いきなりですが、質問します。
 1.大東亜戦争はどのようにして始まったのでしょうか?又、その目的は何だったのでしょうか?
 2.どんなことが起こったのでしょうか?
 3.ビルマでは、どのようなことが起こったのですか?(「ビルマの竪琴」の時代背景)
 4.その結末で、日本兵達はその後、どうなったのでしょうか?
4つも質問して、申し訳ありません。できれば即急にお願いいたします。
                              kanna2noryu
 

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A 回答 (5件)

 3.は、以下のページをご参考下さい。



[ミャンマーで大東亜戦争はどのように教えられているのか]
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 申し訳ありませんが、1だけ回答します。



 フランクリンルーズベルトの母親サラ・デラノは、中国とアヘンを含む貿易を手広く行って財を為していた事もあり、親中派でした。
蒋介石の妻である宋美齢は、フランクリン・ルーズベルト大統領やその妻エレノア(共産主義シンパで日本人に対して人種差別発言をしている)と親密な関係を構築し、アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出し、日中戦争中から第二次世界大戦の初頭にかけて日本軍と対峙した「アメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)」の設立や中華民国空軍の近代化に大きく貢献しました。
 つまり、真珠湾攻撃の前に、米国は間接的に日本と戦争をしていた事になります。
 日本はABCD(米国,英国,中国,蘭)包囲網により石油の対日全面禁輸を受けました。これを解消すべくアメリカと交渉を続けましたが、アメリカ国務長官であるコーデル・ハルは、日本が到底受け入れる事の出来ない「ハルノート」を提出し、交渉が決裂しました。
このハルノートを作成したのは、元財務次官のハリー・デクスター・ホワイトで、ソ連のスパイ(コミンテルン国際共産主義)でした。
その時のルーズベルト大統領政権には300人以上のコミンテルンがいた事がヴェノナ文書により明らかになりました。
※ヴェノナ文書:アメリカは1940年からのコミンテルンとの無線傍受した暗号を37年かけて解読し、1980年に作成しました。
 第31代大統領の共和党のフーバーは、ソ連を国家承認せず、「日本はアジアにおける防共の砦」と言っていましたが、1932年ルーズベルトに政権交代するとソ連を国家承認し、反日的姿勢になりました。
 労働組合の拡大促進、高所得者層への大幅増税など共産主義的な政策をしました。フーバーは、ルーズベルトを指して、「太平洋戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘しています。

 中国では、国民党(蒋介石)と、共産党八路軍(毛沢東)が支那全土で内乱を繰り広げていました。
1937年7月7日に盧溝橋で実弾を持たず夜間演習をしていた日本軍とすぐ近くにいた10万人の蒋介石の国民党軍に相互に発砲を受け、交戦状態になりました。双方腑に落ちない点があり、事件発生5日後には日支両軍は停戦協定を結んでいます。
 盧溝橋事件が起きた翌日(7月8日)、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けています。
1949年の中華人民共和国成立日に周恩来首相は、盧溝橋事件は、共産党軍が双方に発砲し、停戦協定を妨害したと演説で説明しています。

 一方、日本では、1937年7月4日に近衛文麿は首相に就任した3日後、盧溝橋事件が起こりました。
陸軍は不拡大の方針で7月11日に現地停戦協定を結びましたが、近衛文麿は「北支派兵声明」を出し、政財界やマスコミに挙国一致の協力を訴え、強硬に軍事介入の必要性を訴えました。
結果、事件が「北支事変」、「支那事変」から「日中戦争」になりました。
 また、国家総動員法成立、日独伊三国同盟により英米を敵に回し、ソ連とは中立条約を結み、第二次世界大戦の準備を整えました。
参謀本部第一部長だった石原莞爾は、対ソ警戒を理由に中国大陸での軍事行動に絶対反対しましたが、失脚してしまいました。
 朝日新聞尾崎秀実がソ連のスパイ容疑で逮捕の四日後、近衛は政権を投げ出しました。
 既に日米対立は決定的になっていた状態で東條英樹陸軍大将は首相を引き継ぐ事になりました。
※近衛文麿は京都帝国大学でマルクス経済学に傾倒した河上肇に学びました。近衛文麿の政策研究団体である昭和研究会のメンバーは尾崎ら共産主義者と企画院グループの「革新官僚」によって構成され、理念はマルクス主義を基にしていた。

 結果、日本が大東亜戦争を引き起こしたのではなく、日本と戦争したかった米国ルーズベルト大統領と、コミンテルンにコントロールされた近衛文麿や朝日新聞の尾崎秀実及び「日支全面衝突の危機」と虚構で扇動(現実と乖離した戦争プロパガンダ)した朝日新聞が、日本を陥れたと言えるのではないでしょうか。
 岸信介元首相は、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった」と言っています。
 事実、コミンテルン第7回大会(1935)にスターリンが砕氷船理論の発動を指示したと言われています。
※砕氷船理論:ドイツはフランスとイギリスを戦わせ、日本は蒋介石の中国と戦わせよ。米国の参戦で日独が敗北し、共産主義陣営にする。

 詳細は、以下のページを参照して下さい。
[ハルノート 太平洋戦争]


[ハルノートが作られる経緯その1]
http://www.youtube.com/watch?v=fR7PU0fMlBQ

[大東亜戦争の真実]
http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0

[大東亜戦争に込められた想い]
http://www.youtube.com/watch?v=nD7dW2udqOA

[ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景]
http://www.youtube.com/watch?v=9254tkUe8Hw

[近衛文麿の戦争責任]
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/38858821. …

[日中戦争の真実]
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm

[皇軍に感謝した毛沢東?]
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/mo …

[共産主義者の大東亜戦争責任]
http://www.youtube.com/watch?v=GqJSU4v4VHA
http://www.youtube.com/watch?v=F8-suGPP4sA
http://www.youtube.com/watch?v=uFMtTokCuXs

[真実の近現代(日本史編)]
http://www.youtube.com/watch?v=hL6eEaqsu3Q
http://www.youtube.com/watch?v=-QXFMaziJ5M
http://www.youtube.com/watch?v=McUqrY0DGXI
http://www.youtube.com/watch?v=IiMdmjQ4CSQ
http://www.youtube.com/watch?v=4kkugdYQiMU
http://www.youtube.com/watch?v=TUbDt2qiH3E
http://www.youtube.com/watch?v=vo_cad8PQa0

[日本人が知ってはならない歴史]
http://www.youtube.com/watch?v=GWP4eoseFMU

[戦後のGHQによる日本洗脳政策]
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060316

[GHQ}
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/ghq1.html

[GHQの占領政策と影響]
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/241.html

[戦後、GHQが行った日本人洗脳政策WGIP]
http://ameblo.jp/nippon-number-one/entry-1006551 …

[「戦後史の正体」について]
http://www.youtube.com/watch?v=kwgN-lxHpAA
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1. その時代、世界はフランス、イギリス、オランダ、アメリカなどの少数の欧米諸国(列強)の植民地と化し、アジアでの独立国は日本とタイだけでした。

そして、植民地の争奪戦は続いていて、完全な植民地でなかった中国を列強が狙っていたのです。
 一方、独立を維持することが明治維新以来の国家の目標だった日本は、日清戦争の勝利で得た朝鮮の独立で、ロシアに対する防波堤が出来ることを期待しました。しかし、ロシアの植民地化していく朝鮮の姿に戦慄し、朝鮮が完全な植民地になる前に、ロシアと戦う決意をし、日露戦争となります。多くの名将達の必死の戦いで勝利を得ます。その後、朝鮮から日韓併合の話が持ち上がり、その反対筆頭の伊藤博文が暗殺されることで、日韓併合が進みます。朝鮮を日本にして、5000校の小学校、多くの保健所、水力発電所などを作成し、朝鮮人の生活レベルを日本人と同じにする努力が行われます。その後、天才石原莞爾の戦略で満州国を作り上げ、朝鮮と同じ事をおこないます。
 そして、中国の利権を狙う米国と日本が対立することになったのです。さらに、ドイツがヨーロッパを占領してしまったので、米国はドイツと戦いたかったのですが、米国民が反対でした。そこで、米国は、ハルノートで、満州の利権を米国に譲るか、石油禁輸で日本の戦争能力を奪うことにしました。その結果、日本が米国に戦いを始めることを期待したのです。日本は、熟慮の上(間違った判断でしたが)、植民地になるぐらいならと全力で戦いを開始し、世界の植民地を解放することを戦争の目標としました。
従って、日本側の目的は植民地解放による石油資源の自由な交易であり、アメリカ側の目的は、ドイツからのフランス開放と日本の植民地化です。

2. 日本は、占領地域に原住民による軍隊を作り、その結果、日本の敗戦後、再植民地化のために再上陸してきた連合軍は敗退し、植民地が独立できました。でも、日本は敗北しました。そして、連合国は、過去の植民地支配を隠すために、植民地を奪われた恨みを晴らすために、原爆の非道を隠すために、戦後の言論の無い時代に、あること無いこと日本を悪者にでっちあげ、日本人を洗脳したのです。しかし、日本が作り出した植民地独立の大きな流れの中で、日本も独立することになり、日本の大東亜共栄圏の仕組みを欧米がまねをして、新たな世界が生まれした。自由貿易が可能になった日本は、軍事優先から経済優先に国策を切り替え、現在のような経済大国になったのです。日本人自らの大きな努力、犠牲の上になりたっている現在の豊かな社会です。
ですから日本は悪者ではありません。虐殺もほとんどが連合国のでっち上げです。あの戦いは、間違ったものでしたが、同時に、世界の歴史を変えた偉大な戦いでもあります。
3.ビルマも、同様に日本の影響とビルマ自身の努力で独立できました。
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こんばんは。



1と2についてですが、思想的な立場によって返答が大きく違うことが
予想されます。太平洋戦争(大東亜戦争でもいいけど)を肯定する人と
否定する人では、見方が180度くらい違うことを理解してください。

最近、似た質問でいろいろ意見を交わしたものですから、人によって
これほど見方が違うものかとあらためて驚かされました。
できれば、kannna2noryuさんがどういう意図や立場でこの質問を発して
いるかを教えてもらえると助かります。


私も資料を整理して情報をまとめてから回答したいと思います。
準備しないで意見すると、いろんな角度からツッコミを受ける可能性が
ありますので。

3と4(ビルマ、現ミャンマー)については現状それほど知識がないので、
これもきちんと勉強してから返答したいと思います。
(少し前の質問でインドネシア論で大激論をしましたが、その
 時はある程度の基礎知識があったので論争に耐えられました。)
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大東亜戦争これは現在太平洋戦争と呼ばれています。


詳しくは過去に質問者と回答者の間での詳細が有ります。

戦争中を小学生で過ごした私には少し重い話で書き始めると長くなります。
下のURLをクリックして参考にして下さい。

各年代の人が詳しくそれぞれの立場から書いています。
ビルマのことは印パール作戦のことと思いますが、

非常に悲惨な戦況と聞いています。実際にこれに参戦した人人は高齢に
なり日本人の立場からは話したくない人もあるかも知れません。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=118084
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機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退してくれたのです。だから、知らず知らずのうちに日本軍の中で「突撃すりゃなんとかなる」というノウハウが積み上がってしまったのです。

それが甘い考えだったと思い知ることになったのがノモンハン事変を始めとするソ連軍との国境紛争でした。一般的に、ノモンハンの敗戦は「現場部隊がフヌケだった」ということで総括されてしまったといわれていますが、実は日本軍とてバカじゃないのでちゃんとそれはそれで調査はしました。しかし、その結論というのが絶望的なものだったのです。
どういうことかというと、ソ連軍は日本軍より大砲の性能が優れていて、弾薬量も格段に多かったのです。しかし、これはどうしようもない問題でした。なぜかというと、製鉄技術がソ連に比べて劣る日本では、ソ連軍に対抗しうる性能の大砲はどう頑張っても作れませんでした。さらに、弾薬についても当時の日本ではそんなに湯水の如く使えるほどの大量生産をすることはできなかったのです。なにしろ当時の弾薬の生産といったら関西の町工場でちまちま作っていたのです。ご存知のように、大量生産するためには大規模工場が必要で、それによってコスト圧縮効果が発生するわけです。ソ連やアメリカのような重工業の大規模工場なんてものが当時の日本では作れなかったのです。
だから、それを認めると「もう国として日本はソ連に対抗できない」という絶望的な結論に至ってしまうので、「現場が悪い」と責任を押し付けてしまったのです。

緒戦の勝利による驕りもあり、日本軍は米軍に対しても自信満々で突撃戦術をかましましたが、諸兵連合効果の戦術を得意とする米軍によって叩きのめされてしまいます。どうも米軍相手に突撃じゃ歯が立たないと分かって、The Pacificで再評価されることになったペリュリュー島戦から持久戦術に切り替えることとなります。The Pacificでも原作として使われているユージン・スレッジ氏の回顧録を読むと、ベテランの海兵隊員がペリュリューで「日本軍がバンザイ突撃をしてこない」と戸惑っている姿が描かれています。

この持久戦術は大変に効果的で、ペリュリューのノウハウを積極的に取り入れた硫黄島戦で米軍が大変な犠牲を強いられたことはご存知のとおりです。
しかし、日本人つーのは大変にストレスに弱い民族でございまして、この「押されてもじーと我慢して粘り強く戦う」つーのはなかなか耐えられないんですね。いいや、日本人は粘り強いだろと思うかもしれませんが、日本人てのは自分たちで思っているほど粘り強くありません。てか、逆境にはとても弱いんですね。なぜかっていうと、サッカーで日本代表が相手チームに押されると見てる方がもう耐えられなくなりますよね。大概「負けてもいいからもっと積極的に攻めないとダメだ」と批判されます。これが南米のチームなんかだと相手に攻めさせて、それでいてカウンターの機会を粘り強く待っています。そういうことができない。
だから、沖縄戦では持久戦術を主張する八原参謀に対し長中将が「こんなグダグダやってないで一発突撃でパーッといけ!」と主張して司令部は内部崩壊します。

また、捕虜についてですが、日本兵は捕虜になってはいけないと教えられていたので、基本的に捕虜も取りませんでした。また、味方の兵士を救出しようとする米兵にも容赦なく銃撃を浴びせました。また死体のフリをして近づいた米兵に襲い掛かることもよくやったようです。それを米兵は分かっていたのである意味当然なのですが「相手が捕虜を取らないんだから、こっちも捕虜を取る必要はない」と負傷している日本兵も情け容赦なく殺しました。ユージン・スレッジ氏の回顧録にはそういった「むき出しの獣性と敵意」が戦場に満ちていたことが書かれています。太平洋戦線で日本兵の捕虜が極端に少ないのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が根本にはあったのですが、そういった事情も影響していたようです。

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退...続きを読む

Qベトナム戦争の黒人兵、貧困兵

ベトナム戦争中に、黒人や貧困人が多く兵隊にかり出されたのは何故ですか?また、戦争を終えた兵士の心理状態などの資料は(できればネット上で)ありませんか?どなたか至急お願いいたします!!!!急いでます

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まず、No.3さんも書かれているのですが、当時は徴兵制でした。ですから、白人黒人問わずアメリカ国民はみな兵隊にとられました。
しかし誰だって死にたくありません。白人、特に裕福な白人の息子はイギリスや西ドイツの駐屯部隊に派遣されたりして最前線に送られないようにされました。
一方、黒人や貧困層(といっても黒人が多いのですが)は危険な最前線に送られる可能性は決して低くはなかったようです。また、現在でもアメリカでは兵役につくと移民に市民権が与えられますが、市民権を得ようと兵役についた移民の多くも最前線に送られました。まあ、アメリカ人の立場からすれば「よそから来て俺たちと同じ権利をもらいたいなら嫌がる仕事くらい、やれ」というところでしょう。当時アメリカの占領下にあった沖縄の青年の多くがアメリカへの移民を望み、そのために兵役につきました。もちろん戦死者も出ています。

この時代、兵役にまつわる話で有名なのがエルビス・プレスリーとモハメド・アリ(カシアス・クレイ)です。超人気歌手で白人だったプレスリーは兵役につきましたが国内勤務でした。もし彼が危険な任務についたら多くのアメリカ娘がぶったおれてしまいます。
一方、黒人でしかも黒人差別撤廃を求める政治的発言をしていたアリは保守的な白人から憎まれていたので(いやがらせで)ベトナムの最前線に送られる可能性はとても高かったのです。ですから、アリは兵役につくことを拒否してベルトを剥奪されてしまいました。

現在の米軍は志願制ですが、兵役につく代わりに奨学金がもらえる制度があります。現在、この奨学金の利用者が多くイラクやアフガニスタンに派遣されています。奨学金を求める人はやはり貧困層が多いのです。また、イラクの危険な任務の多くが「民間人材会社の傭兵」によって行われています(民間会社の死亡者は戦死者にはカウントされないため)。この傭兵の多くがブルーカラーの貧困層です。他に仕事がないので仕方なく短期間で高額の給与がもらえる傭兵をするのです。しかし、恐ろしいことにこの傭兵は人材会社との契約で負傷や戦死しても一切お金は出ないのです。「イラクで大怪我を負ったが治療費で給与以上かかってしまった」という人が実際にいます。これがイラク戦争の現実なのです。
(註・現在はこの危険な任務はアメリカから外国の人材派遣会社にシフトしつつあるそうです。南アフリカの派遣会社に頼むと「イラク人の車に爆弾が仕掛けられていないか」というめまいがするほど危険な任務をなんと一日一万円程度でやってくれるそうです。深刻な失業率にある南アフリカではこの安月給でも応募者が殺到しているそうです)

まず、No.3さんも書かれているのですが、当時は徴兵制でした。ですから、白人黒人問わずアメリカ国民はみな兵隊にとられました。
しかし誰だって死にたくありません。白人、特に裕福な白人の息子はイギリスや西ドイツの駐屯部隊に派遣されたりして最前線に送られないようにされました。
一方、黒人や貧困層(といっても黒人が多いのですが)は危険な最前線に送られる可能性は決して低くはなかったようです。また、現在でもアメリカでは兵役につくと移民に市民権が与えられますが、市民権を得ようと兵役についた...続きを読む


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