A 回答 (5件)
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No.4
- 回答日時:
ノモンハン事件の歴史的な分析は他の回答に尽きます。
書かれなかった戦術史的な面から見ると、日本軍には戦車というものに対する認識が欠けていました。 第1次世界大戦での戦車、戦車用兵くらいしか知らなかったし、全くの認識不足でした。従って対戦車兵器など全く開発、装備されていませんでした。
また砲兵にしても軽量にするため短射程で、ソ連軍の砲兵重視と全く異なり砲兵戦では全くのワンサイドゲームで圧倒されました。
兵器のレベルの全く異なるソ連軍に、当時の中国戦線での経験、知識しかなく必勝の精神と銃剣突撃で戦うという結果で完敗したのです。
ただ航空戦では優勢でしたがこれは性能と練度が優れていたからです。
戦争初期にはソ連軍が戦車だけで侵入蹂躙しようとし成功もしましたが、日本軍はガラス瓶にガソリンをつめた火炎瓶を応急に作製、肉薄攻撃して炎上させ撃退出来たので安心し、以後もこれに頼るようになりました。
しかしソ連軍は以後は砲兵の制圧射撃後に歩兵が随伴した戦車で攻撃してきたので肉薄攻撃は失敗し、侵入してきた戦車に蹂躙され戦線は崩壊し、後は包囲殲滅されるだけで降伏したのです。
精神だけでは近代装備に勝てないという教訓はその後も生かされる事なく(日本の国力では無理ではありましたが)第2次世界大戦の特攻戦に続きました。
ノモンハン事件の敗戦はひた隠しされたので誤解が生じるのも無理ありません。
No.3
- 回答日時:
ノモハン事件、それは作戦目的が曖昧であり、中央と現地とのコミュニケーションが有効に機能しなかった。
情報に関しても、その受容や解釈に独善性が見られ、戦闘では過度に精神主義が誇張された。大東亜戦争敗北の序曲とも見られる作戦だった。○プロローグ
ノモハン事件(昭和14年5月~9月)は、当初関東軍にとって単なる火遊びにすぎなかったが、結果は日本陸軍にとって初めての敗北感を味あわせたのみならず、日本の外交方針にまで影響を与えた大事件となった。
ノモハン事件は本来荒涼たる砂漠地帯における国境線をめぐる争いにすぎなかったが、第1次世界大戦を経験せず、清・帝政ロシア・中国軍閥と戦ってきた日本軍にとっては、初めての本格的な近代戦となり、かつまた日本軍にとって最大の大敗北になった。
やってみなければ分からない、やれば何とかなる、という楽観主義に支えられていた日本軍に対して、ソ連軍は合理主義と物量で圧倒し、ソ連軍戦車に対して火炎瓶と円匙で挑んだ日本軍戦闘組織の欠陥を余すところなく暴露したのである。
○アナリシス
ノモハン事件は、日本軍に近代戦の実態を余すところなく示したが、大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して日本軍は成すすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤りを繰り返した。情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。
また、統帥上も中央と現地の意思疎通の円滑性を欠き、意見が対立すると、常に積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の原因であった。
なお、日本軍を圧倒したソ連軍第1集団軍司令官ジューコフはスターリンの問いに対して、日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが高級将校は無能である、と評価していた。一方、辻政信はソ連軍について、薄ノロと侮ったソ連軍は驚くほど急速に兵器と戦法を改良し、量において、質において、運用において日本軍を凌駕した、革命軍の大きな特色というべきだろう、と述べている。
満州国支配機関としての関東軍は、その機能をよく果たし、またその目的のためには高度に進化した組織であった。しかし統治機関として高度に適応した軍隊であるがゆえに、戦闘という軍隊本来の任務に直面し、しかも対等ないしはそれ以上の敵としてのソ連軍との戦いという全く新しい環境に置かれた時、関東軍の首脳部は混乱し、方向を見失って自壊作用を起こしたのである。
中国侵略そしてその植民地支配の過程で、日本軍の戦闘機関としての組織的合理化は妨げられ、逆に様々な側面において退化現象を起こしつつあった。このような退化現象を起こしつつあった日本軍の側面を初めて劇的な形で示したのが、ノモハン事件であった。
No.2
- 回答日時:
まずそもそも戦闘の経緯については、当時満州モンゴル間の国境線というものが実に曖昧で、その曖昧な部分をはっきりさせようとする過程で小競り合いがいつのまにやら総力戦一歩前までいってしまったというだけのことです。
つまり両者には戦略的な意図は全くありませんでした。特に日本軍なんか現地司令官の独断にすべて任すという方針しか与えていませんでしたし。でその評価については、日本軍は常に負けっぱなしで停戦に終わった訳ですが、これをもって敗北とするのも難しくあります。確かに圧倒的な差(その差3~10倍)があったとされるソ連にぼこぼこにされながらも、その差から想定されるほどの大虐殺には至らなかったという意味では大善戦とは言えるでしょう。ただ最終的な日本軍側の損害は全滅どころか太平洋戦争時の玉砕レベルと推定されています。
それまでの常識では戦車とは陣地を潰すもの(そもそも陣地を強行突破するために作られた)で、輸送力に大きな問題を抱えていた日本軍は間に合わせの防御線しかひけませんでした(逆に長大な兵站線を見事に確保したソ連軍の準備が際立っています)。簡単に蹂躙されるはずでしたが、日本軍は当時の戦車の致命的な欠陥(装甲の薄さや発火性の強いガソリンエンジンなど)をついた歩兵の肉弾攻撃で対応、戦力差の割には攻撃側の損害が膨大となり意図を挫くことに度々成功はしています(最初のうちだけ)。
※この結果戦車戦というのは第二次大戦では大幅に様変わりすることになります。装甲はより分厚くなり、陣地に突入することは厳禁となる訳です。
で逆に日本軍が攻撃にまわると砲兵に一方的に虐殺されるだけで、補給もままならない日本軍は何もできないままに終わっています。常に負けっぱなしだったとはよく言われますが、ソ連軍にも大損害を与えていますので、結果、両者痛み分けという感じです。
両軍とも多大な軍事的な教訓を得たはずなのですが、その後には全く生かされていません。どころか後の状況を見ると退化しています。唯一得たものは国境線がくっきりしたというだけです。
これをどう評価しましょうか。
両者とも圧倒的に大勝利するチャンスはあった訳で、ソ連軍は総合的に戦力を集中・運用させる所謂電撃戦で本当の意味で全滅させることは可能でしたし、一方日本軍も火炎瓶(!)などではなく、もう少しましな火砲を用意しておくだけで本当の意味で追い返すことは可能でした。
両者とも余りにも下手糞な選手しかいなかったため、ぼろぼろな試合でしたが結果的に1点差で終わった野球の試合を名勝負と言うかどうかですね。こういう試合をどちらがより優秀だったかだなんて評価するのは甚だ難しいかと思います。どちらがより下手だったかという点で語ることはできても。
No.1
- 回答日時:
最近、ロシアから資料が出てきたらしくて、それから日本が勝っていた。
という人が出てきていますね。でも、それは話を相当誇張しているでしょう。
ノモハン事件は関東軍を使った謀略で、モンゴルとの国境紛争を画策した事件です。
背景には日ソ中立条約交渉があり、これに絡んだ工作です。軍部がどのような意図で工作を行ったかは不明ですが、主力の部隊で7割(全滅相当)の被害を出した事件で、結果的に、日本軍は駆逐されています。それで、交渉に不利に作用しています。(日本は不可侵条約を望んでいて、失敗して、中立条約になった)
最初はモンゴル軍と戦って、これに勝ったが、ソ連軍が出てきて、直ぐに駆逐された戦いですよ。モンゴル軍の被害を差し引いてみましょう。
ちなみに、
ジューコフ元帥は「日本軍の下士官は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」と言っています。
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