プロが教えるわが家の防犯対策術!

ご自分の定義をおしえてください。


私見では 
《知り得るか知り得ないかが知り得ない非知なるナゾ》
incomprehensible incomprehensibility
です。

A 回答 (14件中1~10件)

さえないな。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

しゃれたかたちにならなかったようで・・・おそまつでした。

お礼日時:2021/02/07 22:38

量子力学超えて超えて 何かが動いてゆく根本理念

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。



★ 理念
☆ ぢゃないんだよなぁ。おっしゃるように科学ないし人知を超えているのだから 理念をも超えているのでは?



次のように考えます。その趣旨説明欄です。
【Q:神は 無根拠である】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12192324.html

お礼日時:2021/02/07 22:44

宇宙自然の真理や摂理を義人的に捉えたもの ですかね。

    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 宇宙自然
☆ は 自然また経験としての事象ですね? しかるに 神は 超自然ないし超経験なのでは?


そういう意味ではなく 次のようにおっしゃっていますか?
★ 宇宙自然の真理や摂理
☆ この場合 《真理や摂理》というとき それらは人間が理性において認識し得るものですか どうですか? 

人間の相対的な知性を超えた絶対性たる真理のことでしたら それは 神のことを言い当てているとわたしも思います。


摂理は どうですかね。おそらく いまの絶対性たる真理が――神として――何らかのかたちでこの相対世界にハタラキカケをおこなっているそのありさまを言っているのではないですかね? 

だとしたら 人知で捉え得るその因果関係としての規則性や法則のことを言っているように思います。


つまりは 真理たる神とのつながりを言っているものではありながら その摂理そのものはすでに 経験的な事象についての知識のことを言うもののように見られます。



★ 宇宙自然の真理や摂理を義人的に捉えたもの
☆ むしろ神を擬人化したものとしては 絶対性→絶対者→創造主あるいは全知全能者といった表現を思い浮かべます。それらは むしろ神の属性を言っているように受け取られます。

お礼日時:2021/02/07 23:02

未知なるモノを説明するために


人間が創造した道具概念です。

この世界はどうして存在するのだ。

神が創ったのだ。

そうすれば、説明が出来ます。

やがて人間が賢くなって
神では納得しなくなり、科学で
説明するようになりました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 未知なるモノを説明するために
人間が創造した道具概念です。
☆ ところが 《未知》という認識のあり方は その対象が あくまで経験事物であることを語っています。


経験事象
 可知:既知(知り得たと見なされている)
    未知(いづれ既知となると推し測られている)
 不可知:知り得ないと証明された未知
非経験の場(超自然&超経験)
 非知:知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ


☆ 神が 経験事物であるという命題は 自己矛盾です。



★ ~~~
この世界はどうして存在するのだ。

神が創ったのだ。

そうすれば、説明が出来ます。
~~~
☆ どうして? つまり そういう物語を編むことは出来ますが 実際問題としては その《世界を創った》ということが証明されたわけではありません。

つまり ほんとうには:
★ 説明が出来ま
☆ せん。




★ やがて人間が賢くなって
神では納得しなくなり、科学で
説明するようになりました。
☆ うそおっしゃい。人知で説明できたなら そのものは 神ではないでしょう。人知を超えていないのですから。

お礼日時:2021/02/08 15:15

No.3です


これは非常に間違えやすい考え違いのなのですが

まずは人間は「神が正しい」とか「神が怒ってる」とか、自然現象を擬人的に捉え 宇宙の真理や摂理を 理性的・感情的に捉えます

まず第一は神には体がないという事です。

人間なら足を叩かれれば痛いし 圧力を加えられると苦しいです。

しかし真理や摂理は痛くも痒くもないのです。

愛の神とか言いますが 人間が太陽や水に恵まれて人間になれたから

「これは神の恵みに違いない」と思ったのでしょう。

しかし神にはそんな意図はなく、火星や金星に人が居ないのと同じで

北極や南極には人は殆ど居ないのです。

自然はタマタマ人体(有機体)の発展しやすい環境で発展しただけで

神がそう準備した訳ではないのです。

だから愛するのは人間の方であって神が愛してくれた訳じゃない

だから神も仏もあるものかという事が起こるのです

天は自らを助けるものを助ける と言う様に、人間が自分で生きようとしなければ 親のような神は居ないのです

タマタマ太陽が人間にとって都合が良かっただけで 太陽は崩壊しながら

紫外線や強すぎる光も地球に送って来ているのです。

人間の誤解はまだあります。人間は意識を持ってから「神」というものを

想像しました。

でも猿にも牛にも神はないのです 神があるなら牛が片っ端から殺されて

食べられたりしません。人間は意識があるから理性がこの宇宙の真理を

摂理をわずかに捉えたのです。それを神と勘違いしているのです。

人間精神と人間の体は別物です つまり人間の勘違いは命と精神を混ぜて捉えたことです

似てるところもあるかもしれませんが 命と精神では全くの別物です

その精神の方が神を想像したのです。

しかしイエスの言ったことはまんざらデタラメではありません

人間は未来を目指すのです そういう欲望もあれば意志も在るのです

そして人によっては永遠を目指すのです 人間として、意識として

それは「永遠の命」と呼ばれてることです。

2000年前ですよ その当時の民衆や学者に「永遠の命」が何ものか

分かったと思いますか?

そういう色んな誤解の中で命と心を守る神が人間の想像した概念として

人々に信仰されて来た。今でも信じてる人が何億人もいる。いやイスラム教徒を入れると10億人以上は悠にいます。

人間も永遠を目指すのです 永遠を目指したものの努力が永遠に存在に影響していくのですから。

こんなに長くなっては分かりにくいでしょうけど 神の存在は心の中です

理性と感性で神を想像するのです。それが宗教です。

奇跡を期待しても起こりません。それだけは覚悟しておくしかありません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

★ まずは人間は「神が正しい」とか「神が怒ってる」とか、自然現象を擬人的に捉え 宇宙の真理や摂理を 理性的・感情的に捉えます
☆ ん? 《自然現象》の擬人化ですか? それとも 《神》の擬人化なのか?


★ まず第一は神には体がないという事です。
☆ どうして分かるのですか? 《体がある》ということも 証明できませんが《ない》とも分かりません。



★ 人間なら足を叩かれれば痛いし 圧力を加えられると苦しいです。
しかし真理や摂理は痛くも痒くもないのです。
☆ その前に《真理を叩く》とは どういうことか? これを明らかにせねばなりません。

★ 人間が太陽や水に恵まれて人間になれたから
「これは神の恵みに違いない」と思ったのでしょう。
☆ そういう思わくは それとしてまったく自由でしょう。だから どういう理論なのかは 別です。

★ だから愛するのは人間の方であって神が愛してくれた訳じゃない
☆ 《神が愛す》とは どういうことかを明らかにしてからでないと話は始まりません。


★ だから神も仏もあるものかという事が起こるのです
☆ その一つの筋の思わくが あり得るというのみです。


★ 天は自らを助けるものを助ける と言う様に、人間が自分で生きようとしなければ 親のような神は居ないのです
☆ いや 神はいますよという反論が いくらでも現われましょう。そういう自由な思わくをつづっても だからどう? ってなります。

★ 人間は意識があるから理性がこの宇宙の真理を
摂理をわずかに捉えたのです。それを神と勘違いしているのです。
☆ ですから 絶対なる真理(神の知恵)と自然の法則および社会的な因果応報なる説との兼ね合いがどうなるか? じつは 人それぞれの思わくを述べてそれでおしまいなんです。だからどうだという理論には発展しません。

★ 「永遠の命」と呼ばれてることです。

★ そういう色んな誤解の中で命と心を守る神が人間の想像した概念として
人々に信仰されて来た。

☆ そういった思わくがあるということです。それ以上のことではないでしょう。神が分かったというわけではないでしょう。


★ 神の存在は心の中です
☆ と思いますということでしょう。

お礼日時:2021/02/08 21:04

第一原因

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


不動の動者 ですか。

たしかに《不動》は 非経験なる絶対性をあらわし それが経験世界に対してハタラキカケをおこなう。

――というのだと思いますが じつは《動者》の部分については はっきりしませんね。

ハタラキカケを成すのかどうか。成すとして どういうふうに成すのか?

絶対性と相対世界との関係やいかに?

無限と有限とは 両者のあいだにおそらく絶対のへだたりがあると思われるが だから どうなのか?



★ 第一原因
☆ というふうに《原因》と言うからには その結果をともなう。その因果関係やいかに? つまり具体的なハタラキカケは 人間には分かりませんね。

ただ 現状を何かの原因の結果だと想定し その想定にもとづき原因の原因へと次から次へさかのぼっていったその想像における推測を言ったまでですね。

経験事象としての因果律 これを大前提とした理論立てです。

むろん神は 因果関係から自由です。絶対性とは そうなります。経験事象としての有る無しという規定をも超えています。



そこらへんを しっかりと定義して欲しい・・・とは思うのですが。

お礼日時:2021/02/09 03:03

あなたの心が地球より広く、あなたの愛が太陽より強いというのなら



貴方は神の子と思っても良いのかもしれません

GODでも良いし 天照大神でも良いでしょう

でもその様に素晴らしい人は少ないです

僕の知る限りでその様な「神の子」のような人は数人です

何千人の内数人です。

神ってるという言葉が流行りましたが その様な真理と摂理にかなった

技術・スキルはあると思います。真理に全く適っていたら それは神の手でしょう。

怪しいのもありますが^^

今はちょうど神信仰から無宗教に変わる過渡期ですから

宗教は分裂し 同時に道徳が空白に成っています

宗教を研究し その良い所を把握し 良くない所を避けなければなりません

すみません ニュースを見ていました。

つまり神の時代は終わるだろうと思います。AIを活用して理想の時代に行くだろうと思います。

神が悪いとは思いません 果たしてきた役割は大きかったと思います

ゴッド・ブレス・ユー
    • good
    • 1
この回答へのお礼

★ あなたの心が地球より広く、あなたの愛が太陽より強いというのなら
☆ 単なる言葉のあやです。お膳立てなら 哲学として定義するためのそれが欲しいのですが。


★ 貴方は神の子と思っても良いのかもしれません
☆ 神の定義に立って 神の子が出て来ます。まだ定義は――神についてのいろんな思わく(それ自体は 自由)のほかには―― いただいていません。



★ GODでも良いし 天照大神でも良いでしょう
☆ それは 名づけが自由という問題のはずです。


★ ~~~
でもその様に素晴らしい人は少ないです

僕の知る限りでその様な「神の子」のような人は数人です
~~~
☆ 中身がさだまっていません。



★ ~~~
神ってるという言葉が流行りましたが その様な真理と摂理にかなった
技術・スキルはあると思います。真理に全く適っていたら それは神の手でしょう。

怪しいのもありますが^^
~~~
☆ つまり 通俗的にタトへとして・言葉のあやとして 言っているに過ぎません。



★ 今はちょうど神信仰から無宗教に変わる過渡期ですから
☆ はやく神を定義してください。

★ 宗教は分裂し 同時に道徳が空白に成っています
☆ 神やいかに? が先決問題です。

お礼日時:2021/02/09 03:12

言葉に拘泥したらオートマトン作りだな。


リテラルに固執しなくてもそう。
コード列に縛られるのは純粋機械とその解釈。

---
思考履歴。
https://note.com/shouga/n/nf6e2f2ee8c6d
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

分かんない。

▲ 言葉の出力結果リテラル一元性にとことん拘る奴は頭固いんだ。

言葉というコード列交換は手段だから。

「死ね」が「死なないで」でもね

「宣戦布告」が「友達にして」でも  無問題じゃね?

「無問題」が「有問題」でも問題じゃなくね?

「問題じゃなくね」が「問題じゃね」でも問題じゃね?
~~~~~~
☆ どういう意味だろう? あたま固いからかな 分かんない。つまり 間違ったことを言っていると見なす。

お礼日時:2021/02/09 08:30

イザヤ書46:4


「わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い
持ち運び、かつ救う」

ここから、神の定義はインマヌエル。共におられる方。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ イザヤ書46:4
☆ の《わたし》すなわち神は そのまま新約の神となると見てよいですか?


▲ 救う
☆ というとき どういうかたちでか?

そうして――新約においては すでにすくいを理論じょう人びとにあたえ得たと思われるのですが それにしても――:
▲ わたしはあなたがたを造った
☆ という命題は 普遍神にとっての定義として そのまま採用されるでしょうか?


言いかえると 創造主――それは 属性のごとくであり また擬人化・物語化されていますから――であることを超えて 神としての定義があるように思われるのですが どうでしょう?



★ ここから、神の定義はインマヌエル。共におられる方。
▲ עִמָּנוּאֵל‎
Immanuel: imma-nu, el.
( with-us, 〔is〕 God. )
☆ という命題も どうでしょう?  つまり 絶対性なるもの・また非知なるナゾとしてあるものは たとえ《われと共にある》のではないとしても すでに初めから《絶対性 - 相対存在》といった関係として存在しているのではないか?

《絶対性 - 相対存在》という関係は 人間が泣いても笑っても 常住不変に成り立っているのではないか?


こんなふうに思います。

お礼日時:2021/02/09 10:50

神とは宇宙・自然の力や魂を人間が擬人化して、その力を頼って祈ったり



拝んだりする人間と環境の概念。

親に頼っていた頃の延長であり自立できるかどうかが問題。

私は神に詳しいものじゃないですが
    • good
    • 1
この回答へのお礼

★ 宇宙・自然の力や魂
☆ 魂は ご自分で定義してから用いるべきでしょう。ほかは ただの自然界および経験世界です。神とは 別です。


★ 神とは 魂を人間が擬人化して、その力を頼って祈ったり
拝んだりする人間と環境の概念。
☆ 別に初めから擬人化する必要はないでしょう。というより 人間が擬人化するしないにかかわらず 《絶対性》は――想定上――存在します。

★ 神とは・・・人間と環境の概念
☆ これも まったくおかしいですよね。



★ 親に頼っていた頃の延長であり自立できるかどうかが問題。
☆ 直接に神とは 関係ありません。

お礼日時:2021/02/09 13:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!