出産前後の痔にはご注意!

3、40年前は、私立大学は今ほど人気がなく、早慶でも、そこまで難易度は高くはなかったという話を聞いたのですが、これは事実でしょうか?

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A 回答 (8件)

本当です。

30年前か、40年前かというので、話は違ってくると思います。

当時は、頭がよくて、なおかつ裕福な人だけ大学に進学する傾向がありましたから、競争率自体は、低かったと思われます。

県立のトップ高校でも、進学せずに就職したり、結婚する人が結構いましたから。

また、早慶だけでなく、願書さえ出せば合格する大学もあったそうです。(青山学院大学とか日本大学など)。

今から45年位前の話です。


親がそうそうたる大学を出ていても、子供はそれに及ばずというケースも多々ありますよね。
そういうのも、時代背景とか関連があるのかもしれないです。

でも当時は、国立大学の人気が高く、旧帝大なんか今よりはるかに難しかったものと思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そういう状況だったんですか。大変参考になりました。

お礼日時:2005/02/16 19:21

30年前と40年前では、ずいぶん違います。


私が受験したのが27年前ですから30年前に近いでしょう。
当時でも早稲田に落ちて東大に受かったというのは結構いました。
さらに10年前というと団塊の世代、学生運動真っ只中です。この頃は、田舎から早稲田に行くといえばお坊ちゃま(お嬢ちゃま)、要するにお金持ちで無いとまず無理です。高卒で就職する人も多かったですし、東大受かるけど地元国立(旧帝でもない)と言う考えの人が結構いたのです。

このコーナーでも、地方国立と中央の私大、あるいは、難易度の低い所に現役で行くや否やの議論が良くされますが、40年前の地方出身者には唖然と言う無いようです。私なんかでも地方国立ででもその後の努力で問う大卒に負けんと言う意気で今を生きています。

そういえば理IIIに現役で言った友人が関東地方の病院で勤務医をしていますが、地元の国立医大を出た同級生が東大先端研で抗がん剤の研究をしています。こんな例もゴロゴロです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました!

お礼日時:2005/02/17 08:13

漠然として答えにくいですね。


「超難関」のピークは20年くらい前ですね。
「第二次ベビーブーマー」(昭和46年生まれを軸とする世代)
30年くらい前は、共通一次を嫌い、私大一本が増える時期(共通一次は昭和54年からだったかな)
40年くらい前は第一次ベビーブーマー世代(昭和22年生まれを軸とする世代)。
「そこまで」をどう捉えるかによるけれど、大学進学率がいまほど高くなかったため、「少し緩い」程度かな。
むしろ早慶の次くらいのところの難易度がかわったね。
明治や法政なんて、想像もつかないほど難化したよ。法政なんて「飯田橋体育学校」なんて揶揄されていた。田舎の身体能力の高いヤツがかき集められていると・・・。だから東京人には相手にされないってね。
いまや「日大です」って胸張るヤツがいるからね。昔は恥ずかしくて日大なんて言えなかった。
・・・これは50年前か(^^)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
昔は経済的余裕がないと進学できなかったんですね。

お礼日時:2005/02/17 08:11

 1980年代の中ごろまで、早稲田は


ミニ東大と呼ばれていて、東大に落ちた
人が行く大学だと言われていたんです。

 それが1980年代の後半、
バブル景気のころ、民間の
大手企業のほうがお役人より
はるかに給料がよくなっていたため、
それら大手企業にOBが多く、就職に
有利だということで、他の私大と
ともに早稲田、慶應の人気が
急上昇して、東大に受かっても
早稲田には受からないと言われ
始めたんです。

 お役所の採用のほうでも
国立大学の中でも東大の
人が大蔵省や通産省に
採用される人数が多いのは
試験方法に問題があると言われ始め、
大学名を公開しない採用試験
方法に変えたところ、東大生が
減り始めたんです。

 弁護士や裁判官になるための
国家試験である司法試験の
試験作成や面接試験の担当も、
かつては東大の先生一色だったのを、
いろいろな分野から広く人材を
あつめ始めてから、私大の合格率が
上がり、今では東大より早稲田の
合格者数のほうが上です。

 難易度も上がるはずです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2005/02/17 08:10

私の母は、早大は「ペンペン草の生えてる大学」と言って、馬鹿にしていたそうです。


今よりもずっと簡単に入れたということでした。
母の若かった頃ですから、もう50年近く前の話ですが。
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この回答へのお礼

そうなんですか。
やはり、大昔はそういう状況だったんですね。

お礼日時:2005/02/16 22:36

>3、40年前は、私立大学は今ほど人気がなく、早慶でも、そこまで難易度は高くはなかった


30年前と40年前では事情がだいぶ異なると思います。又、大学によって差があると思います。
関東の話ですが、
早稲田、慶應は昔から人気もあり偏差値も高かったです。

昔は人気がなくその後人気が出て難関となった大学にA学院とJ大学があると思います。両校は30年前なら多分有名大学ですが、40年前だと人気が今ほどではない大学だったはずです。
作家の井上ひさしがJ大学出身のですが、あまり勉強ができないので入ったとの記憶があります。
J大は人気がなかったので、大学が在学中の教育と就職に力をいれ、学生を良い企業に送り込む努力を続けてきた結果が評価されて人気大学になったとの記憶があります。

大学進学率は、
40年前1965年 12.8%
30年前1975年 26.7%
で大学進学率が増加していた時期です。従って大学の人気に大幅な変動があっても不思議ではないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人気は時代とともにかわるんですね。

お礼日時:2005/02/16 21:10

嘘です。

35年前の受験生ですが、当時より早慶上智・関学・同志社は人気があり偏差値も高レベルでした。
 福岡の受験生は中央志向が高く、同期生も数多く上京しました。一方で地元帝大の人気も高く、経済的に苦しい家庭は地元の国立大を目指し、裕福な家庭の子弟は科目の少ない有名私大を受験していたような気がします。
 ローカル私大はいよいよ行くところがない状況になって選択していましたね。関東の2・3流私大は比較的楽に入れました。最近の偏差値を見ると驚きますが・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはりトップレベルの私大の難易度は高かったんですね。

お礼日時:2005/02/16 19:28

 こんにちは。



 嘘です。少なくとも30年前は既に難関でしたよ。私が受験した頃ですから間違い無いです。
 私は関西地方なんで,関西の私立を受けましたが,いわゆる関関同立なんて,倍率20倍,30倍なんてざらにありました。
 また,その当時,国公立大学の受験は,1期校と2期校と言う制度があり,2回受けられたんですが(1期校は国立大学,2期校は公立大学が多かったです),偏差値では2期校より関関同立の方が高かったですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
少なくとも30年前は今とさほど、変わらなかったんですね。

お礼日時:2005/02/16 19:20

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Q1980年ごろに大学受験をされた方いますか?

これはネット上で見つけた1980年の偏差値表なんですが、慶應の偏差値の低さにびっくりです。
早慶というより、完全にマーチ関関同立の一角という印象を受けます。
当時の慶應はどのような扱いだったのでしょうか?


http://www.geocities.jp/gakurekidata/hensa1980.html

<1980年駿台予備学校偏差値 1980年代々木ゼミナール>
63.2 早稲田政経(政治)  68.8 早稲田政経(政治)
60.1 早稲田法       64.6 早稲田政経(経済)
59.8 早稲田政経(経済)  64.4 早稲田法
58.3 中央法(法律)    63.4 中央法(法律)
57.8 上智法
55.9 同志社法       63.4 上智法
55.7 中央法(政治)
55.6 早稲田商
55.5 学習院法       62.8 中央法(政治)
              62.8 同志社法
55.5 慶應経済       62.3 上智経済(経営)
54.6 慶応法(法律)    62.1 学習院法(法律)
               62.0 慶應経済
               61.4 明治法
54.1 明治法        60.5 関学法
54.1 立教法
53.7 青学法        60.5 慶應法(法律)
53.6 関学法        60.5 慶應商
52.7 慶應商        60.4 立教法
51.5 明治政経       60.1 青学法
              60.0 学習院法(政治)
51.0 法政法        59.4 慶応法(政治)
50.5 慶応法(政治)    57.0 法政法
50.4 南山法
50.0 成蹊経済

これはネット上で見つけた1980年の偏差値表なんですが、慶應の偏差値の低さにびっくりです。
早慶というより、完全にマーチ関関同立の一角という印象を受けます。
当時の慶應はどのような扱いだったのでしょうか?


http://www.geocities.jp/gakurekidata/hensa1980.html

<1980年駿台予備学校偏差値 1980年代々木ゼミナール>
63.2 早稲田政経(政治)  68.8 早稲田政経(政治)
60.1 早稲田法       64.6 早稲田政経(経済)
59.8 早稲田政経(経済)  64.4 早稲田法
58.3 中央...続きを読む

Aベストアンサー

1970年代に大学生やってたので、質問者さんの要請とはすこしずれるのですが、当時と今と若干感じは異なりますが、早慶はやはり私大の両雄という感じでしたよ。
あの頃と今の違いは
早稲田政経が私大トップ、東大文系の滑り止めはここが定石。
一般に 早稲田>慶応 だったが、これは早稲田が受験生も多くて人気!の面もある。慶応が偏差値的に低く感じられるのは、数学必修の学部が多くて、いわゆる私文洗顔者が敬遠していたのが大きいと思われます。反面、旧帝大の併願先、或いは国立理系の併願先にもなっていた。
経済は定評があるので、地方の旧帝や神戸、横国クラスだとどっちにしようか迷う感じでした。今は慶応選ぶ人が圧倒的でしょうからそういう意味では随分評価は上がったと思います。これは早慶ともに。
それと当時は偏差値がちょっと上下よりスクールカラー重視だったような気がします。いわゆる早稲田>明治>中央>法政のバンカラ系、慶応>上智>立教>青学>明学 のオシャレ系、ではっきり分かれていたと言うか。立教と明治を受けるなんて感じはなかったです。そういう意味でも早慶はそれぞれのラインのトップで、マーチとはやっぱり「名前では別格」でした。
実際は、早慶の下位学部よりマーチの上位学部を優先する人は結構いましたよ。そういう意味ではマーチの一角、云々は言えるかもしれません。今ほど大学名=ブランド 意識は強くなかったと言うことでしょう。

1970年代に大学生やってたので、質問者さんの要請とはすこしずれるのですが、当時と今と若干感じは異なりますが、早慶はやはり私大の両雄という感じでしたよ。
あの頃と今の違いは
早稲田政経が私大トップ、東大文系の滑り止めはここが定石。
一般に 早稲田>慶応 だったが、これは早稲田が受験生も多くて人気!の面もある。慶応が偏差値的に低く感じられるのは、数学必修の学部が多くて、いわゆる私文洗顔者が敬遠していたのが大きいと思われます。反面、旧帝大の併願先、或いは国立理系の併願先にもなって...続きを読む

Qひとむかし前の大学受験は?

1960~1980頃の大学受験がどんな感じだったのか知りたいのですが
当時のことを書いてあるサイトや書籍をおしえてください。

Aベストアンサー

60年代末期~70年代初頭にかけては大学紛争がピーク。
東大医学部の学生がインターン制度に抗議。これに端を発し、またたく間に全国の大学に広がりましたね。東大に限らず以前より他大学医学部でも登録制度に対する問題はあったようで、また、多くの国公立・私立でも学費値上げ等に対する反対や抗議はあったようで、ここにきて一気に紛争に発展。
確か東大はその年の入試を中止したと思います。それほどに国を揺るがす出来事だったのです。

あと、国立大は一期校と二期校があり前者が一流(メジャー)、後者が二流(マイナー)というイメージがあり受験生や家族もそういった色眼がねで捉えていて、特にへんぴな地方国立大に行くより華やかな都市部の私立大へ行く傾向は当時からあったようです。

入試偏差値は当時も今も大きく変わりはないかと。今も昔もいい大学は入試の難易度が高いのも変りません。
東大・京大、をはじめ旧帝大、一橋、東工大、東京医科歯科、全国の国公立医学部・歯学部、をトップとし(偏差値:60以上)、私立では関東の早・慶、立教、明治、中央。関西では同志社、関学、といった特に伝統的名門校が上位で、理系単科大では東京医科、日本医科、順天堂医学部、東京理科、芝浦工大、東京歯科。女子大は津田塾、東京女子、日本女子、など。(偏差値:概ね、文系60以上、理系55以上)

60年代末期~70年代初頭にかけては大学紛争がピーク。
東大医学部の学生がインターン制度に抗議。これに端を発し、またたく間に全国の大学に広がりましたね。東大に限らず以前より他大学医学部でも登録制度に対する問題はあったようで、また、多くの国公立・私立でも学費値上げ等に対する反対や抗議はあったようで、ここにきて一気に紛争に発展。
確か東大はその年の入試を中止したと思います。それほどに国を揺るがす出来事だったのです。

あと、国立大は一期校と二期校があり前者が一流(メジャー)、後者...続きを読む

Q昔と今の大学受験の難易度

この質問までの経緯を説明しますと

<高校で>
担任「今は少子化で、選ばなきゃ誰でも大学に入れるからねー。お前らは幸せっちゃ幸せだよねー。俺らのときは、ベビーブームって言って、倍率とか大変な数字だったから、きつかったんだけどね・・・今より受験は難しかったよ。」

<予備校で>
英語講師「長文も昔と比べるとすごいレベルが上がったんだよね。昔の早慶の英語も今みたら、楽に感じるよ。そんだけ求められてるものが増えたんだろうね。」

数学講師「医学部の数学なんかも、昔はもう少し易しかった。理工系のが、全然難しかった。全体的に難化してる。」


どっちもなにか違和感あるんですけど、実際はどうなんでしょうか。
科目ごとの評価でも構いませんので、お聞かせください。

Aベストアンサー

僕もNO2さんに賛成ですね。
単純に大学がどんどん定員を増加し続けてるので入学が簡単になるのは当たり前です。

と言うか大学側のスタンスが「優秀層を採る」から「育てる」方にシフトしてる部分が大きいです。
大学の入試科はそれで採ってるのに、その考え方が大学全体に一体化無く、昔のスタンスで講義を進めようとする教授が多いのが問題ではないかと思います。組織の問題ですね。
要するに育てる能力が低い=無能だと言う事ですけれど。
例えば外国人学生はどんどん増えてますが、日本語で授業をしてスコアが悪いのをその学生の責任にするようなものです。英語なら理解できたかもしれないし、適切な語学サポートがあれば優秀だったのかもしれない。数学受験で入ってないのに、それも分かっておらず「数学の能力が低い」と言ってプンプン怒ってる。そういう先生は少なくないですね。

事実、東大入学レベルは上位0.8%ぐらいなんですけど、ハーバードは上位5%程度で入れます。
でも後者の方が圧倒的にレベルは高いですよね。
日本は多様な人材を採ってそこから育てて行こうって言う欧米型にシフトしてる印象を受けます。
プロ野球のスカウトと同じですね。
4番バッターばっかり採っても勝てないんですよ。
それで使えなかったら可哀相だけどこぼれていくだけだし。
いまの大学入試ってそういう感じですよ。


個人的に、試験自体は「受験地獄」と言われた80年代の第二次ベビーブームから90年代前半が最難関だったと思います。特に都市圏の私立は難関で日当駒船なんかでも浪人生があふれてました。
医学部も難関だったのですが、一気に難関化したのはバブル崩壊以後の1990年代中盤からですね。
今の医学部は医療費抑制が話題になる中で医師ブームも落ち着いたし、医学部定員はその時期の200%になろうとしてますから最難関の時期に比較すれば簡単にはなってます。まだまだムズかしいですけど90年代後半の医学部ってギャグみたいにムズかったですから。
薬学部などは90年代に乱立した為に易化がとても進んでますけどね。
バブル崩壊後はあらゆる業界が不況でリストラも進まなかった為に大手企業が0採用などを行いました。結果悲惨なものになりましたし、特に割を食ったのは事務や営業の担い手の文系職でした。
よって国立理系、公務員、医師などが手堅いと言うことで一気に難化しましたね。
親に聞いたら当時の公務員なんか「滑り止め」「コネばっかり」だったそうですから、今の時代とだいぶ違いますよ。


そういう「流れ」みたいなものはあると思いますよ。
日本ではマイナーですけどIIT(インド)や北京大(中国)は1000人に1人の秀才しか受からないと聞きます。じゃあ東大と比べてどっちが上か?って言うとランキング上は圧倒的に東大なんです。
人口が違うんですから国によって難易度が違うのは当たり前のことです。


今の大学の試験自体は易化してると思います。
一方で過去の人の映像インタビューを見てみるととてもレベルが低いですし、プレゼン能力は無いなと思います。
バブルだけでなく6,70年代も面接はほとんど「がんばります」で受かった時代だったと思われます。
英会話能力やネット関連の能力も相当低かったでしょう。求められてないし、機材も無かったですから。
1970年の大阪万博のガイドの英語を聞いてると相当酷いですからね。
でも当時は日本で最高峰の才媛で英語の得意な女子大生ばっかりだったと聞きます。
あれぐらい喋れる奴はいまの大学生では腐るほどいますからね。
要するに試験自体は易化してるけど、若い世代が特別あほなわけではないだろうと言うのが僕の意見です。
もし試験内容がプレゼンと英会話、ワードエクセルなどのIT系であれば、現代の若者の圧勝ですよ。

こういうのは気にしないでいいと思います。
また時代そのものより個人の努力や優秀性が大事だと思いますよ。
日本が文明開化する前後で英語やオランダ語を取得したのは漢文(中国語)素読を幼少期に行っていた武士の若者たちでした。
「生まれた時代が悪かった」なんて言わずに一生懸命に英語を勉強してたようですし、以後の世代の庶民なんかよりずっと立派な英語を使いました。
だから優秀な奴も無能な奴もどの世代も一定存在するんだと思います。

僕もNO2さんに賛成ですね。
単純に大学がどんどん定員を増加し続けてるので入学が簡単になるのは当たり前です。

と言うか大学側のスタンスが「優秀層を採る」から「育てる」方にシフトしてる部分が大きいです。
大学の入試科はそれで採ってるのに、その考え方が大学全体に一体化無く、昔のスタンスで講義を進めようとする教授が多いのが問題ではないかと思います。組織の問題ですね。
要するに育てる能力が低い=無能だと言う事ですけれど。
例えば外国人学生はどんどん増えてますが、日本語で授業をしてスコアが...続きを読む

Q30年前の大学の入試難易度

現在大学院生のものです。
ちょっと気になったので質問させていただきます。
私たちの教授の世代はおよそ30~40歳上と言う事になりますが、
実際、30~40年前の大学の入試難易度はどれくらい
だったのでしょう。

例えば国立大学でも、やはり京都大学と滋賀大学を
比べてみても京都大学は難しかったのでしょうか。

また、入試はどういう形式だったのでしょう。
理系だと理科英語数学はしっかりあったのでしょうか。
センター試験はなかったんですよね。

回答宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

1978年(一期校・二期校の最後)と1979年(共通一次第一回)の受験生が答えます。

1:基本的な難易度は変わらない
今も難しい大学は、その頃も難しかった

2:医学部が若干アップ
地方国立大学の医学部は、東大の理一よりちょっと難易度で易しかった。現在は地方国立大学の医学部のほうがちょっと難易度で難しいようですね。

3:二期校の雄が受難?
滋賀大学は、私が東日本の人間にはよくわかりませんが、東京近辺ですと、二期校で難関大学だったところが、かなり難易度を下げています。
かつて、東京医科歯科大学の医学部は 慶応医学部 東大理三と同程度の難易度でした。問題との相性とか体調で、慶応医学部合格 東京医科歯科大学 不合格なんてのはざらでした。理三を落ちて医科歯科大学合格で、「東大の時は、風邪でもひいていたのかな」と噂される程度です。
また横浜国立大学の経済なども、東大の文系を落ちたので、横国にいますというような学生が多かったです。その意味で偏差値は高かった。

こんなところでしょうか。

私のころ偏差値がグングン上がったのが上智ですね。
予備校でも、30年前の前後で、私立文系の難関コースが「早慶コース」とか言っていたのですが、「早慶上智コース」とかに名前が変わりました。

1978年(一期校・二期校の最後)と1979年(共通一次第一回)の受験生が答えます。

1:基本的な難易度は変わらない
今も難しい大学は、その頃も難しかった

2:医学部が若干アップ
地方国立大学の医学部は、東大の理一よりちょっと難易度で易しかった。現在は地方国立大学の医学部のほうがちょっと難易度で難しいようですね。

3:二期校の雄が受難?
滋賀大学は、私が東日本の人間にはよくわかりませんが、東京近辺ですと、二期校で難関大学だったところが、かなり難易度を下げています。
かつて、...続きを読む

Q20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

1990年代前半に中堅どころの大学に入学したものです。
最近母校の偏差値を見ていたところ、私が入学した当時よりも下がっていてショックを受けました。
当時同じランクの大学の中でも上下の入れ替わりがあり、母校は人気がなくなっているようです。
母校以外にも昔からのお嬢様学校として有名だった比較的難関だった女子大なども偏差値が下落して三流大学の仲間入りになっていました。
逆にこの20年で以前は評判が良くなく低迷していたのに今は人気が出て盛り返した学校もあるようです。

第二次ベビーブーマーだったので、当時は競争率も高くそれなりの偏差値だったはずなのに、子供が成長して受験を考えるとき(10年後)に、胸を張って出身大学のことを言えるのだろうか?と少々気がかりです。
少子化の今、難関大学以外の大学は入りやすく、偏差値も下がっているのでしょうか?

ベビーブーマーの私の子供の世代(10年後受験)になると、また子供の数が多くなり、偏差値などもまた盛り返してくるものでしょうか?
どの大学も学部を増やしたり、いろいろ対策を練っているようですが、偏差値の上下変化にはどのような要因があるのでしょうか?

20年前と比べて全体的に大学の偏差値が下がっているのでしょうか?

1990年代前半に中堅どころの大学に入学したものです。
最近母校の偏差値を見ていたところ、私が入学した当時よりも下がっていてショックを受けました。
当時同じランクの大学の中でも上下の入れ替わりがあり、母校は人気がなくなっているようです。
母校以外にも昔からのお嬢様学校として有名だった比較的難関だった女子大なども偏差値が下落して三流大学の仲間入りになっていました。
逆にこの20年で以前は評判が良くなく低迷していた...続きを読む

Aベストアンサー

偏差値って、単純にその年の受験者の中でのその成績を取った人の位置(上位何%など)鋸とを表した数字です。大学の偏差値は、その大学に合格した人が、センター試験や予備校の模試で採った偏差値の平均ということです。数学的には間違った使い方ですが、ご質問者さんの意図に沿って偏差値という言葉を使いますね。
なので、子どもの数が減っているのに大学の数が増え、合格者数が増えているので、相対的に下がったんです。単純にその大学を志望する人が減って、人気が無くなったから、全体の順位が低い人でも合格できるようになって、偏差値が下がったんです。
少子化というか、大学受験をする人の数は増えない限り、全体としては回復できません。今は、浪人するのは頭のいい人ばかりです。上を目指して失敗するんですね。昔のように、最初から下を狙って失敗する人の数はグッと減りました。
今は、受験者の減少は一段落していますが、このあと、さらに少なくなります。また、日本の大学進学率は近隣諸国の半分程度です。で、進学できない理由は、学力と経済的な事情が半々です。
で、少子化対策に成功する、高校生の親御さんが子どもを大学に行かせられるほど豊かになる、大学の学費を国が面倒みる などでも起きない限り、偏差値が上がる大学は一握りのはずです。

偏差値って、単純にその年の受験者の中でのその成績を取った人の位置(上位何%など)鋸とを表した数字です。大学の偏差値は、その大学に合格した人が、センター試験や予備校の模試で採った偏差値の平均ということです。数学的には間違った使い方ですが、ご質問者さんの意図に沿って偏差値という言葉を使いますね。
なので、子どもの数が減っているのに大学の数が増え、合格者数が増えているので、相対的に下がったんです。単純にその大学を志望する人が減って、人気が無くなったから、全体の順位が低い人でも合格...続きを読む

Q昔の短大の偏差値は高かったの?

ごく普通の大学を卒業し一流企業とやらに運よく勤めさせていただいている者です。

勤務先には35歳前後~それ以上の女性社員の方々が大勢おられ皆さん優秀なのですが学歴が案外高くない(短大卒の方がちらほらいる)ことに理不尽さを禁じえませんでした。

彼女らが言うには「わたしらが出たころの都内短大は偏差値55~60が普通だったし四大受かっても蹴って短大にいく女の子が多かった」と。

偏差値56~ってきちんとした大学並みですよね?
そんなわけないと思うのですが・・。

なぜ彼女らはこんな見栄をはるのでしょうか。
偏差値が本当にそれくらいあれば大学いくでしょ・・。

Aベストアンサー

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>おっしゃるとおり、今は偏差値40でも35でも入れる四大がごろごろあります。
>>>昔はよかったとはいえ、今は短大卒の肩書が足かせとなっていませんか?
>>>(どんなに優秀でも短大卒として扱われるという点で)
>>>若手には私のように昔を知らないで勘違いしている人も多いので。

前回も書きましたけど、18歳の時点で、ライフスタイルとして短大卒として扱われる道を選んだのです。

有名短大の秘書科を出て一流企業で一般職として勤めるのが、女学生達の憧れだったのです。
そして、男子社員をつかまえて結婚し、結婚退職するか、あるいは、1~2人目ぐらいの子供が生まればほとんどの女子社員は退職するとか、そういう図式でした。

現在は、女性が四大を出て男と同等に社会進出するのが当たり前ですよね。
家の留守を守り、学校から帰ってくる子供に「おかえりなさい」と言って迎える母親が減少しました。
保育園の先生が、自分の子供をほかの保育園に預けるというケースさえあります。(私の家の近所)
そしてまた、当然ながら、仕事を求める人の総人数が多くなります。
すると、どうなるでしょうか?
求人数が変わらずに、仕事をしたい人が増える。
それはつまり、失業率が高くなることを意味します。

短大が隆盛を誇っていた時代というのは、「良妻賢母」がいた時代だったのです。

そして、私大の乱立により、わが子を大学に押し込めたいという馬鹿親が増えました。
塾や家庭教師などの教育産業も大流行り。
その結果、どうなったか?
子供1人にかかるお金が異常といっていいほど増えました。
すると、夫婦の心理としては、産む子供の数を少なくし、かつ、ある程度貯蓄をしてからそれを学資とするため、年を取ってから子供を産むということになります。
つまり、少子化が進みます。

また、企業を退職していったん専業主婦になった人が学資のために働くとなると、パート社員として薄給でこき使われます。
これによって、さらに失業率が高まります。

以上のことからわかるとおり、私大の乱立は今の世の中を悪くしている元凶なのです。

これにて演説終わり。
失礼しました。

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>お...続きを読む

Q1950年代から1990年中期までの早稲田大学と慶應義塾大学の印象は?

1950年代から1990年中期までの早稲田大学と慶應義塾大学の印象は?

終戦後の1950年から1999年までの早稲田大学と慶應義塾大学について,
皆様はそれぞれどういう印象がありますか?

早稲田でしたら「個性の集まり」「吉永小百合の母校」
「今ほどの高レベルではなかった」「野球とラグビーと駅伝」など,
慶応義塾でしたら「坊っちゃん学校」「経済学部が著名」など
いろいろ各校で印象があるでしょうが, 聞かせてください!

後慶應義塾大学についてはIII部(通信教育)の法学部政治学科で
どのような教育が現在なされているかも分かる人がいたら教えてください!

Aベストアンサー

現在は文学部が就職に不利というイメージから低い評価を受けていますが、当時は早大文、慶大文は評価が高く数々の著名人を輩出していました。慶應商学部、早稲田法、商も当然にして人気がありました。どうしても慶應にという人は妥協して法学部に入りました。どうしても早稲田という人は、教育、第二部(夜間)の文・法・商・政経(その後の社学)という選択ですね。森喜朗もサッカーの川淵氏も二部出身者です。
当時の慶應法は中央法や早稲田法に比較すると無名に近い存在でしたが、入試に数学が必須だったので、中央や早稲田の法学部生に比べてより国立大学に近い文系科目、理系科目にバランスのとれた学力を持っていたのでしょう。
中央は法学部のほかに商学部、特に会計学科は名門です。当時もかなりの難関でした。公認会計士に3年生4年生が合格するのが珍しくない大学なんてそうそうありませんから。

Q早稲田は昔はバカだった?

早稲田大学卒業の年配(おおむね60代以上)の方は、よく大学の話になると
「いやあ、私なんか早稲田ですから。
 田舎者でも入れるような二流大学でしたから・・・」
と謙遜します。
早稲田卒業なら立派に自慢できる経歴だと思うのですが、どうして早稲田卒を謙遜・卑下するのでしょうか?

1 本当に、昔はバカしか入れない大学だったから。
2 本当は東大京大に行きたかった。同級生もみんな東大京大なので、早稲田は恥ずかしい、とおもっているから。
3 年配の人は謙譲の美徳を常としているので、単に謙遜しているだけ。
4 早稲田は早稲田でも実は夜間部卒だった。
5 本当は早稲田大学ではなく、バカ田大学の卒業生。
6 そのほか。

もし、昔はホントにバカだったとしたら、いつごろから偏差値の高い学生が集まるようになったのでしょうか?

早稲田関係者の方、ご回答お願いします。

Aベストアンサー

昭和41年に早稲田大学に入学しました。
昭和41年は、早稲田の学費値上げのストライキで授業が開始できず、入学式が5月にずれ込みました。

当時はまだ日本は貧しかったので
普通レベルの国立大学>早稲田大学
でありました。
埼玉大学に合格した同級生は
埼玉大学>早稲田大学
と言っておりました。

確かに二つのことは言えました。
1.国立大学に入学すると親に経済的負担をかけない。つまり孝行息子であると。
2.早稲田しか受けない学生は三科目を必死にやれば入れる。しかし、国立は科目が多いから必死に三科目やっても入れない。つまり国立大学の学生は付け焼刃ではなく本物の優等生だ。

私も素直に上記を認め
普通レベルの国立大学>早稲田大学
だと思っておりました。

ところが日本が高度成長で豊かになってから評価が変わりました。
「私立でもいいよ」と言ってくれる親が増えました。

考えてみれば、お金があるなら埼玉大学に入るより、早稲田のほうが楽しそうです。四年間の学生生活をエンジョイできそうだし、卒業生も多い。で、今では
早稲田>普通レベルの国立大学
となっているようです。

昭和41年に早稲田大学に入学しました。
昭和41年は、早稲田の学費値上げのストライキで授業が開始できず、入学式が5月にずれ込みました。

当時はまだ日本は貧しかったので
普通レベルの国立大学>早稲田大学
でありました。
埼玉大学に合格した同級生は
埼玉大学>早稲田大学
と言っておりました。

確かに二つのことは言えました。
1.国立大学に入学すると親に経済的負担をかけない。つまり孝行息子であると。
2.早稲田しか受けない学生は三科目を必死にやれば入れる。しかし、国立は科目が多いから必死に三...続きを読む

Q関関同立の今と昔の偏差値

関関同立、関西圏の4つの私立大学ですが、今と昔では、レベル的にはどうなんでしょう?
関学は昔は高かったけど、今は関大にも抜かれそうとか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

けっこう変わってきてはいますが、そこまで言うほどではないと思います。

長く関関同立は、同志社>関西学院>>立命館>関西、と言われていました。しかし近年、立命館が大改革で急上昇してきました。それに対してちょっと焦ってるのが関大、同志社と関学も少子化の影響からかちょっと動揺して色々改革している、という感じだと思います。
-----------------------------------------------------------
京大・阪大・神大

同志社………まぁまぁの余裕感(立命館がちょっと気になる)

立命館………↑上昇志向↑(打倒同大)
関西学院……*少し下降気味*

関西…………引き離されたステータスを改革中

産 近 甲 龍
摂 神 追 桃
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「同志社大学」
関西私学の最高峰。他の関関立は時代ごとに順位の入れ替わりも見せているが、安定してずっとトップを維持している。知名度も最も高く全国区。
ただ昔の京大・阪大などと共に関西顔パス大学(大学名だけでたいていの企業に就職できること)の代表格だった時代に比べると、随分ひ弱になった。かつては別格感も薄れ、磐石のトップとは言えなくなってきた。
実際のところは京大などの関西上位国公立志望の併願者がダントツに多く、受験生内でも上位層になるほど人気が高いので、当分はトップだろうと思われる。
関西私大の雄という余裕か、立命館始め他の関西私大に比べて大学改革も控えめ。

「関西学院大学」
同志社に次いで2番手だったが、近年調子を落としている。一昔前は同志社に迫る勢いだったが、近年は躍進した立命館に肉薄され、偏差値上は抜かれてしまった。
とはいっても阪神地域を中心にまだまだ評価は高く、企業とのパイプも太い、関西一のブランド大学。世間・社会評価や学閥などは立命館よりも断然上。
ただ地元密着型から規模を拡大したことや少子化の影響からか、偏差値が低下、受験生も減少傾向にあるのが不安要素。

「立命館」
関関同立で最もレベルの上下が激しい大学。一頃は左翼で貧乏臭い地味なイメージで、就職は産近甲龍と呼ばれたほどで、関関同立最下位だった時代もある。近年は同志社・関学からやや離れて3番手が定位置だったが、最近の大学改革でイメチェンし、急上昇。偏差値では関大を引き離し、関学に迫る勢い。
しかし、「偏差値操作」「受験ビジネス」と批判されることも多々で、その躍進に懐疑的な人も多い。実際立命館ほど露骨に汚いことをしているところも少ないらしい。就職・資格などの実績はそこそこだが、学生人数が多いなどの要因もあって、数字ほど華々しい実績ではない。多分「上辺だけ」含有率が高い感じは確かにある。
それでも今関西の大学で一番勢いがあるのは間違いない。ちょっと勢いが衰えてきたが、これから次第。

「関西大学」
現状は関関同立最下位。昔から「庶民派」を謳っている大学で、あまり上昇志向はない大学だった。ところが僅差で同じような位置にいた立命館が急上昇、「関関同立のお荷物」などと言われるまでになり少し焦っている。
そのためかなり急進的に改革に乗り出し、あれこれしている。その成果もあって近年は受験者数が全国有数の数になった。
関西圏での知名度と存在感は同志社と並びかなり高く、地元の大阪ではかなり親しみを持たれている大学で、学生の愛校心は関西一と言われる。なのでなんだかんだ言っても産近甲龍レベルに抜かれるということはないと思われる。

以上、参考になれば幸いです。

けっこう変わってきてはいますが、そこまで言うほどではないと思います。

長く関関同立は、同志社>関西学院>>立命館>関西、と言われていました。しかし近年、立命館が大改革で急上昇してきました。それに対してちょっと焦ってるのが関大、同志社と関学も少子化の影響からかちょっと動揺して色々改革している、という感じだと思います。
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京大・阪大・神大

同志社………まぁまぁの余裕感(立命館がちょっと気になる)

立命館………↑上昇志向↑(...続きを読む

Q昔の上智の入試の難易度

現在大学1年生の者です。
「昔の上智なんて大したことなかったのにねえ」と母や母と同世代の人は思っているみたいなのですが、実際はどうだったのでしょうか?
当時のデータやエピソードをご存じの方、教えてください。

Aベストアンサー

1970年代後半に上智外に在籍していた年配者OBです。共通一次が始まる前の世代です。
自分で言うのもどうかとは思いますが、その当時一応上智は難関私大の一角に括られていました。
確かに外語は看板学部として就職などは比較的良かったのですが、他学部も急激に難易度が上がっていった時期だったようにも記憶しています。
うろ覚えですが文学部新聞学科などは当時でもすでに受験は難しく、外語よりも偏差値は実際高かったような気もします。
上智は1970年代前半あたりからまず人文科学系の右肩上がりが始まり、70年代後半には法や経などの社会科学系もそれに引っ張られる形で伸長していった気がします。一方、理工学部は当時からすこし影が薄かったような。(自分の周囲に理系の友達がいなかったせいかも知れませんが)

JAR(上智・青学・立教)という呼称も自分の在学中に既にありましたが、その意図するところとして在京ミッション系私大として特に女子受験生の間でブレイクしていた3大学をひとつのグループとして括ったまでの事かと思います。受験の偏差値も当時は少しばらついていた気もします。
実際その3大学間で何らかの交流があったわけでもないし、「早大vs 慶大」のようなある種の仲間意識やライバル意識も特にありませんでした。
カトリックとプロテスタントの教義の相違もあったのかもしれませんが、学校側も立教や青学に対しては淡白だったように思えます。(上智は名古屋の南山大学とは非常に仲良しでした)

実は自分は早大法と上智外にパスしてどちらに行こうか迷った際、早大OBの兄貴に「名よりも実を取るなら上智外だろう」と当時言われたのも参考にして身を振ったのですが、今でもあのアドバイスが適切だったのかどうか稀に思い返すこともあります。
ただ上智はその当時、そこら辺りの事を考慮する位置づけにあったのは事実かと思います。

自分は愛校精神など皆無なので卒業してから全く母校に顔を出したこともなければ、寄付なども全くしないダメOBです。そのために寧ろ最近の上智がどのような状況にあるのか良く知らないのですが、当時の淡い記憶に基づいてコメントしてみました。

1970年代後半に上智外に在籍していた年配者OBです。共通一次が始まる前の世代です。
自分で言うのもどうかとは思いますが、その当時一応上智は難関私大の一角に括られていました。
確かに外語は看板学部として就職などは比較的良かったのですが、他学部も急激に難易度が上がっていった時期だったようにも記憶しています。
うろ覚えですが文学部新聞学科などは当時でもすでに受験は難しく、外語よりも偏差値は実際高かったような気もします。
上智は1970年代前半あたりからまず人文科学系の右肩上がりが始まり...続きを読む


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