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明智光秀に天下取りのチャンスはありましたか?

秀吉による中国大返しが無かったとしても、織田家臣をすべて敵に回して勝てるのでしょうか?

A 回答 (10件)

明智光秀は主君を裏切る反逆者・謀反人という汚名ができてしまった。


これが最大の敗因でしょうな。天下を取り損ねた男が光秀ですね。
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第一人者を倒しても正当性を訴えることができなければ有力者の信任を得ることはできません。

信長はまだ天下人でもないのです。東北・関東・中国・四国・九州はまだ信長に伏した訳じゃないので。信長は天下人を目指したがまだまだ遠大な道だったのです。なんせ本願寺でさえ10年かかっている。となれば天下は信長の後継者に託されるしかない訳です。そうして光秀の役割は秀吉に信長の後継者の資格を正当化しバトンタッチを早める役割しかなかったのです。実際、中川清秀、高山右近といった有力諸将は全部秀吉側につきましたよね。物事には絶対的に正当性が必要なのです。正当性がなくても第一人者を倒すことはできる。しかし正当性がなければ誰からの支持も得られません。それでは天下人にはなれません。
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本能寺の変で信長の首を手に入れていたら(信長の死を証明できていたら)光秀が天下を取っていたかもしれないと言われているそうです。

信長の首が所在不明となったので公式には「信長は死んでいないかもしれない」と言う事になってしまったそうです。


もちろん「信長は生きてるかも」と本気で思っていた人はほとんどいなかったでしょうが、「信長が死んだと言う証明ができない」と言うのが致命的な失敗となったようです。
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中国大返しが無かったとしたら、


家康の天下取りが早くなっただけ
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人間のやることに0%も100%もないからな。


つまり、可能性について全否定はできない。
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私は十分にあったと思います。

重要なことは「毛利」「天皇」「寺社勢力」をどのように利用するかだと思います。信長の死後、織田軍御中でもいくつかの内紛があり、柴田勝家、家康、秀吉などが動きまわっていますが、個人的には「後の歴史の結果」に引っ張られ過ぎて、「家康」「秀吉」などという人を過大評価しすぎていると思います。この時期「織田軍の配下」であったと言うことでは「明智光秀」と変わらないわけで、さらに「織田」型の軍隊は要が抜けると混乱が広がる傾向にあります。光秀が「長期戦」を覚悟して、反織田祭力を作れば十分商機があったと思います。例えば「天皇」とともに「比叡山」に立てこもるといった作戦です。こうしたことを考えれば、十分に勝利するチャンスはあったと思います。
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信長の死体があったらよかった。


秀吉が生きてる!って
デマ飛ばしが成功して
誰も味方せんやったんよ。

結果はだれも味方せんやったから勝てないでしょうね。
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織田方に敵対していた大名とあらかじめ話をつけていないと無理だったでしょう。


でもそれをするには、あまりにもリスクが大きすぎます。

むしろ、そのまま織田方の有力家臣として残り、信長の後に他の有力家臣たちと手を組んでのしあがる以外に方法はなかったでしょうね。
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私見ですがどう足掻いても同じ結果になっていたと思います。

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チャンスは一瞬だけありました。


その結果が周知のとおりです。
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