人間が窺い知ることができない神の奥義が目に見える形で人間に与えられたと見るべきだと思います。子なるキリストです。
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この回答へのお礼

★ 神は変わりません。旧約新約を通して一つの神です。
☆☆(№9お礼欄)
《絶対性 - 相対存在》という関係は 人間が泣いても笑っても 常住不変に成り立っているのではないか?
☆ という基本において そうですが その表現では 舌足らずですね。

なぜなら もし文字通り:
★ 旧約新約を通して一つの神で
☆ あって どの書においても神による人間へのハタラキカケについて 同じことが書かれている・・・というのであれば イエスキリストの出現した意味が何にもないとなります。




★ 救うというのは、罪からの救いです。
☆ ですから 生まれつきそなわった自然本性(感性および知性)が 悪行ないし侵した罪から自由になって そのチカラを発揮することができるという状態でしょう。

罪――ないし不義――は ゆるされた。ゆえに ひとはそれぞれ《わたしがわたしである》かたちで生きることが出来る。


★ もちろん、天地万物を造られた創造主です。
☆ 哲学としては 証明できないのです。


★ インマヌエルというのは、ブラジュさんが言われる非知なるナゾ。
☆ ん? えっ? 《非知》を使ってくれますか。

★ 普通、人間が窺い知ることができない神の奥義が目に見える形で人間に与えられたと見るべきだと思います。子なるキリストです。
☆ でも いかんせん 証明し得ないのです。

科学としての定義が いまここでは問題です。

お礼日時:2021/02/09 22:27

ではブラゲンニュさんの神の定義をお聞かせ願いたい。



神とは一体 何でしょうか?
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この回答へのお礼

趣旨説明に書きましたよ。

№4のお礼欄では 《非知》とは何かについて 次のように説明していますよ。

○ 認識の対象に応じて認識のあり方を区分する

経験事象
 可知:既知(知り得たと見なされている)
    未知(いづれ既知となると推し測られている)
 不可知:知り得ないと証明された未知
非経験の場(超自然&超経験)
 非知:知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ

お礼日時:2021/02/09 19:54

神とは宇宙・自然の力や魂を人間が擬人化して、その力を頼って祈ったり



拝んだりする人間と環境の概念。

親に頼っていた頃の延長であり自立できるかどうかが問題。

私は神に詳しいものじゃないですが
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この回答へのお礼

★ 宇宙・自然の力や魂
☆ 魂は ご自分で定義してから用いるべきでしょう。ほかは ただの自然界および経験世界です。神とは 別です。


★ 神とは 魂を人間が擬人化して、その力を頼って祈ったり
拝んだりする人間と環境の概念。
☆ 別に初めから擬人化する必要はないでしょう。というより 人間が擬人化するしないにかかわらず 《絶対性》は――想定上――存在します。

★ 神とは・・・人間と環境の概念
☆ これも まったくおかしいですよね。



★ 親に頼っていた頃の延長であり自立できるかどうかが問題。
☆ 直接に神とは 関係ありません。

お礼日時:2021/02/09 13:06

イザヤ書46:4


「わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い
持ち運び、かつ救う」

ここから、神の定義はインマヌエル。共におられる方。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ イザヤ書46:4
☆ の《わたし》すなわち神は そのまま新約の神となると見てよいですか?


▲ 救う
☆ というとき どういうかたちでか?

そうして――新約においては すでにすくいを理論じょう人びとにあたえ得たと思われるのですが それにしても――:
▲ わたしはあなたがたを造った
☆ という命題は 普遍神にとっての定義として そのまま採用されるでしょうか?


言いかえると 創造主――それは 属性のごとくであり また擬人化・物語化されていますから――であることを超えて 神としての定義があるように思われるのですが どうでしょう?



★ ここから、神の定義はインマヌエル。共におられる方。
▲ עִמָּנוּאֵל‎
Immanuel: imma-nu, el.
( with-us, 〔is〕 God. )
☆ という命題も どうでしょう?  つまり 絶対性なるもの・また非知なるナゾとしてあるものは たとえ《われと共にある》のではないとしても すでに初めから《絶対性 - 相対存在》といった関係として存在しているのではないか?

《絶対性 - 相対存在》という関係は 人間が泣いても笑っても 常住不変に成り立っているのではないか?


こんなふうに思います。

お礼日時:2021/02/09 10:50

言葉に拘泥したらオートマトン作りだな。


リテラルに固執しなくてもそう。
コード列に縛られるのは純粋機械とその解釈。

---
思考履歴。
https://note.com/shouga/n/nf6e2f2ee8c6d
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

分かんない。

▲ 言葉の出力結果リテラル一元性にとことん拘る奴は頭固いんだ。

言葉というコード列交換は手段だから。

「死ね」が「死なないで」でもね

「宣戦布告」が「友達にして」でも  無問題じゃね?

「無問題」が「有問題」でも問題じゃなくね?

「問題じゃなくね」が「問題じゃね」でも問題じゃね?
~~~~~~
☆ どういう意味だろう? あたま固いからかな 分かんない。つまり 間違ったことを言っていると見なす。

お礼日時:2021/02/09 08:30

あなたの心が地球より広く、あなたの愛が太陽より強いというのなら



貴方は神の子と思っても良いのかもしれません

GODでも良いし 天照大神でも良いでしょう

でもその様に素晴らしい人は少ないです

僕の知る限りでその様な「神の子」のような人は数人です

何千人の内数人です。

神ってるという言葉が流行りましたが その様な真理と摂理にかなった

技術・スキルはあると思います。真理に全く適っていたら それは神の手でしょう。

怪しいのもありますが^^

今はちょうど神信仰から無宗教に変わる過渡期ですから

宗教は分裂し 同時に道徳が空白に成っています

宗教を研究し その良い所を把握し 良くない所を避けなければなりません

すみません ニュースを見ていました。

つまり神の時代は終わるだろうと思います。AIを活用して理想の時代に行くだろうと思います。

神が悪いとは思いません 果たしてきた役割は大きかったと思います

ゴッド・ブレス・ユー
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この回答へのお礼

★ あなたの心が地球より広く、あなたの愛が太陽より強いというのなら
☆ 単なる言葉のあやです。お膳立てなら 哲学として定義するためのそれが欲しいのですが。


★ 貴方は神の子と思っても良いのかもしれません
☆ 神の定義に立って 神の子が出て来ます。まだ定義は――神についてのいろんな思わく(それ自体は 自由)のほかには―― いただいていません。



★ GODでも良いし 天照大神でも良いでしょう
☆ それは 名づけが自由という問題のはずです。


★ ~~~
でもその様に素晴らしい人は少ないです

僕の知る限りでその様な「神の子」のような人は数人です
~~~
☆ 中身がさだまっていません。



★ ~~~
神ってるという言葉が流行りましたが その様な真理と摂理にかなった
技術・スキルはあると思います。真理に全く適っていたら それは神の手でしょう。

怪しいのもありますが^^
~~~
☆ つまり 通俗的にタトへとして・言葉のあやとして 言っているに過ぎません。



★ 今はちょうど神信仰から無宗教に変わる過渡期ですから
☆ はやく神を定義してください。

★ 宗教は分裂し 同時に道徳が空白に成っています
☆ 神やいかに? が先決問題です。

お礼日時:2021/02/09 03:12

第一原因

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


不動の動者 ですか。

たしかに《不動》は 非経験なる絶対性をあらわし それが経験世界に対してハタラキカケをおこなう。

――というのだと思いますが じつは《動者》の部分については はっきりしませんね。

ハタラキカケを成すのかどうか。成すとして どういうふうに成すのか?

絶対性と相対世界との関係やいかに?

無限と有限とは 両者のあいだにおそらく絶対のへだたりがあると思われるが だから どうなのか?



★ 第一原因
☆ というふうに《原因》と言うからには その結果をともなう。その因果関係やいかに? つまり具体的なハタラキカケは 人間には分かりませんね。

ただ 現状を何かの原因の結果だと想定し その想定にもとづき原因の原因へと次から次へさかのぼっていったその想像における推測を言ったまでですね。

経験事象としての因果律 これを大前提とした理論立てです。

むろん神は 因果関係から自由です。絶対性とは そうなります。経験事象としての有る無しという規定をも超えています。



そこらへんを しっかりと定義して欲しい・・・とは思うのですが。

お礼日時:2021/02/09 03:03

No.3です


これは非常に間違えやすい考え違いのなのですが

まずは人間は「神が正しい」とか「神が怒ってる」とか、自然現象を擬人的に捉え 宇宙の真理や摂理を 理性的・感情的に捉えます

まず第一は神には体がないという事です。

人間なら足を叩かれれば痛いし 圧力を加えられると苦しいです。

しかし真理や摂理は痛くも痒くもないのです。

愛の神とか言いますが 人間が太陽や水に恵まれて人間になれたから

「これは神の恵みに違いない」と思ったのでしょう。

しかし神にはそんな意図はなく、火星や金星に人が居ないのと同じで

北極や南極には人は殆ど居ないのです。

自然はタマタマ人体(有機体)の発展しやすい環境で発展しただけで

神がそう準備した訳ではないのです。

だから愛するのは人間の方であって神が愛してくれた訳じゃない

だから神も仏もあるものかという事が起こるのです

天は自らを助けるものを助ける と言う様に、人間が自分で生きようとしなければ 親のような神は居ないのです

タマタマ太陽が人間にとって都合が良かっただけで 太陽は崩壊しながら

紫外線や強すぎる光も地球に送って来ているのです。

人間の誤解はまだあります。人間は意識を持ってから「神」というものを

想像しました。

でも猿にも牛にも神はないのです 神があるなら牛が片っ端から殺されて

食べられたりしません。人間は意識があるから理性がこの宇宙の真理を

摂理をわずかに捉えたのです。それを神と勘違いしているのです。

人間精神と人間の体は別物です つまり人間の勘違いは命と精神を混ぜて捉えたことです

似てるところもあるかもしれませんが 命と精神では全くの別物です

その精神の方が神を想像したのです。

しかしイエスの言ったことはまんざらデタラメではありません

人間は未来を目指すのです そういう欲望もあれば意志も在るのです

そして人によっては永遠を目指すのです 人間として、意識として

それは「永遠の命」と呼ばれてることです。

2000年前ですよ その当時の民衆や学者に「永遠の命」が何ものか

分かったと思いますか?

そういう色んな誤解の中で命と心を守る神が人間の想像した概念として

人々に信仰されて来た。今でも信じてる人が何億人もいる。いやイスラム教徒を入れると10億人以上は悠にいます。

人間も永遠を目指すのです 永遠を目指したものの努力が永遠に存在に影響していくのですから。

こんなに長くなっては分かりにくいでしょうけど 神の存在は心の中です

理性と感性で神を想像するのです。それが宗教です。

奇跡を期待しても起こりません。それだけは覚悟しておくしかありません。
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この回答へのお礼

★ まずは人間は「神が正しい」とか「神が怒ってる」とか、自然現象を擬人的に捉え 宇宙の真理や摂理を 理性的・感情的に捉えます
☆ ん? 《自然現象》の擬人化ですか? それとも 《神》の擬人化なのか?


★ まず第一は神には体がないという事です。
☆ どうして分かるのですか? 《体がある》ということも 証明できませんが《ない》とも分かりません。



★ 人間なら足を叩かれれば痛いし 圧力を加えられると苦しいです。
しかし真理や摂理は痛くも痒くもないのです。
☆ その前に《真理を叩く》とは どういうことか? これを明らかにせねばなりません。

★ 人間が太陽や水に恵まれて人間になれたから
「これは神の恵みに違いない」と思ったのでしょう。
☆ そういう思わくは それとしてまったく自由でしょう。だから どういう理論なのかは 別です。

★ だから愛するのは人間の方であって神が愛してくれた訳じゃない
☆ 《神が愛す》とは どういうことかを明らかにしてからでないと話は始まりません。


★ だから神も仏もあるものかという事が起こるのです
☆ その一つの筋の思わくが あり得るというのみです。


★ 天は自らを助けるものを助ける と言う様に、人間が自分で生きようとしなければ 親のような神は居ないのです
☆ いや 神はいますよという反論が いくらでも現われましょう。そういう自由な思わくをつづっても だからどう? ってなります。

★ 人間は意識があるから理性がこの宇宙の真理を
摂理をわずかに捉えたのです。それを神と勘違いしているのです。
☆ ですから 絶対なる真理(神の知恵)と自然の法則および社会的な因果応報なる説との兼ね合いがどうなるか? じつは 人それぞれの思わくを述べてそれでおしまいなんです。だからどうだという理論には発展しません。

★ 「永遠の命」と呼ばれてることです。

★ そういう色んな誤解の中で命と心を守る神が人間の想像した概念として
人々に信仰されて来た。

☆ そういった思わくがあるということです。それ以上のことではないでしょう。神が分かったというわけではないでしょう。


★ 神の存在は心の中です
☆ と思いますということでしょう。

お礼日時:2021/02/08 21:04

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